4. 魔法の手
”もう、む、むり”
正直いって、そう泣き叫びたくてしょうがなかった。
でも私は約束したじゃない!
元気に二人とも産むって。
バリエッタさんが子宮を押して、赤ちゃんの位置を確認している。
「まだ赤ちゃんが横向いていて、今から降りてこようとしているから、ちょっと待っててね」
後ろの子は、後ろの子の都合があるみたいで、
すぐには出て来れないらしい。
私は、早くしてほしい気持ちと、考えたくない気持ちのせめぎ合いで、
ぐっちゃぐっちゃの感情に晒されている。
もう何時間も、この椅子から降りていない気がしている。
そんな私の気持ちを知らずに、
となりでディストルが我が子を胸に抱いて、はしゃいでいるのだった。
―――そんなときだった。
バリエッタさんが大きな声をあげる!
「リガール先生、血がっ!」
空気が、凍る。
見えない。
私は何も感じない。
でも分かる。
――― よくないことだ。
「‥‥‥この量は、胎盤剥離だ‥‥」
頭の中で、その言葉だけが浮いている。
意味は分からないのに、身体だけが先に理解してしまう。
危ない。
「ディストルさん! 胎盤剥離が起きてしまった今、もう次の赤ちゃんが下りてくるのを待っている余裕はないです。このまま放置すると、赤ちゃんも、イリィさんも危ないです!」
リガール先生の声が、急に緊迫度を増す。
「えっ! ど、どうすれば!?」
ディストルは我が子を胸に抱いて、
絶対に落とさないようにしながらも、おろおろとうろたえている。
「一秒でも早く、子宮から赤ちゃんを取り出すためにお腹を切ります!」
「ええっ! ええぇぇぇ! でもお腹を切ればそれこそイリィが死んでしまうのでは!」
「赤ちゃんを取り出した後、私が融着させます! ただ正直に言いますが、確率は半分です」
「は、半分!? 半分ってなにが半分なんですかっ!」
ディストルが気が動転して、慌てた声を出している。
私は彼が、我が子を落としてしまわないかの方が、心配でしょうがない‥‥‥。
「イリィさんが、”死ぬ確率” です」
それは、そこにだけ光が当たったかのような、はっきりした声だった。
その言葉を聞いたとき、股から足を伝って、ポタポタ血が流れて落ちているのを感じとる‥‥。
ディケイの街でやった騎士団長の手術を思い出す。
腹を切った後に、あれをやるということだ‥‥。
理解が追いついた途端、
ようやく、恐怖が堰を切ったようにあふれ出してきた。
怖い‥‥。
怖い、怖い、怖い。
怖くてしょうがなくなる。
腹を切るとは、どれぐらい痛いのか。
逃げたい。
今すぐ全部やめて、
逃げ出したいぐらい怖い‥‥‥。
でも ―――。
私は約束したのだ。
2人に、
絶対、会うと。
そして私には、
エレーミアン神の加護と大いなる祝福がある。
私はエレーミアン神を信じるっ!
その瞬間、久しく忘れていた、
下腹部の灯の温かさを感じた。
私は、ディストルの指を握る。
震えが止まらない。
「お、おねがいします‥‥‥やって、ください」
声は、自分でも驚くくらい小さかった。
でも、確かに言った。
「イリィっ!?」
「分かりました。もう一刻の猶予もないので一気に行かせてもらいます」
リガール先生は、ディストルの返事を待たず、
持って来たバッグから、さっとナイフを取り出す。
『ファイア』
ナイフを『ファイア』で炙ると、
赤ちゃんの位置を私のお腹の上から確認し、
何のためらいもなく私の下腹部をさっと切り裂く!
陣痛とは違う、熱い鋭い痛みが走る。
お腹の圧力が一気にゆるみ、
臓器が外に飛び出そうとするのを感じる。
皮と肉が焼ける嫌なにおいが漂うのに、
不思議なぐらい出血はない。
「イリィさん、弱めで『ヒール』をかけ続けてください。きっとそれで痛みは少しは緩和されるはずです」
さ、先に言って!
『ヒール』
確かに『ヒール』をかけると痛みがだいぶ遠のく。
ただ、まだ続いている陣痛には全く効かない。
リガール先生はお腹の中に手を入れて更にナイフを走らせる。
鈍い痛み共に、その後、お腹の中をグリグリ探られる感触がする。
「赤ちゃん見えましたよっ!」
『バキューム』
リガール先生は手慣れた様子で魔法を唱える。
私はもう、分からなくなり始めていた。
身体の中を触られる。
探られる。
気持ち悪い。
痛い。
もう、どこが自分なのか分からない。
「よしっ!出すよ!」
途端に内から引っ張られる私のお腹。
なにかが引っかかっている。
は、早くして‥‥。
もう私は限界近かった。
意識が朦朧とし始めている‥‥。
お願い。
お願いだから。
この子を、連れていかないで。
「よし、肩も抜けた!」
つるんっ。
出た!
身体の中が空洞になって、
一気に縮んだかのような感覚。
‥‥‥。
赤ちゃんは!?
大丈夫なの!?
泣き声が、ない!?
悪い想像が、一気に頭の中を駆け巡る。
「僕っ! 頑張れっ!」
リガール先生の切羽詰まった声が聞こえる。
嘘。
やだ。
そんなの、やだ‥‥!
ちょうどそのタイミングを、
見計らっていたかのようだった。
「ほぎゃあああああああっ!!ほぎゃああっ、ほぎゃあっ!」
先に出ていた子が、ディストルの胸元で
突然、盛大な泣き声をあげ始める。
音が戻り、空気が流れ出す。
そして――。
もう一人も、
小さく。
かすかに。
でも、確かに。
「ひゃぁっ‥‥ひゃあっ、ひゃっ‥‥‥」
ああああああああああ 泣
もう何も声が出ない。
私の二人の赤ちゃん‥‥‥。
よかった‥‥。
よかった‥‥‥。
ほんとうに、ほんとうによかった‥‥。
生きてる。
二人とも、生きてる。
胸の奥で張り詰めていたものが、一気にほどけていく。
怖かった。
ずっと、ずっと、怖かった。
でも今、二人ともここにいる。
泣いている。
生きている。
そのことがただただ、嬉しくて、
ただただ、涙が止まらなかった。
「イリィさん! 最大出力で『ヒール』を!」
リガール先生のどこかホッとした感じの声。
大丈夫。
これで大丈夫。
終わったんだ。
私の出産は無事終わった!
『ヒール×ディフュージョン!!』
私は渾身の魔法をかける。
この部屋だけでなく、
この村の全ての生き物を、
私の幸せの『ヒール』で、
黄金の輝きで包んでいく!
外では長い夜がついに明け、朝日が差し込む所だった。
村中の花という花が、時季外れに、
一斉にその花弁を開かせ、
その芳しい甘い薫りをふりまいている。
村の周辺では家畜の牛や羊だけでなく、
野生の鹿やリスのような小動物、
アオサギやワシまでが仲良く首を揃え、
美しき鳴き声を世界に響かせている。
それはこの世に、二人の天使が生誕したことを、
この世の全てが祝っているかのよう。
――― その風景を見た村人はその神々しさに心打たれ、
歳を老いても、何度も、何度も、その話を繰り返していたと聞く。
そして私は ――― 意識を失ったのだった。
リガール先生とバリエッタさんは、その後も私と赤ちゃんの処置を寝ずに続けてくれたそう。
リガール先生、バリエッタさんに、シルクさんに、ヨルテさん、エレジアさん、ロンド、ミレイに。
もちろんディストルにも、
この世の全ての生きとし生きるものに感謝を!
そして ―――
なにより、
私のもとに産まれて来てくれたこの二人に、
『最大級の感謝を!!』




