1. 結婚式
きっかけはミレイの一言だった。
「ねー、結婚式しないの?」
赤ちゃんができたこと自体に浮かれていた私は、
そんなところまで考えが回っていなかった。
「うーん‥‥‥やっぱした方がいいのかな?」
「えーーーっ! 逆にしない方が変だからっ!」
「そ、そう?」
ミレイの予想外の勢いの強さに、私はちょっと驚かされていた。
そういうものなのかな~。貴族だったころは確かにお披露目という意味で、
とても大切な儀式だったことは理解していた。
でもこの村ではみんな顔見知りで、私がディストルと暮らしていることは誰もが知っている。
だから正直、あんまり必要だと思っていなかった。
「そうよっ、一生に一度のことなんだからっ! なんなら私がディストルを問い詰めてあげよっか?」
「えっ!? い、いいよー。ちゃんと自分で相談してみるから」
「一生に一度」という言葉だけが、胸の奥に引っかかって残る。
そして私は結構、「常識だから」という言葉に弱い 笑
自分が常識知らずなことをよく分かっているせいだけど、
ミレイやロンドに言われるとどうしても反論できなくなってしまう。
家に戻って、夕食を食卓に並べているときに軽く、
ディストルに話を切り出してみたのだった。
「ねぇ‥‥‥、結婚式って必要かなぁ?」
「!?」
顔が固まり、揺れる瞳。
「い、いやね! ミレイがそんなこと言うから‥‥‥。私はどっちでもいいんだけど‥‥‥」
「ご、ごめんっ! ちゃんと考えるから!」
その反応に、胸の奥が少しだけきゅっと締めつけられる。
責めたかったわけじゃないのに、責めてしまったみたいで。
最近はいろいろありすぎて、彼も余裕がない。
私だって同じだった。
目の前のことで精一杯で、それどころじゃない。
こういう時近くに親が居ればまた違うのかもしれないけど、
私も彼も、もうお互い以外家族がいない。
――― そして、その日以降。
そんなことを考える余裕すら、なくなっていった。
「ウプッ、‥‥‥ごめん、無理かも‥‥‥」
今朝から、胃がむかむかして、
普段は美味しく感じるクリームシチューの匂いが、どうしても受け付けられない。
こ、これが噂に聞くつわり‥‥‥。
何の前触れもなく、突然だった。
なんとなく昨日の夜から身体が重くて調子悪いな―というのはあったけど、
こんな突然来るなんて自分でもびっくり‥‥‥。
フローラの『女神の微笑み』を試してみたものの、
気持ちは少し落ち着く程度で、吐き気はまるで消えない。
その日は結局、水しか口にできなかった。
椅子に座り、ただ上を向いて、こみ上げてくるものを抑えるために深呼吸を繰り返す。
ディストルが何度も「大丈夫?」と声をかけてくれる。
でも ――― ごめん。
今は、それに答えることすらつらい。
つわりって数ヵ月続くって聞いたけど‥‥まさか、嘘、だよね?
――― 甘かった。
これは、ほんの始まりに過ぎなかった。
それからの二ヶ月は、本当の意味での地獄だった。
『ヒール』すら効かない。何をしても襲ってくる強い吐き気。
何も食べられていない私は、胃酸しかもどすものはない‥‥‥。
いっそ胃を取り出して洗えたら―――。
そんな馬鹿みたいなことを、本気で考えるくらいには、つらい‥‥。
特に私の場合は朝がひどくて、夕方になると少しは落ち着く。
このときの辛さは例えるものがなく、
ちょっと落ち着いたかとおもったら、ふとしたきっかけで吐き気がより戻してくる。
いつ終わるとも知れない酔いにぐるぐる回し続けられ、夜もろくに眠れない。
そんな日を続けていたので私は、みるみるうちに痩せていって、
元から白かった肌色が青白いくすんだ色に変わっていく。
心配したディストルが、他の村の人から色々聞いてきてあれやこれやしてくれるんだけど、
心の中では本当に申し訳ないと思っていたけど、
『もおー、ほっといてっ!!』
って怒鳴りつけたことは何度も‥‥‥。
ほんと‥‥ごめん。
違うのに。
本当は、違うのに。
唯一、隣に住むミレイのお母さん、ヨルテさんが作ってくれた、
ちょっと酸味をきかせたやさしいおいものスープが私にあったので、
どうにか生き永らえることができていたのだった。
一時はこのスープしか飲んでいなかったんじゃないかな‥‥‥。
結局、この期間は何をしていたかあまり思い出せない。
吐き気だけじゃなく、眠気に襲われまともな家事仕事もできていなかった気がしている。
そんな中ヨルテさんの指導の下、ディストルが家事をこなしている姿をみて、
申し訳なくて。
情けなくて。
でも同時に、少しだけ ――― 救われてもいた。
「いい旦那さんだね」
ヨルテさんのその言葉に、私はただ、頷くことしかできなかった。
本当に、その通りだったから。
年が明けて、気づけば、吐き気は少しずつ収まっていた。
そして下腹が、ほんの少しだけ膨らみはじめている。
まだ胎動はない。
でも確かに ――― ここにいる。
私の中に、新しい命が。
そんなよく晴れたある日。
私はディストルに誘われて、久しぶりに外に出かけることになった。
「どう?体調は?」
「うん♪ だいぶ落ち着いてきた~。色々ごめんね」
冷たい空気が、肺の奥まで入り込む。
それだけで、少しだけ、生きている実感が戻ってくる。
ひんやり澄んだ空気が、私の心を洗っていくかのよう。
「全然! ねえ大丈夫? 寒くない?」
彼が過剰に心配してくる。
「たっぷり着込んで来たから大丈夫~」
私は微笑み返しながら答える。
外はまだたんまり雪が積もっているものの、
村の中の広場と道は皆の協力で雪かきをして皆が動けるスペースが作られていた。
はぁー。
吐く息が凍って、霧のように白く流れていく。
ざくざくざくっ。
スノーブーツの下で踏みしめる雪が、柔らかくて心地よい。
こんな当たり前のことが、こんなにも嬉しいなんて。
「ねえ、どこ行くの?」
周りは雪だらけだから、行くと言っても村の中をちょっと散歩するぐらいしかできない。
てっきり村を一周散歩するぐらいだと思っていたんだけど‥‥‥。
「内緒 笑」
「あー場所は、村長さんの家ね」
ディストルは、少しだけ悪戯っぽく笑った。
「ん? 村長さんの家?」
村長にいま挨拶に行く用事なんてあったっけ?
あー新年のあいさつ、できていなかったっけ。
私はよく分からないまま、
彼に手を引かれ村長の家に到着した。
「こんにちはー!‥‥えっ?!」
私は言葉を失った。
村長の家の扉を開けると大きな玄関に、大勢の人の靴が並んでいて、
それこそ、村全体の集会が行われるときのような大混雑ぶり。
「イリィ待ってたよ~。こっちの室内靴に履き替えてね!」
廊下の先から顔出した、三つ編み&エプロン姿のロンドが、
私の手を引っ張ってどこかに連れていく!
「えっ!?えぇっ!?」
「いってらっしゃーい♪」
なぜか笑顔で見送るディストル。
私はそのまま別室に連れ込まれる。
別室の中にはロンドとミレイだけじゃなく、ヨルテさん、エレジアさん、村の女性陣がほとんどいて、
部屋の中央に置かれた椅子に座らされた私を、
総出で綺麗に仕立て上げていく‥‥‥。
あっ、これって、
――― そういうこと~~!?
聞いてない~~~っ!!!
――――――
「キュゥー‥‥‥」
大広間に続く両開きな大きな扉が開かれ、木の扉が可愛い鳴き声を上げる。
扉の向こうからレースに包まれた白銀のウェディングドレスをまとい、
白いベールを頭から覆った妖精のような女性が表れた。
ベールの脇から、こぼれる銀色の髪の毛が妖精の羽のように窓からの光を受け、
きらきらと輝いて軽やかに揺れている。
その美しさに、風の精霊すら近づくの畏れて、
ベールの周りを避けてその光を振りまきながら舞い踊っているかのよう。
大広間の中で雑談をしながら待っていた男性陣たちはその姿を見た途端、
言葉を忘れてしまったかのようにただその光景に見入ってしまう。
彼女が一歩、また一歩、小さくその歩みを進むたびに、
その春の花々のようなほのかな香りが部屋の中にたなびき、
天使の羽のようにみなの心を優しくなでていく。
ベールに隠され顔の表情はうかがい知れないが、
真っ白な雪のような肌に浮かぶピンク色の紅で可愛げに彩られた口元は、
口角が上がりその喜びを隠しきれずにいるように見える。
僕、ディストルは、叫び出したい衝動を抑えるのに必死であった。
自分でも顔に血が昇り、耳まで真赤になっていることが、並々と感じられる。
「この、世にも稀な美しい女性が! 僕のお嫁さんなんだぞー!!」っと。
ひな壇の上で待つ僕と村長の元にたどり着いた彼女は、
白いレース生地のウェディンググローブで僕の手を取り、
二人で向かい合わせに村長の前に立つ。
「本日は、この良き日に皆で集まることが出来たことを、天の神、地の神、そして我ら豊穣の神エレーミアン神に感謝しております」
「外ではまだ冬の寒さが留まることを知りませんが、この二人にはその寒さすら恐れをなして逃げていくでしょう」
「彼らはこの村に生まれた者ではありません」
「でもこの瞬間から、私たちを彼らを我らの家族として、迎えることを宣言します!」
『おーーーっ!』
村人たちの高らかな叫び声が大広間中に響き渡る。
「ディストル、イリィ ―――」
「あなた達二人はもう私たちの家族であり、これからは村の歴史となり、そしてこの山々の風景に溶け込んでいくでしょう。雪解け水が川を作るかのように、あなたたち二人の風景をこの村に刻み込んでいってください」
「どうかお互いの違いを大切にし、この偉大なる山々のように許し合い、笑い合い、励まし合ってください」
「それではお二人の決意と愛の証として、誓いの口づけを」
僕は緊張で手を震わせながら、
彼女のベールをゆっくり上げる。
彼女も小さく震えながらも、
その真っ白な頬に赤い紅がほのかに差し込んでいる。
その紺青色の大きな瞳はうっすら浮かぶ涙に揺らめいていたけど、
彼女本来の気の強さを表しているかのように、
僕には赤く燃えているように感じるのだった。
「ほら、近づかないとキスできないよ 笑」
小声で少しだけ、いらずらっぽく呟く。
「もぅ、不意打ちなんでひどいっ‥‥‥ばかっ」
僕は軽く笑うと、
そんな彼女の手をかるく引き寄せ、
やさしく肩に手を添えると、
その小さな震える唇に、
そっと唇を重ねるのであった。
「ご結婚おめでとう! 村人一同こころから祝福します!」
『おめでとーーっ! かんぱーーいっ!』
盛大に始まった結婚式は、
そのまま村人たちの大はしゃぎと共に夜遅くまで続いた。
村の小さな結婚式だったが、
僕にとって一生に一度だけの、
大切な思い出になったのである。




