スタニング・ワード④
市街地から一本道の海岸沿いの国道を走ると、二十分ほどで郊外のアーケードで目的の雑貨屋を見つけた。店前に原付を停めて携帯電話を取り出すと午前十一時まであと少し。そして、画面の左上に新着メールのアイコンが表示されている。
着信メールはあいつからで、ほしいものリストがそこには書いてあった。件のカカオマスの他にカカオバターと、カッツェ・シュガーが欲しいと要望がある。よろしくお願いしますと締めくくる文章に顔文字といった遊びの類はない。
あいつらしい、顔文字ひとつない時流から外れた女子高生の文章だ。社会人としてなら百点満点なんだろうけど、そこが少し寂しくもあり可笑しくもある。
ポケットに携帯電話を仕舞った俺は雑貨屋に入って中をうかがった。
「毎度」
すれ違いざまに段ボールを抱えた男が店から出て行った。作業服に帽子を被っているあたり配送業者の人間だろうか。表に駐車していた軽トラックには業者のロゴも何も入ってなかったから意外に思えた。
「いらっしゃい」
カウンターで帳簿らしきものに視線を落としていた女性の店員は、俺に気づくなり愛想良く笑顔を振りまいた。
「カカオマスのお客さん?」
「そうです」
俺の返事を聞き届けるなり、店員は背面の棚からメモ付きの袋を取り出してカウンターに置いた。表紙はさっき百貨店で見たものとは違うけど、カカオマスって言ってるんだからまず問題ないだろう。
「一番の上玉を取り置いてくれって、あの子、うるさくってね。うちのお店の面子と可愛い高校生の人生がかかってるからって、もうやかましいったら」
軽い調子で店員は話かけてくれた。相槌を打っているうちに彼女たちは最近まで同じ店で働いていた先輩後輩の間柄だったようで、そのツテのおかげで俺は念願の商品を手にしている。
「ところでさ、それ、割といいお値段なんだけど財布は大丈夫?」
「え」
値札のシールに目を通せば、軽く俺の昼食ひと月分ぐらいの数字が書かれていた。
払えないことはない。ないけど、兄貴に借りた諭吉とはここでサヨナラしないといけない。税込で計算すると返ってくるお釣りには一葉はおろか英世の姿もない。そして忘れてはいけない。この一万円は借金の賜物である。
グレードを下げるって手もある。そもそもチョコは他人の手に渡るものであって、俺にはひとかけらも残らない完膚なきまでの慈善事業だ。頼めば取り下げてもくれるだろうし他のカカオマスだっていくらかは用意してくれるかもしれない。
でも、それでいいんだろうか。色んな人が本気で取り合ってくれたからこそ俺はここに至るったわけで。図らずも代打に立ったあいつにできる限りのことをしてやりたいと思っているわけで。答えは一択だし決まっているんだけど、金額が金額だ。情けなくも財布から取り出した諭吉を持つ手が震えて止まらない。
「カカオマス以外に必要なのは全部揃ってるってことでいい?」
苦悶する俺に店員が尋ねてきた。そうだ、バターと砂糖もだ。メールを開いてリストを確認すると、ますますもって俺は肩を落とす。覗き込んで見た店員に携帯電話を渡すと、くすっと悪戯顔を見せた彼女は店内を回って商品を手に取りはじめた。
「ついてるねえ、君。今年は結構売れ残っててさ、バーゲンセールを考えてたのよね。なんと今なら高級カカオバターと幻のカッツェ・シュガーをセットで学割価格。どう?」
投げつけられた透明の袋を受け取ると、いかにも高そうな装丁をした袋にカカオバターのラベルが貼られていた。先のカカオマスと合わせれば諭吉で納まるかも怪しい。でも、俺の手持ちはこの一枚を除けばたったの三十円しかない。
「いくら持ってんの」
この人に嘘はつけない。心から思った俺はすっと財布から一万円を抜き出した。
「よし、じゃあこの二つとカッツェ・シュガーと合わせてそれでいいや」
打診された俺の方が慌てて制止する。
「ちょ、ちょっと!太っ腹っていうか人が良すぎます。そこまで……」
俺の口に手でふたをした店員は、今日一番の笑顔になって俺の頭を撫でてきた。
「あんたたちみたいな子、ほっておく方が罪でしょ。大人は案外冷たくないんだよ」
そう言うと、店員は棚の下の引き出しを開けて再び商品を探しはじめた。
「あんたも大概なお人好しだと思うけどさ、同じ女性としてはその子の思いが届いてほしいわけなのよ。あんなぐっとくる文面を見せられちゃうとね」
オーダーしか書いていない文章のどこに人を奮い立たせる内容があったんだろう。そんな文面あったっけとメールを開こうとすると、引き出しを開けた店員があれ?と首を振ってまた違う引き出しを開ける。その動作が三回も続くと嫌が応にも悪い予感しかしなくなってくる。
自分の携帯電話をエプロンから取り出した店員はさっきまでの穏やかな表情と打って変わってどこまでも険しい。電話を切ってはまたかけ直しての繰り返しが増える度に焦りがにじみ出てくる。




