村の日々 弐
午後の授業は、学校から少し下った川べりの共同農地で行われた。
都会の学校ではまずない、農業体験の授業だ。
山の斜面を段々に切り拓いた畑一面に、背の高いトウモロコシが整然と並び、胡瓜の棚が風に静かに揺れている。赤く熟れたトマトが鈴なりになり、草いきれと青い匂いが混じり合っていた。
初等部から高等部まで、全校生徒三十人ほどが一斉に集まる。教師たちが列を整え、農家の藤吉さんが朗らかに声を響かせた。
「おう、今日はわしの畑でうんと働いて、しっかり汗かいて帰りんさい!」
教師たちが列を整えながら次々と声を張る。
「ほれ、並んで並んで! 今日はええ天気じゃけぇ、ええ実習になるで」
「列は崩さんと! 畝は真っ直ぐ歩きんさい!」
「……説明は一度しか言わんからな」
最後に、藤吉さんが片眉を上げて笑った。
「わしは藤吉言うてな。新ジャガ掘りなら任せとけ! ほれ、腰据えて掘ったら、ごろごろ出てくるけぇ! 小さくても甘うて美味しいんじゃ!」
四十代半ば、日に焼けた皮膚は革のように分厚く、腕には血管が浮いている。腰には手ぬぐいを差し込み、古びた麦藁帽子のつばをくいと上げ、歯を見せて笑った。
都会ではついぞ体験することのない、土に近い授業。梓は初めての体験に、胸の高鳴りを抑えることができなかった。
「見て! おっきい!」
初等部の子どもたちはトウモロコシの列へ。背より高い葉をかき分けて、ずっしり実った穂を抱きしめると歓声が上がった。黄色い粒が陽に光り、抱えた子の顔も輝いている。
中等部は胡瓜の棚へ。細い指で蔓をつまみ、ぽきんと折れると青い匂いが漂った。
「冷たうて、しゃきしゃきしとるじゃろ!」
その場でかじり、滴る水分を笑顔でぬぐう声が重なった。
赤く熟れたトマトも籠に盛られ、宝石のように光っている。夏の陽射しに照らされ、生徒たちは汗を流しながらも楽しそうに収穫作業に励んでいく。
§ § §
梓たち高等部は新ジャガ掘りを任された。
「梓ちゃん、こっち一緒にやろうと!」
あゆみが軍手をはめた手を引き、無邪気に笑いながら泥をはね飛ばす。
「見て見て、競争やで!」
顔まで泥を飛ばして、屈託なく叫ぶ。その笑顔があまりにも眩しくて、梓も思わず笑い声をあげてしまった。
「こっち側は重たいじゃろ? 僕が支えるけぇ」
健太は額に汗をにじませ、図鑑で覚えた知識を口にしながら、不器用にスコップを支えてくれる。
「新ジャガは小さいけど、甘いんじゃ!」
「梓ちゃん、こっちに力をかけてな。……そうそう、上手になっとるとよ」
美穂は頼もしい声で指示を出し、掘り出した小ぶりな芋を泥からきれいに拭って、籠に丁寧に並べていく。その世話焼きが妙に嬉しくて、梓の胸が温かくなった。
気づけば、自分の頬や髪まで泥がついている。あゆみがわざと泥水を跳ねかけ、「ひゃー!」と叫び、周りは大笑い。梓もとうとう声をあげて笑った。
東京にいた頃にはなかった笑い方。胸の奥が熱くて、涙が出そうなくらい楽しい。
少し離れた場所で、清音が静かにその光景を見守っていた。いつもの無表情に見える顔が、ほんのわずかに和らいでいる。風に揺れる髪越しの瞳は、まるで梓の笑い声を胸にしまうように、静かに光っていた。
泥だらけの手で額の汗を拭ったとき、清音がそっと近づいてきた。
「……汚れてる」
白いハンカチを取り出し、梓の頬についた泥を優しくぬぐってくれる。冷たい布越しに感じる指の感触に、梓の心臓がトクンとひとつ鳴った。
「ありがとう……」
赤面するのを自覚して、さらに赤くなっていく自分の頬を感じながら、震える声で礼を言う。清音はただ小さく微笑んだ。梓は視線を逸らせずにいた。彼女の指先が触れるたび、心臓が跳ねて呼吸が浅くなる。笑い声に混じって、胸の奥で別の熱がひそかに燃えていた。
少し離れた場所で、あゆみがその光景を見つめていた。手にしたスコップが、いつの間にか止まっている。
「清音、梓ちゃんばっかり構うんじゃないと」
あゆみの声は明るかったが、どこか棘を含んでいた。美穂と健太は気づかない程度の、微かな変化だった。
「みんなで一緒に作業したほうが楽しいとよ」
そう言いながら、あゆみは無理に笑顔を作る。でも、その目だけは笑っていなかった。




