第42話:一ノ瀬保奈美
――GAIALINQのイベントから、世界が変わってしまった。
あの大崎のライブハウスでの交流会。
直也さんがステージに立って、みんなを圧倒するほどの歌声を披露して……それからというもの、学校では私が“中心”になってしまった。
「いいなぁ保奈美は。だってあんなイケメン王子と一つ屋根の下だよ。チートじゃん」
「毎日『おはよう』とか『おかえり』とか言えるんでしょ? 羨ましすぎる」
……そう言われるたびに、笑ってごまかすしかない。
本当は、誇らしいような、でも恥ずかしいような――胸の奥でごちゃ混ぜになっている。
そしてクラス全体の空気まで、あの日を境にガラリと変わった。
「やっぱ勉強頑張らなきゃダメだよね」
「だってさ、直也さんの周りにいる人たちって、みんなすごいんでしょ? キャリアウーマンって感じで」
「モデル並みに綺麗で、しかも超高学歴……。私も頑張らないと」
そんな声があちこちから聞こえてくる。
亜紀さん、玲奈さん、麻里さん。
確かに、直也さんの周囲にいる女性たちは誰もが眩しいほどに輝いている。
自分の道を切り開いてきた、強くて賢い人たち。
だからみんな――「そうじゃなきゃ直也さんの近くには行けない」と思っているらしい。
その気持ちは分かる。私だってそう思う。
でも。
「……私の場合はどうなの?」
心の奥で、時々そんな声が漏れてしまう。
私は彼女たちみたいにすごい学歴も、華やかな経歴も持っていない。
ただ、“義妹”という立場で一緒に暮らしているだけ。
――だから、チート。
そう言われるたびに、胸がちくりと痛む。
※※※
「保奈美はいいよね。だって、最初から“ゴール”に近い場所にいるんだもん」
ある日、親友の真央が笑ってそう言った。
冗談半分なのは分かってる。
でもその言葉が、妙に突き刺さって、しばらく胸の中で響き続けた。
(……本当に、そうなのかな?)
羨ましがられるのは、嬉しい。
でも同時に――フクザツ。
※※※
私は前から決めている。
水道橋大学の生活科学科に行きたいなと。
そこを目指して勉強を進めているのは、キャリアを積んで社会で大きく羽ばたくためじゃない。
まして直也さんの仕事に並び立つためでもない。
――ただ、直也さんの生活環境を、少しでも快適にしたいから。
朝、疲れを残さず目覚められるように、栄養バランスの取れた朝ごはんを作る。
帰ってきたときにホッとできるような部屋を整える。
体調を崩さないように、健康管理に気を配る。
そんな、ごく身近な、でも一番大事な「暮らし」を守る知識を学びたいのだ。
「だってね」
ノートを開きながら、私は心の中で小さく呟いた。
直也さんは、いつも戦っている。
会社で、プロジェクトで、人と、時間と――。
だからこそ、家にいる時くらいは安心して笑っていて欲しい。
仕事の成果を誇れる直也さん。
でも、家での直也さんは、バナナケーキを食べて「懐かしいな」って笑う人。
その笑顔を守るのは、私の役目だと思う。
私にとっては――直也さんの隣に立つのは、社会的な肩書きやキャリアじゃない。
おいしいご飯を作って、
安心できる部屋を整えて、
疲れを癒してあげる。
その全部が、私の「夢」であり、「未来」なのだ。
「……だから頑張るんだ」
小さな声でそう呟いて、私はまた鉛筆を走らせた。
目指すのは水道橋大学、生活科学科。
それが、私なりの愛情のかたちだから。




