第20話:友達からの無理なお願い(一ノ瀬保奈美)
――最近、学校に行くのが憂鬱になってきた。
きっかけはニュース番組だった。
テレビに映る直也さん。大臣や社長と並んで、堂々と記者会見に応じている姿。
それを友達が見逃すはずがなかった。
「ねぇ、保奈美! あれって絶対お義兄さんでしょ? ニュースでやってた!」
「すごいよねぇ、世界的プロジェクトの執行責任者? って紹介されてたよ!」
最初は親しい真央と美里の二人が興奮気味に話してくるくらいだった。
私は曖昧に笑って受け流していたけれど――今はもう違う。
※※※
廊下を歩いていると、突然知らないクラスの女の子から声をかけられる。
「ねぇ、あなたのお兄さんって、あの五井物産の超エリートの人でしょ……?」
「ニュースで見た! すっごいかっこよかった!」
体育の授業の後、更衣室でも。
「直也さんって付き合っている女性いるんですか?
いない?……あ、でもモテそう!」
「一度でいいから会ってみたいなぁ」
――もう、困る。
親しい子だけならまだいい。
でも、学年を越えて、どんどん広がっていく。
そして、決定打は例の雑誌だった。
女性向けファッション誌「VeryVery」。
表紙の横に載った見出し――「若手エグゼクティブ・イケメン特集」。
その誌面に直也さんの柔らかい笑顔が載った瞬間、学校の女子たちがざわめき出したのだ。
「これ! ねぇ、絶対そうだよね!」
「記事の受け答えがすっごく素敵! 私、この人に会いたい!」
親しい真央と美里でさえ、ちょっと引いてしまうくらいの騒ぎになっていた。
昼休み。教室の隅でお弁当を広げていると、佳代が悪気なく口を開いた。
「ねぇさ、せっかくだしお義兄さんと一緒にカラオケパーティとかできないの?」
「え……?」
一瞬、息が止まった。
周りで聞いていた子たちの目が一斉に輝いた。
「いいじゃん、それ! 呼んでよ!」
「私も行く! 絶対行く!」
「やば、何着ていけばいいかな……!」
まるで火に油を注いだように、あっという間にクラス全体に広がっていく。
真央が慌てて立ち上がった。
「ちょっとちょっと!
そんな簡単にできるわけないでしょ!」
美里も続けて声を張る。
「そうだよ、今すっごく忙しいんだから!
世界的プロジェクトの執行責任者なんだよ?」
でも、その声は興奮に押し流されてしまった。
「でもさぁ、LAに遊びに行ける余裕はあったんでしょ?
だったらカラオケくらいいいじゃん!」
「そうそう! 別にテレビに出るより簡単だし!」
わいわい騒ぐクラスの空気の中、私は必死に言葉を探した。
「……あの、直也さん、今ほんとに忙しいの。
だから、もう少し……待ってほしい」
そうやっとの思いで答えると、今度は一斉にため息が返ってきた。
「えー……」
「忙しいのは分かるけどさぁ」
「なんとかしてよ、保奈美!」
机の上で拳をぎゅっと握りしめた。
――これ以上、直也さんに負担をかけるわけにはいかない。
その日の帰り道、真央と美里が両側に並んで歩いてくれた。
「ごめんね、あんな空気になっちゃって。
佳代も悪気があったわけじゃないんだよ」
「でも、正直めちゃくちゃ困ったね……」
私は無理に笑ってみせた。
「うん、大丈夫。……なんとかする」
胸の奥では、不安と焦りが渦巻いていた。
直也さんの名前が広まれば広まるほど、きっとこういうことは増えていく。
誇らしい。
誇らしいけれど――怖い。
――もう、どうしたらいいんだろう。
クラスの子たちから「カラオケパーティに直也さん呼んで!」とせっつかれる日々。
真央や美里が庇ってくれても、なかなか収まらない。
放課後のチャットも、授業の合間の休み時間も、まるで「直也さんファンクラブ」の集まりみたいになってしまった。
私はただ、彼を守りたいだけなのに。
大事な時期に余計な負担をかけたくないだけなのに。
――でも、もう限界だった。
※※※
夜。
玄関の扉が開く音がして、直也さんが帰ってきた。
「ただいま」
聞き慣れた声。
なのに私は、もう堪えられなかった。
リビングで涙が止まらなくなって、両手で顔を覆っていた。
「……義妹ちゃん? どうしたんだ、泣いているなんて……」
驚いたように駆け寄ってくる気配。
私は首を振って、でも結局言葉が溢れてしまった。
「……もう、学校行きたくない」
直也さんの表情が凍った。
私はしゃくり上げながら、全部を吐き出した。
「友達が……ずっと直也さんのことを言うの。
記事を見たって、ニュースを見たって、会わせてって……。
私、止められなくて……。
カラオケパーティに来てってまで言われて……。
どうしようもなくて……もう行きたくないの」
声が震えて、涙がまた頬を伝う。
直也さんは一瞬黙ってから、ふっと息を吐いた。
――笑っていた。
「……なんだ、そんなことか」
「え……?」
涙でぐしゃぐしゃの私の顔を、優しく撫でてくれた。
「義妹ちゃん。
それはまぁ、オレのせいだよ。
取材とか会見とかで、オレが悪目立ちしてるせいだ。
だからみんなが面白がっているだけだよ」
「そんなことない……!
悪いのは、私。
ちゃんと断れなくて……私が全部悪いの」
必死で首を振る私を、直也さんはそっと抱き寄せた。
大きな胸に顔を押し付けた瞬間、また涙が溢れた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……」
子どもみたいに泣きじゃくる私を、彼は落ち着いた声で慰めてくれた。
「大丈夫だ。
義妹ちゃんは悪くない。
友達を大切にしたいと思うのは、いいことなんだよ。
だから――無理に我慢する必要はないよ」
その言葉が胸に沁みた。
でも、どうしたらいいか分からない。
「……でも、友達は待ってくれない……。
私、どうしたら……」
直也さんは少し考えてから、真剣な眼差しで言った。
「こう言えばいい。
――9月の終わりか10月になるまで待ってもらって。
その代わり、サインくらいなら、すぐにするからって。
オレが言っていたと伝えればいいよ」
涙で潤んだ目で彼を見上げた。
「……そんな、直也さんに迷惑かけちゃう……」
「迷惑じゃないさ。
サイン程度ならいくらでもするよ。
でも今は、GAIALINQのキックオフMtgがようやく終わって、各セクションが動き出した大事な時期なんだ。
亜紀さんも玲奈も麻里も、それぞれ持ち場を必死で守ってる。
だからもう少しだけ待ってもらって欲しい。
それだけを友達にも理解してもらえるように伝えて欲しいな」
力強く言い切る声に、胸の奥の不安が少しずつ解けていく。
私はぎゅっと直也さんを抱きしめた。
「……本当に、ごめんなさい」
涙がまた溢れる。
でも、さっきまでの絶望とは違う。
今は、彼に支えられている安心があった。
――やっぱり、直也さんは私を守ってくれる。
私にとって、誰よりも大切な人。
その人に迷惑をかけてしまった事実があまりにも辛かった。
そして、その温もりを離したくなくて、私はいつまでも直也さんを抱きしめたまま、声を詰まらせて泣き続けていた。




