出会い 壱
もうすぐ夕暮れ。もうすぐ最期の停留所。
東京から随分時間がかかった。
エンジン音が、止まり、アナウンスが流れる。
「終点、虚木停留所です」
バスが走り去ると、停留所には梓だけが残された。
バス停の時刻表は、ほぼ白紙。
一週間に一度だけ街に行くバスが来る。今まさに梓が乗ってきたバスだ。
東京の空気とは全然違う。胸の奥までしみこんでくるようで、なんだか落ち着かない。のどの奥がちりちりする。
ベンチの下を見ると、古い段ボール箱が置いてある。中にはさつまいもや胡瓜がころころ入っている。まだ土がついていて、畑の匂いがする。誰が置いていったのだろうか。
「おや、新しい人じゃな」
いきなり声をかけられて、梓はびくっとした。
振り返ると、腰の曲がった老婆が立っている。薄汚れた紺の作業着に、色あせた手拭いを頭に巻いている。
顔は深いしわに刻まれて、小さな目が優しそうに細められている。しわだらけの手で箱から胡瓜を一本取り出して、にこにこしながら差し出してくれる。
「遠いところ、お疲れさまやったのぅ」
「あ、ありがとうございます」
知らない人からいきなり野菜をもらう。
東京では考えられない。
「村長さんのところまでお連れしとくけぇな」
夕方の坂道を、老婆の背中が進んでいく。梓の影が、その後を追う。
「おお、弓子さんのお嬢さんか」
田んぼのあぜ道から現れたのは、中年の男。背中に古びた猟銃袋を背負い、片手には羽根の乱れた山鳥をぶら下げている。血と羽毛の匂いが風に乗って漂い、梓は思わず息を詰める。
男はにこりと笑って、鳥を梓に差し出してきた。
梓の足が止まった。どうして母親の名前を知っているの?
「弓子さんの若い時によぉ似とる。新しい生活は大変やろうけぇな。こいつ、今朝仕留めたばっかりじゃ。持って帰って食べんさい」
いいながら男は山鳥の骸を差し出した。
「ひっッ!」
思わず小さな悲鳴が口から漏れる。
「遠慮せんと、さぁ、受け取んな」
受け取ることこそしなかったが、梓はその骸にそっと触れる。まだ温かい。赤黒い染みが滴り落ちそうになっている。
「……ま、まだ、あったかいんですね」
口から出たのは鳥の体温のことだけだった。
「まあまあ庄司さん、新しい人にそげなもん渡したらいけんが」
後ろから老婆があわてて口を挟み、男の腕を制した。
「胡瓜くらいならともかく、血のついたもんじゃ娘さんも怖がらすけぇ」
猟師は「はは、そりゃそうじゃ」と頭をかき、山鳥を肩に担ぎ直すと、にこやかに去っていく。
老婆はにっこりと梓を見て、柔らかい声で言った。
「うちも弓子さんには昔よう世話になったんよ。亡くなられたそうじゃな……」
やめて。母の話はしないで。
「弓子さんは本当に優しい方やったけぇな。あの方のお嬢さんなら、きっとこの村でもうまくやっていけるとよ」
「……そう、ですか」
それだけ言うのが、精一杯だった。鼻の奥に残る血の匂い。それが最初の村の印象だった。
バス停は村の南端。
村の中央には通り沿いに幾つかの商店が並び、そこを抜けて北に向かうと、小高い丘がある。
その先に、幾つかの家があり、その一番大きな黒光りする門の前で、老婆は立ち止まった。
「さあ、ここからは一人で行きなさい。村長さんには、きちんとご挨拶なさるのじゃよ」
老婆は笑みを浮かべた。
何故か三回、区切ったように笑う。
一人残された梓は、重々しい門を見上げる。門をくぐると、庭一面に白い砂利が敷き詰められている。立派な松の木が一本、風にゆらゆら揺れている。足音が砂利を踏むたび、じゃりじゃりと音がして、それだけで胸がきゅっと縮こまった。
残された梓が引き戸を開けると、奥から低い声が響く。
「弓子さんの娘さんじゃな。よぉ来た。まぁあがりんさい」
現れたのは、五十過ぎの男。深いしわに、落ち着いた威厳がある。彼が虚木村の村長なのだろう。
「お邪魔します」
通されたのは、広い居間。畳は新しく張り替えられたばかりらしく青い匂いが立ちのぼっている。壁際には古い箪笥が一つあるだけで、座布団は三枚だけ。人の暮らしの跡が見えないせいで、部屋はやけにがらんとしていた。
「矢野梓です。どうかよろしくお願いいたします」
座布団に正座し、頭を下げる。
「わしは村長の虚木清一ちゅうもんじゃ。弓子さんとは昔からの馴染みじゃけぇな」
また母親の名前。胸がざわつく。
「ここはいい村じゃ。あんたが不自由なく暮らせるよう、色々準備してあるけんな。この村は、あんたのふるさとでもあるんじゃけん。気兼ねせず何でもいうてくれ」
その時、後ろから一人の女の子が現れた。




