しゃがんでいる子供 壱
下校の時間。初等部の子どもたちが列をなして歩く。笑い声が絶えない。
――自分もようやく、この輪の中に入れたのかもしれない。
そんな風に思っていたある日。
帰り道、畑の脇のコンクリート縁に小さな影を見つけた。小学生くらい。全裸だ。膝を抱えて、しゃがみこんでいる。
「どうしたと? 梓」
健太が声をかけてくる。彼にはこの子どもが見えていないのだろうか。美穂もあゆみも気づいている様子はない。だが、子どもはそこにいる。
「そこに……子どもが……裸の……」
「そんなもんおらんじゃろ? 初等部の子は先に帰っとったやろ?」
梓はしゃがんでいる子どもに目を凝らす。
――何かがおかしかった。
背中の形が人の骨格と異なっていた。肩甲骨が肩より上に突き出している。全身が濡れていた。空は晴れているのに、服の裾から水がぽたぽたと落ちている。
「……大丈夫?」
声をかけそうになって、梓ははっとした。子どもは動かない。胸も上下せず、息をしている気配がない。顔を上げさせてはいけない。人間の顔ではない気がしてならなかった。
「今日は学校で畑仕事だったのね。お疲れさま!」
榊商店の千鶴が手を振っている。反射的に頭を下げる。振り返ると、そこにはもう子どもはいない。濡れた跡だけが、道に残っていた。
「今……子どもが……」
「丁度下校時刻ですもの。どうかしたの?」
「い、いえ、なんでも……」
取りすがる村人たちが微笑みかける。
そのときだった――通りすがる人々の笑顔が、一瞬だけ同じに見えた。目尻の上がり方。口角の角度。年齢も性別も違うはずなのに、判で押したように揃って見える。
梓の足が止まった。心臓が小さく跳ねた。
「梓ちゃん、どうしたと?」
近づいてくるあゆみの表情も、同じ角度の笑顔、同じ優しさの仮面に見える。
「みんな、梓ちゃんのこと大好きじゃからね」
「清音様……清音も、梓ちゃんのことようけ気にかけとるし」
「……様?」
聞き返した声に、あゆみが目をそらす。
何故だろう。
あの頃と同じ気配を梓は感じていた。
§ § §
翌日も、またその次の日も、同じ場所にその子はいた。
同じ姿勢で、同じように濡れたまま。
不思議なのは、ほかの誰も気に留めないことだった。誰も視線を向けない。まるで見えていないか、見ないふりをしているかのよう。
隣を歩く清音に尋ねても、クラスメイトに聞いてみても首を傾げるばかり。
――私だけに見えている、子ども?
三日目、梓はとうとう足を止めてしまった。
昨日までと同じ姿でしゃがみ込む小さな背中に、引き寄せられるように近づいてしまったのだ。
一歩。二歩。
靴の先とコンクリートの縁が一メートルほどの距離になったとき、子どもの背から何かが一斉に這い出した。
――目だ。
小さな目が、いくつも、背中に並んでいた。
黒目がちのそれが、一斉にこちらを見る。
「――ヒッ!!?」
目が合った――そう思った瞬間、世界が白く途切れた。
背中に並んだ小さな目が、いっせいに瞬いたように見えた。喉の奥が凍りつき、足の裏から体温が抜けていく。耳の遠くで誰かが名前を呼ぶ。清音、清音――声にならないまま、地面がゆっくり傾いてきた。
§ § §
甘い匂いで目を覚ました。
自分の家だ。
口元にガラスの縁が触れている。やさしく傾けられた瓶から、とろりとした液が舌の上に落ちた。濃厚な飴のような味わい。ほんの少し鉄の味が混じる。
「飲んで……薬よ」
「……これ、なに?」
訊ねる声はかすれていた。答えは返ってこない。清音の声は静かで、指は驚くほど冷たかった。その指が一瞬、わずかに震えたような気がした。
喉が勝手に動いて、二口、三口と飲み下す。胸の中の震えがゆっくりほどけて、指先に戻ってこなかった感覚が少しずつ戻る。
視界の端で、茶色のガラス瓶が赤黒く光った。
体を起こすと、畳の目が汗で頬に貼りついていた。自分の家だ。清音は座卓の端に瓶を置き、栓を指でたたいた。その動作が妙にぎこちない。
「……もう大丈夫」
断言する口調に、有無を言わせない力がある。けれど清音の瞳の奥に、一瞬だけ何かが揺らいだように見えた。梓はうなずいた。大丈夫、たぶん。
瓶を見て、胸の奥がきゅっとした。見覚えがある。引っ越しの段ボールにしまい込んだ、母の遺品の中――古い手鏡や写真の包みの下に、確か――。




