第2話:ネゴシエーション(宮本玲奈)
会議室に漂う空気は、表向きは穏やかでも、内側には針を仕込んだような緊張が走っていた。
長机を挟んで向かい合うのは、私と亜紀さん、そして直也。
その正面に座るのは神宮寺麻里――DeepFuture AI日本法人代表。
私の膝の上には、米国JVと日本SPVの資本構成案を整理した資料が置かれている。
だが、頭の中を支配しているのは、その数字そのものよりも「どうやって彼女を納得させるか」だった。
亜紀さんが静かに口火を切る。
「……ご存知の通り、米国側からローカル資本を必ず入れるよう求められています。
州ファンド、グリーンファンド、CVC。どれも外せない。
その分、出資比率に微調整が必要になるんです」
麻里は微笑を浮かべたまま、頷きもせず、ただ資料をめくる。
その沈黙が、私には逆に重かった。
私は慎重に言葉を添える。
「DeepFuture AIの存在は、このプロジェクトの中核であることに変わりはありません。
ただ、資本比率だけでなく、技術仕様やAIインフラの主導権は、むしろこれまで以上に明確にDeepFuture AIが握る――そういう形で調整できればと思っています」
麻里の瞳が、ゆっくりとこちらを射抜いた。
「……つまり、数字は削る。
でも主導権は渡す。そういう理屈ですか?」
その声は柔らかいのに、妙に冷たく響く。
亜紀さんが小さく頷き、説明を重ねる。
「理事会での特別承認事項を設定する案もあります。
AI関連設備投資や仕様変更については、麻里さん――DeepFuture AI代表の承認を必須とする。
形式上は数字の調整でも、実質的には地位を引き上げる形です」
麻里の唇に、僅かな笑みが浮かんだ。
「なるほど。数字のマイナスを“権限”で補う……悪くない。
けれど、それだけでは足りないわ」
背筋がぞわりとした。彼女が次に何を言うか、予感できたからだ。
「――直也との並びを、公式に保証していただきたいの」
直也が小さく目を見開いた。
麻里は表情を崩さず、さらりと続ける。
「執行責任者が直也なら、技術責任者は私。
これは “肩書き” として明文化してほしい。
投資家にも世間にも、“二人がプロジェクトの両輪” だと示す形で」
亜紀さんが一瞬だけ言葉を詰まらせた。
私は必死に平静を装いながら、言葉を探す。
「……麻里さん、それは――」
「不自然ですか?」
麻里は、わざとらしく首をかしげる。
「でも合理的でしょう?
AIとインフラの二つの責任を、きちんと“顔”として分けて示す。
海外の投資家に対しても明快なメッセージになるわ」
彼女の声は理路整然としているのに、その瞳には“別の思惑”がちらついていた。
直也の隣を占める――それが本当の狙いであることは、痛いほど分かる。
さらに麻里は追い打ちをかける。
「それから、月次レビューを必ず設定してほしい。
直也とDeepFuture AIチームが直接向き合う場を。
……形式上は会議ですが、これは必要不可欠なプロセスです」
私は胸の奥で呻く。
これはただの“レビュー”じゃない。
麻里にとっては直也との定期的な独占時間の制度化にほかならない。
亜紀さんが表情を引き締め、口を開く。
「……それは、調整にかなり苦労しそうですね」
「ええ。でも譲れない条件です」
麻里は微笑みながら言い切った。
「もちろん、PRの場では直也と私が並んで出席します。
国際シンポジウムでも、対談記事でも。
この世界で注目を集めている新プロジェクトの “未来を担う二人” として前に出る。
それがブランド価値を最大化する唯一の方法だと思います」
――完全に織り込み済みだ。
私は心の中で舌打ちをした。
麻里は、自分の数字が削られる事を最初から理解している。
その代わりに、「直也」と「表舞台」を根こそぎ要求してきたのだ。
横目に直也の顔を盗み見る。
彼は苦笑を浮かべながらも、何も言わない。
それが逆に、私と亜紀さんにとっては一番の苦悩だった。
(……どうする? これを呑むのか、それとも――)
交渉の場の空気が張り詰めていく。
数字を守るか。直也を守るか。
私たちは、ぎりぎりの選択を迫られていた。




