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スタニング・ワード(flashback)

 弱小の野球部が、よくぞここまで粘り続けたと思う。といっても高校ではなく中学生の頃の話だ。


 今も昔も、リトルリーグまで遡っても俺の所属していたチームはいつも弱かった。トーナメントでは当たり前のように初戦敗退、リーグ戦でも万年最下位。負けて悔しがる人間よりも笑ってる奴が多い、反骨精神に欠ける典型的なチームだった。


 そんな俺の所属先で、一年だけ色が変わったことがあった。中学三年になった最後の大会だ。


 体格差や腕力、努力じゃどうしようもないものを技量と練習量であいつは補っていた。三年目でようやく実を結んで、エースナンバーを背負うにもっとも相応しい人間に選ばれた。部活の時間が終わっても、近くの公園で何度も二人で配球について話し合い、たびたび喧嘩話に発展したりもした。


 直球の威力不足に悩むあいつに、神様はたったひとつだけプレゼントを送ってくれた。右打者の胸元すれすれまで食い込む必殺シュートだ。


 殺人的なシュートボールを怖がるあまり、スピードのない外角いっぱいの直球に並みいる打者が手を出せず散っていった。目を瞑っても勝てるとカモにされていた公立中学校は破竹の快進撃で県大会を勝ち進み、とうとう決勝まで駒を進めたんだ。


 とにかく先手を打とうと監督は代打攻勢を仕掛けた。控えの選手全員をつぎ込む総力戦、全国屈指と評判だった相手エースから虎の子の一点をもぎ取った。これまでにない高揚感と発起心が全員に芽生えて、体たらくだったチームがベンチで一丸となった。


 ぎりぎりの攻防戦を繰り広げる最中、相手投手の失投に背番号2はバットを落としてうずくまった。痛がる打者にチームメイトが駆け寄ると、手をぶらぶらさせたそいつは笑顔を作って「大丈夫」と一塁へ走っていった。グー、パーと手を開いて、閉じて。正常に動く素振りにチームメイトも安堵し、真っ先に飛び出したエースも胸をなで下ろした。


 最終回、とうに尽きたスタミナを根性でまかなっていたエースは、ランナーを出しながらもようやっとツーアウトまでこぎつけた。あと一人。あと一人で夢として語っていたものが形になる。ツーアウト満塁と絵に描いたような痺れる場面で相手は県内屈指の強打者。仕留めたと思った球を何度もファールにされて、際どいボールはことごとく見送られる。ピッチャー有利のカウントは気がつけば五分まで戻されていた。


 フルカウントを確認した捕手は審判にタイムを要求した。マウンドで汗を拭うあいつは激しく息を切らせて苦しみに堪えている。その姿を見るこっちの方が苦しいぐらい、膝に手をついて額から無限の汗を流している。それでも顔をあげたエースは受け取ったボールを力強くグラブで握りしめる。

 嫌な予感がした捕手はマウンドへと走っていった。


 「この一球が、最後かもしれない」


 肘を押さえながらエースは苦笑した。投球数は百五十球をゆうに超えている。それでなくともここまでの全試合を一人で投げ切っている。そうなってもなんらおかしくない状況なんだから、痛みに任せて交代するべきだ。


 交代要員がいなくても、投げるだけなら他の八人でなんとでもなる。ベンチに顔を向けて監督に合図しようとする俺の手をつかんだエースは、泣きそうな目で首を振りながら「お願い」と懇願した。


 現行の高校野球、いわゆる硬式野球のルールでは『女子』がフィールドプレーヤーとして立つことは叶わない。昔から報じられては堂々巡りになっていた改革論は最近になって急速に広まって、ある無名の中学女子が快投を続けることでその声が日増しに強くなっていった。とうとう連盟の最高議案にまでなったことに、相棒は誇りと勝ち続ける義務を感じていた。そうすることで他の女の子の道も開けて、自分もまた男性と肩を並べて勝負ができると信じて疑わなかった。


 すべてを知っている捕手には、潰れても構わないという相棒の思いを止めることができなかった。だから、もし、この試合でエースが再起不能になったなら自分もミットとバットを置く。その覚悟をもって捕手はミット越しに語りかけた。


 「一番エースが命を賭けるなら心中覚悟で戦う。人生最後の一球になるっていうのなら、腕が引きちぎれても相棒の思いを受け止める。それが、背中に二番を背負うってことなんだよ」


 呆然とするあまり、エースは手の平に浮かせていた白球を滑り落とした。すぐに我に返って拾いなおすと、いつもの調子でつんとした表情に戻る。


 「そんなカッコいいもんじゃないでしょ。せいぜい叱られ役よ」

 「恥ずかしがらずに叫んでみろよ。助けなさいよ、私のナンバー2って」

 「死ぬ方を選ぶわ」

 「そいつは残念」


 グラブにミットを当てて笑った捕手は「ノーサインな」と言葉を贈った。死にそうだった目に今一度生気を宿したあいつは、無言のまま帽子を取ってわずかに頭を下げる。不器用すぎるあいつがよこす精一杯の感謝の姿勢だ。


 どんな球でも受け止めてやる。ホームベースの後ろで身構えた捕手はミットを広げて視線で合図する。頷いたエースは足をあげて腕をしならせると、白球が18メートルの距離を貫くように走っていく。


 その一球で勝敗は決した。正直、あの時の記憶はほとんど残っていない。


 記憶にあるのは泣き叫ぶあいつの声と、負けてしまったという現実だけ。そして、議案は覆らずにあいつの高校野球への道は閉ざされてしまった。


 俺が、閉ざしてしまった。

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