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第19話:谷川莉子

――ページをめくるたびに、胸の奥がざわめいていく。


 女性誌「VeryVery」。

 発売日の朝、誰にも見られないように、街の本屋さんでこっそり買った。エコバックの奥に押し込み、部屋に戻るまで一度も取り出せなかった。


 ページの中央に――直也くんがいた。

 スーツ姿で、柔らかい笑顔を浮かべて。

 「若手エグゼクティブ・イケメン特集」なんて、ちょっと笑ってしまいそうな見出しなのに、その写真の中の直也くんは、本当に「そういう人」に見えた。


 ――遠くなっちゃったなぁ。


 思わずため息が漏れた。

 私にとっての直也くんは、ずっと幼馴染で、困った時に手を差し伸べてくれる人で……。パソコンを組んでくれたり、曲を聴いてくれたり。

 距離なんてなかったはずなのに。


 記事を読むと、GAIALINQの話を、女性誌の読者に分かりやすく語っている。

 「未来の安心を届けたい」――そんな言葉が、胸にまっすぐ突き刺さった。

 たぶん、この雑誌を読んだ人は、みんな直也くんを好きになってしまう。

 そう思うと、苦しくて仕方がなかった。


※※※


 机の引き出しをそっと開ける。

 そこに、大切にしまってある小箱がある。


 ブルーダイヤモンドのチョーカー。

 あの日、私の夢を信じて、支えてくれた証のような存在。


 箱を開けて、それを手に取った。

 淡い光を放つ青の輝きが、部屋の灯りを反射してきらめいた。


 ――最近、直也くんとは、ゆっくり話す時間もほとんどない。

 週末も仕事が忙しいようでジムにも出てこない。

 よく一緒に走ったジョギングコースでも姿を見ない。

 テレビに出て、記者会見に立って、誰もが彼の名前を知るようになって……。

 もう、私の知らない世界に行ってしまうんじゃないかって、不安になる。


 けれど、このチョーカーを見ていると、あの日の直也くんの声が聞こえる気がする。

 「やりたいことを追い続けるなら、努力の形を見せろ」

 「莉子ならできる」


 だから、私も頑張らなきゃ。

 直也くんに胸を張って「ありがとう」って言えるように。

 そして――どんなに遠くに行ってしまっても、この気持ちだけは揺るがない。


 私はチョーカーをそっと胸元にあて、目を閉じた。

 直也くんの笑顔を思い浮かべながら。


※※※


 ――またひとつ、通知が鳴った。

 パソコン画面に表示された数字を見て、私は思わず声を漏らした。


「……うそ。ほんとに、10万人……?」


 私のチャンネル登録者数が、ついに六桁を越えたのだ。

 ずっと夢のように思っていた数字。けれど、今、確かに現実になっていた。


 私は震える指先でスクリーンショットを撮り、すぐに直也さんにチャットを送った。


『私の専用チャンネル、登録者数、10万人を超えたよ!』


 彼は今、とんでもなく忙しい。

 それは分かっている。だから、既読がつくだけでも十分だった。


 けれど――。


 数秒後。驚いた顔のスタンプが、ぱっと返ってきた。

 続いて、短いけれどあたたかいメッセージが届いた。


『すごいじゃないか。莉子はちゃんと人の心を掴む音楽を届けてる。

 だから自信を持って、マイペースで頑張ればいい』


 画面の文字が、滲んで見えた。

 嬉しくて、胸が熱くなって、涙が込み上げてくる。


※※※


 私は、冗談半分に打ち込んだ。

『10万人突破記念、ご褒美が欲しいな』


 すぐに返信が返ってきた。

『いいよ。莉子が欲しいもの、なんでも贈ってあげるよ』


 その文字を見て、思わず笑ってしまった。

 でも、私が本当に欲しいのは――モノじゃない。


 心の奥の気持ちを、そのまま指に込めた。

『直也くんとの時間が欲しいな。忙しいのは分かってるけど……また、デートして欲しい』


 送信ボタンを押した瞬間、心臓がどくんと跳ねた。

 怖かった。重たいと思われないかな。迷惑じゃないかな。


 数秒の沈黙のあと。

 返ってきたのは、優しい言葉だった。


『分かった。もう少ししたら少し落ち着くと思うから……それまで待っててくれるかな?』


 ――あぁ。


 それだけで、胸がいっぱいになった。

 頬を伝う涙を拭いながら、私は声にならない笑いを漏らした。


 直也くんは、いつも一番欲しい言葉をくれる。

 だから私は、どんなに遠くに行ってしまうように見えても――信じて待てる。


 ブルーダイヤモンドのチョーカーに指先を添えながら、私はそっと目を閉じた。

 もう一度、直也くんと歩ける日を夢見て。


※※※


 ――レコーディングスタジオ。

 ボイトレの師匠が使っていない時間に、私はいつもこの場所を借りて撮影していた。


 静まり返った小さなスタジオ。

 マイクスタンドを立て、カメラをセッティングする。

 私にとって、ここは世界に向けて歌を届けるための“舞台”だった。


 衣装は、普段の私とは全く違う。

 ダボダボの白いフードパーカー。

 ゆるい白のパンツ。

 深めにかぶった白いキャップ。


 そして――最後にサイバーグラスを装着する。

 光を反射するレンズが、私の顔を匿名化し、同時に“アーティスト”としての象徴になる。

 SNSや配信では、いつもこのスタイル。視聴者にとっての「莉子」は、ここから生まれるのだ。


 ただ――今日は少し違う。


 撮影を始める前に、私は小さな箱を開いた。

 中に収められているのは、あのブルーダイヤモンドのチョーカー。


 普段は大切に仕舞い込んで、めったに身に着けることはなかった。

 でも――直也くんと交わしたあの日のチャット。

 「またデートして」

 「落ち着いたら必ず」

 その言葉を思い出すたび、胸の奥が温かくなって、同時に勇気も湧いてきた。


「……よし」


 チョーカーをそっと首元に巻き、留め具をカチリと閉じる。

 青い宝石が、スタジオの照明を受けて淡く光った。


 ――これでいい。

 今日は、この気持ちを歌に込める。


※※※


 レコーディングが始まった。

 静かなイントロ。

 自分で作った曲、自分で紡いだ言葉。


 マイクに向かって声を乗せると、サイバーグラスの奥で、自分の鼓動が速くなるのが分かった。

 これはただの歌じゃない。

 “今”の私そのものだ。


 恋をして、不安で、でも信じて待っている――そんな気持ちを音に変える。

 強がりと弱さ、全部を曝け出す。

 ブルーダイヤモンドが喉元で揺れて、その輝きがまるで直也くんに向かって背中を押してくれるようだった。


※※※


 歌い終わり、最後の音がスタジオに消えていく。

 ヘッドホンを外し、肩で息をしながら、私は小さく笑った。


「……撮れた」


 カメラを止め、録画データを確認する。

 映っているのは、もう“普段の私”じゃない。

 パーカーにキャップ、サイバーグラス。

 でも首元のブルーダイヤモンドだけは、隠せない私自身の想いの証だった。


 次の動画を、次の歌を。

 そして――いつかまた、直也くんに聴いてもらうために。


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