1. 女子修道院での日々
女子修道院の朝は早い。
遠くの空が少し白んできたころから朝の日課が始まる。
シスター見習いがベルを鳴らして皆を起こしてまわる。
我々被保護者も参加して、朝の黙とう、聖書の音読、ミサ、朝食と続いていく。
ほとんど私語を交わさず、ただ静かな気持ちで淡々と繰り返す。毎日同じルーチン。
俺、いや私はこの修道院にお世話になっていた。
この修道院は、北のウリアン山脈の雪解け水を源流にするアトム川河畔の都市、ディケイの町外れにある。
ディケイは魔導王国が出来るはるか昔から河川貿易の中継地として発展してきた由緒正しい都市だ。
川の両岸と中洲に町並みが広がっており、交易都市ナムルよりはるかに大きい。
ナムルの北東、ルクソンの南東に位置している。
もう一つ、この周辺には都市があるのだが、既に魔導王国の一部となっていた。
俺 ――― 私はほとんど飲まず食わずに2日間走りっぱなしでこの街へたどり着いた。
何度も言い直してすまない、シスターが「女性なのにはしたない!」っていつも怒るから一人称を変えようと心がけている最中なのだ。修道院を出るまでの辛抱なのでしばらく我慢してほしい。
そして私がこの女子修道院に寄宿している理由は他に泊まるところがないから、その一点に尽きる。
最初は私も嘘かと思った。宿屋なら大きな都市なのでいくらでもある。
でもどこの宿屋に行っても宿泊を拒否されたのだ。その理由がなんとも意味不明だ。
女一人だから。
正確にいうと場末の宿泊所は宿泊を許可してくれた。
けどあからさまな物言いをされたので、泊まろうとは思わなかったのだった。
「姉ちゃん、うちの取り分は6割な! 姉ちゃんべっぴんだからたんまり稼げるだろうよっ! グヘヘッ」
いい歳した男に、ねーっとりした視線で下から上まで舐められた。
もう顔がひきつってなんの言葉も出てこない。完全に売春婦扱いだった。
あんな目にあって、それでもこんな扱いだなんて。
自分の心がちぎれてどこかに行ってしまい、心の中が麻痺して何も感じなくなってしまう。
もう涙のかけらも流れない。
オレはそんなひどいことを誰かにしたのだろうか。
本当に神がいるなら教えてほしい! 私が何をしたというのか。
不幸のオンパレードすぎるだろっ!
このままでは野宿を続けるしかないと、すべてに絶望しかけていた。
宿を探すのにも疲れ果て、あてもなくさまよい続けていたとき、たまたますれ違ったのがここのシスター見習いで、あまりのあり様に見かねて声をかけてくれたのだった。
「あの時は一目でこの子危ない!って思ったのよ~。ほんとっ、私が見つけていなかったらどうなっていたことか‥‥‥」
あとで何度も何度も、彼女から聞かされることになるセリフだ 笑
ちなみに彼女の名はフローラ。シスター見習いだ。
黒髪のショートカットにニキビ跡が少し残ったブルベ系うさぎ顔の可愛い女の子だ。
つぶらな瞳をしていて少し幼さが残っている。子供のようなきゃらきゃらした声が特徴的で、本人はそこにコンプレックスを持っているようだった。
そして最も驚くべきところはこの女子修道院がタキオン教に属しているということ!
そう私はあの魔女狩りをいまだに続けているタキオン教に保護されている。
それに気づいたときは正直驚いたが、だからと言っていまさら逃げる気にもならなかった。
いろんなことが重なりすぎて、どうにでもなればいいとしか思えなかったのだった。
――――――
「どう?眠れてる?」
ここは修道院一階の一番奥にある相談室。
大きな窓から外の森がよく見える。
窓の前にローテーブルが置かれており、ソファーが周りを囲むように配置されていた。
週に2回、ここでフローラの診察を受けるのが保護された人たちの務めとなっていた。
斜め前に座っているフローラが心配そうに私の顔をのぞきこんでいた。
「んっ、ん~~あんまりかな‥‥‥」
私はありのままを話す。
フローラとは同い年ということもあってなんとなく仲良くなっていた。
シスターと言っても見習いなので魔女狩りの方は心配ない。
診察についても、身体のケガがない私はただ雑談をするだけだった。
「そっか~私にできることがあればいいんだけど‥‥‥。まだ『神の癒し』と『女神の微笑み』だけなんだよね」
神の癒しというのは魔法でいうヒールだ。
シスターは神の護符で信者の祈りの力を借りて奇跡を起こす。正式な神官になれば自分自身の力でも奇跡を起こすことができるが、それは魔法と変わらないものであった。
神官たちは自分の力の源泉を魔力回路と言わず、神の御印と呼んでいた。
見習いのフローラはまだ神の御印を持っておらず、自分で魔女を見つける能力はない。
「イリィ、ごめんね‥‥‥」
フローラが本当に申し訳なさそうに謝ってくる。
彼女は心根の優しい女の子だ。
神職者にありがちな押し付け的なところがまるでなく、素朴な、ありのままで接してくれる。
聞けば神官の家の次女で、何となくシスター見習いになって、教王庁に言われるまま、宣教師と共にこの街へ布教にやってきたとのことだった。
「フローラが謝ることじゃないよ‥‥‥ごめんね、うまく言えないけど、自分のことだから」
「‥‥‥あまり抱え込まないでね。頼りにならないかもしれないけど、これでも話を聞く訓練は受けているから。」
「ありがとう‥‥‥」
あの日以来、あの日のことを私はまだ消化できずにいた。
夜眠るのが怖い。
毎晩夢の中であの日のことがフラッシュバックして、何度も飛び起きてしまう。
街を歩いているときも、男の視線が気になってしょうがなかった。
チラッと胸の方を見られると、この男もアイツみたいに襲ってくるんじゃないかと、身体がこわばってしまう。
男だった時にこんな思いをしたことは一度もなかった。
多分昔の自分に説明しようとしても、伝わるように説明できる自信はなかった。
自分でも「なんでそんなことで?」って言ってしまうかもしれない‥‥‥。
大げさでなく、世界の皆に嫌われそっぽを向かれてしまったような感覚から抜けられない。
私が信じていたものは何だったのか‥‥‥。私は社会に見捨てられてしまったのか‥‥‥。
そう悩み、苦しみ、次第に街に出ることが億劫になり、私はこの修道院にこもるようになっていた。
夏も終盤に差し掛かり、朝はだいぶ涼しい空気が舞い込むようになってきている。
特にここは、北の山脈から吹いている冷風で夏が短い。
最初はここのシスターやフローラとも関わりたくない気持ちの方が大きかった。
もちろんタキオン教神官だからというのもあったが、男の頃の感覚だと女は異質な存在で、何となく自分から壁を作ってしまっていた。
毎日、朝の日課と夜の日課を一緒に繰り返すことで、少しずつシスターやフローラや他の修道女と普通に接するようになってきている。
彼女らは自分を責める存在でも品定めする存在でもない。そのことが徐々に理解できるようになってきていた。
きっとこれが同性ならではということなんだと思う。
修道院の落ち着いた生活で、少しずつ心も落ち着き始めていた。
もう少しここでゆっくりしていれば街に出ることもできるようになるかもしれない、そう思い始めていた矢先のことであった。
その事件が起きたのは ―――。




