佐藤沙織 薬の申し出
診察室で横になっている俊夫を見ながら、沙織は毛布に包まれた陽一を抱きしめ、ようやく息をついた。
腕の中で、息子の小さな体温が規則正しく脈打っている。その温もりを確かめるたび、胸の奥に安堵が広がる。
――助かった。本当に、助かったのね。
吉川先生は手際よく俊夫の処置を続けていた。包帯を巻き直し、脈を取り、体温を確かめる。その一つ一つの動作が、まるで儀式のように丁寧で確実だった。
「呼吸は安定しています。今は安静にさせましょう」
吉川先生の声は落ち着いていて、それだけで心が落ち着いた。
俊夫は診療台に横たわり、荒い息を繰り返している。顔色は悪く、汗が額を濡らしているが、それでも生きている。生きているだけで、今はそれでいい。
「沙織さん、とりあえず、俊夫さんはこのままで。随分と消耗しているようなので、そっとしておきましょう」
吉川先生の言葉に、沙織は小さく頷いた。
消耗している、それは確かにそうだろう。しばらくは安静にしておかないと。
その時、待合室の方から優しい声が聞こえた。
「お疲れでしょう。こちらで少し横になってください」
振り返ると、柔らかな笑みを浮かべた女性が立っていた。吉川先生の手伝いをしているという千鶴さんだ。
沙織たちが診療所に着いた時にも、暖かく出迎えてくれた。どうやら吉川先生が深夜外出から帰るのを待っていたらしい。
「そうですね、俊夫さんは私が見ているので、皆さんは身体を休めてください。梓さんも」
「はい」
梓は答え、陽一の手を引いて千鶴の後に続く。
待合室から廊下を歩き、奥の扉を開けるとそこは吉川先生のプライベートエリアのようだった。
小さな台所と、ちゃぶ台。奥には書架とベッドがある八畳ほどの部屋だ。この村には珍しく、フローリングの床にカーペットが敷いてある。
沙織も招かれるままに移動した。千鶴が温かい湯呑みを用意し、沙織の隣に腰を下ろす。
「大変でしたね……。でも、もう大丈夫ですよ」
その声に、張り詰めていた糸が切れた。
涙が溢れそうになるのを堪え、沙織は湯呑みを受け取った。
「これ、使ってもいいですか?」
「ええ、大丈夫ですよ」
ベッドの脇にたたまれた毛布を見つけた梓が千鶴に問いかけ、了承を得ると、その毛布をそっと広げて陽一の肩にかけた。まだ小さな体は震えていて、布越しに伝わる熱が頼りなげに感じられる。
「大丈夫。もう安全だから」
その優しい声に、陽一が小さく瞬きをした。怯えきった表情の中に、わずかな安堵が宿る。
「ありがとう……本当に、ありがとうございます」
沙織は震える声で礼を言った。梓は静かに微笑み、小さく首を振る。
千鶴が沙織の背中をそっと撫でてくれた。
その手の温もりが、胸に染みる。
「少し休んだら、何か食べ物を用意しますね。陽一くんも、お腹空いたでしょう?」
千鶴の言葉に、陽一が小さく頷いた。
その仕草に、沙織の胸が温かくなる。
――ここにいれば、大丈夫。
そう思えた。
しばらくして、沙織の胸に吐き気が込み上げてきた。
急に胃の奥がむかむかし、冷や汗が額を濡らす。
手を口に当て、必死に堪える。
緊張が解けてほっとしたから、気分が悪くなったのかしら。
「佐藤さん? 顔色が悪いですよ」
「す、すみません……少し、気持ち悪くて……」
千鶴がすぐに気づいて、背中をさすってくれる、優しい人だと思いながら沙織は震える声で答えた。
千鶴は優しく微笑み、ふと何かに気づいたような表情を浮かべる。
「もしかしたら、沙織さんも先生に診て頂いた方が良いかも知れませんね。色々大変だったみたいですし」
微笑みながら千鶴が言葉を続ける。
「ストレスがたまると、体調崩しますよね。私も……」
そこで千鶴の言葉が止まった。
何かに気づいたような表情で、沙織の顔をじっと見つめる。
「……もしかして、失礼ですが、最後の生理はいつでしたか?」
唐突な質問に、沙織の手が止まった。
「え……?」
千鶴は少し申し訳なさそうに続ける。
「吐き気があって、でも熱はない。それに、少し顔つきが……念のため、確認だけでもしておいた方が」
そういえば最後に生理が来たのはいつだったかしら?
千鶴の言葉に、沙織は記憶を辿る。
そういえば――引っ越しの準備に追われていて、気にしていなかった。
「……来てない、かも……もう……二ヶ月くらい……」
呟いた瞬間、胸の奥に小さな鼓動が生まれた。
千鶴はすぐに立ち上がり、診察室に向かって歩いて行く。程なくして吉川先生がやってきた。
「お話は伺いました。診断薬がありますので、お使いください」




