スタニング・ワード②
蹴り飛ばされた俺はもう一度あいつと目を合わせようとしたが、もはや聞く耳もたないというオーラがあいつの全身から放たれていた。なにもこんな時まで風紀委員長モードに入らなくてもとは思うが、ああなっては誰が相手でも勝ち目はない。反論しようものなら速攻で処される。
行先もわからぬまま、俺は学校の近くに隠し停めていた原付にまたがってスロットルをぶん回した。信号を過ぎれば道路を挟んだ一面に田園が広がる田舎だけど、なにかを一曲口ずさんでいる間にも景観は住宅街に変わって、大通りの信号を過ぎれば高層ビルが並ぶ駅前の商業地になる。
いつも利用しているスーパーの駐輪場で原付を停めると、直結しているスーパーの一角を俺は目指した。
バレンタイン当日とあって、幸いにも目的のコーナーはすぐに見つかった。板チョコやデコレーションの素材までひととおりのものは揃っている。強いて問題を挙げるとすればそこにいる俺が男性であるということだ。三百六十度あらゆる方角から寄せられる好奇な視線が痛くて、入店して早々にめげそうな俺がいる。
溶かす原料のチョコレートといっても何種類かあって、俺ではとても判断がつきそうにない。怒られてしまいそうなのを覚悟の上で俺は携帯電話からあいつの番号に発信した。「はい」とすぐに出てくれたその声は至って不機嫌だ。
「板チョコが何種類かあってさ、どれ選んだらいいかわかんねえから聞きたいんだけど」
「板チョコお!?」
「ああん」と喧嘩口調であいつはかみついてきた。まずい。なんでかさっぱりわかんないけど地雷を踏んだことだけは間違いない。
「愛を伝えるっていうのにそんなお手軽なもん使うわけないでしょ!あんた、バレンタインなめてんの?今日がどんな日かわかってる?」
ふんどしの日でもあるなんて冗談を言えばギロチンは免れない。いや、決して情報としては間違ってないけど問題はこいつが受け入れるかどうかであって、答えは言うまでもない。
「じゃあ、何買ってくればいいんだよ」
「カカオを買ってきなさい。ちゃんと品質保証されてるものよ。駅横の百貨店に置いてあったはずだからあたってみて」
「へいへい」と言って電話を切ろうとした俺に、ふと素朴な疑問が浮かんだ。
「買うはいいけどさ、どこで調理するんだよ。お前んちか?」
「安心なさい。私の家なんかよりよっぽどいい部屋を確保したから」
「まさか、家庭科室とか言わないよな」
ふん、と鼻を鳴らすあたり向こうは一仕事やり終えているようだ。電話越しの声をよく聞いてみると複数人の声が聞こえてくる。
「調理部の部長と知り合いなの。事情を話したら快く貸してくれたわ」
「顧問の了承も取れたのか」
「学校の近くに雀荘あるでしょ?先生、あそこの常連らしいのよね。私、偶然見ちゃった」
そう言ったあいつの声は愉快げに弾んでいる。顧問の教師相手に強請りを仕掛けるとか、お前は鬼か悪魔か。腕章に巻いているものが何であるかを己に問いただせ。
ともあれ、戦場は確保できた。後に二・一四事件と誰かに語り継がせたいこの物語、戦う武器さえ配給できれば勝ちどきを上げられるチャンスが芽生えたってわけだ。
いざ、メロスのように。スーパーから百貨店に向けて俺は走り出した。人混みをすいすい抜けていくと、スピーカーで「詐欺や不正業者にご注意ください」と訴える街宣車を横切って横断歩道をせっせと渡る。百貨店の入口扉を越えて案内板に目を通した俺は、エスカレーターで靴音を鳴らしながら目的地へと降りていった。
「いらっしゃいませ。なにかお探しですか」
お探しだから来たんです。と言える余裕のない俺はぜえぜえ言いながら「カカオを」と用件だけを伝えた。さっきスーパーで遭った状況に拍車をかけて奇異な眼差しを向けられる。
「いちからお作りになるんですか」
「愛を語るには板チョコ溶かすだけじゃ駄目だって、その、友達が言ってました」
要領を得ない回答をしてしまったと息を乱しながら後悔すると、驚いていた店員はうんうんと頷いてサムズアップを示した。この人、一体何に納得したんだ。
「そうよね!乙女一世一代の大勝負だもの。やるからには本格的じゃないとね」
待っててねと商品棚へ駆けていった店員はああでもないこうでもないと言いながら商品の品定めをはじめた。なにが良いかがわからない俺はただ見守るしか術がない。
やがていくつかのパックを両腕に抱えて店員が戻ってきた。どれがいくらぐらいの値段かも味の違いもさっぱりだけど、いずれにもCACAO BEANSと表記があるから望みの品であることは間違いないんだろう。
きょとんとする俺の様子を察してか、それぞれの違いを店員は事細かに教えてくれる。一通りの説明を聞いたところで「すみません」と席を外した俺は携帯電話を取り出して二度目のヘルプにすがった。
「なに?」
「望みの品がありすぎて困ってる。どれか選んでくれ」
聞いた通りの話をありのまま伝えて「で、どれにするよ」とあいつに聞いてみると感謝の声どころか妙な無言の間が生まれる。おかしい。俺は最良の仕事をしたはずなのに。
「大前提として確認しておくけど、ちゃんとローストしたやつってことでいいのよね?」
嫌な予感がした俺は店員の胸元に注目した。恥ずかしそうに商品で胸を隠して頬を赤らめる店員。違う。そっちじゃない。その腕に抱えたそいつに用がある。表紙ひとつひとつを見ていくとすべてにビーンズの英単語が書かれているけど、ローストの表記がない。
「あの……ローストされてるやつってないんですか」
俺の質問に店員は慌てながら所望の品を棚から探し出そうとした。その過程におけるひとりごとが「ああでもない」から「ない、ない、ない」に変わると、最後にはしょぼくれた顔になって両手でバッテンを作る。
「あのさ、えっと、言いづらいんだけどさ、品切れって」
「品切れ?ちょっと!それどういう……ああ!」
電話越しからどすんと鈍い音が聞こえた次には焦ったあいつの「大丈夫?」の声が何度も聞こえてくる。
「おい、どうしたよ?おい?」
俺の問いにあいつは答えない。緊急事態であることは疑いようがないので一旦電話を切った俺は、落ち着いたらかけ直すようメールを入れた。数分後にリダイヤルしてきたあいつの声は平静を装いつつも重い感じがする。その原因は第一声に凝縮されていた。
「この子、ショックで気絶しちゃったんだけど」




