解題資料編 エピローグ
並べた資料を見返していると、今更ながら幾つかの疑問が浮かび上がってきた。
まず、この資料は何故業火に包まれた村で、存在を許された?
まるで何者かの意図によって守られたかのように。
記憶を辿ってゆくと、不意にあの日の情景が脳裏に浮かんだ。
あの日。焼け跡の奥で。
俺たちは「それ」に出会った。
炭化した土を割りゆっくりと身を起こした焼けただれた女の死体。
その身体が歪み、裂け、赤黒く脈打つ臓物。ひしめき合う無数の眼球。蠢く肉の海。その奥底から囁き声が這い出してきた。
――あれが、にくゑ。
意識を失ったその瞬間から、俺の記憶は欠け始めた。彼女とどこまで歩いたのか、何を見たのか、どのページを拾い、どのページを落としたのか――白く上塗りされたように消えていった。
§ § §
今、俺は机に座り、断片を整理している。
封筒から紙片を取り出し、年代順に、出来事ごとに、筆跡で束ね直す。順番を並べ替えるたび、凍っていた部分がわずかに溶けていく。
思い出す。
村へ行ったことを。彼女と並んで歩いたことを。封筒に押し込んだことを。あの影を。
曖昧な記憶のまま、俺は日常を取り戻した。
唯一の救いは彼女が無事だったことだろう。
あれから何度か話すことがあったが、彼女も恐怖のあまり記憶を失っていたようだ。
俺と村に赴いたことすら覚えてはいない。
俺も彼女をいたずらに刺激したくはないと、あのことは話さなかった。
――悪夢は言葉の形でやって来る。夜ごと、枕元で囁きが積もる。
おかあさん――誰に向けられた声なのか、俺には分からない。だが、その声に反応する俺の手が、時々、他人のものに見える。
指の腹に小さな口が生え、紙の粉を啜っている錯覚。鏡に映る自分の喉の奥で、何かが影のまま呼吸している。
俺はようやく気づいた。俺もまた汚染の輪の中にいる。受け取ってからではない。封筒を作ったときから、もう。
恐らく、あの村であれに出会った時から。
だから、ここから先は希望を託す。
俺が順番を並べ直し、すべてを書き残し、そして――彼女に託す。伊織は有能なライターであり作家だ。資料を集め、目で見て、言葉で世界を固定できる。俺にはもうできなくなったことが、彼女ならまだできるかもしれない。
あそこで遭った恐怖の記憶を揺り起こすことは本意ではないが、もう彼女しかいない。
俺よりもずっと商業出版の実績がある彼女なら。
――それが原因で喧嘩もしたな。
くだらない俺の劣等感のせいだ。
だが彼女なら。
そう、これを記事に。
あるいは小説に。
人の目に触れ、警告をつくることが彼女になら。
夜道を歩く。手の中で封筒が脈を打つ。
懐かしい彼女のアパートの前に立つ。
表札の文字が夜気ににじんだ。俺はポストの金属の口を開く。封筒を差し入れる。落ちる音が腹の底で響く。
これが、俺に残された最後の希望だ。
闇の中で、封筒は静かに息を吸ったようだった。
§ § §
夜の街を彷徨う。
人目を忍び、誰もいない路地から路地へ。
生き物に出会ってはいけない。
意識は随分と朦朧としていて、常に酒に酔っているようだ。そして頭の中には常に声がしている。
腹にも目が生えてきた。肩には口。
俺が人でいられる時間も、そうは長くないだろう。
このままだと、俺自身が感染源になる。
病院に行くことも考えた。
しかし無理だ。真っ先に診察した医者が感染する。
その時、俺が俺でいる保証はどこにもない。
――そして今、俺は実家のガレージにいる。
最後の力を振り絞り、準備を整えるために。
目の前にはガソリンが詰め込まれた一斗缶。地下のここなら火災が広がることもなく、俺だけを、にくゑだけを焼くことができるだろう。
ああ、こんなことならさっさとヨリを戻しておけば良かった。
未練がましいが、俺はまだ彼女を愛している。
手の甲に生えた口が、にやりと笑みを浮かべたようだった。
だが、考えてみれば、創作者の端くれとしてはこれで良かったのかも知れない。
俺の集めた資料は、きっと世界を揺るがす。
それは本望だと言えることかも知れない。
君と俺の創作物が、世界を変えるかも知れない。
あるいは世界が変わるのを止めてくれるかも知れない。
それを見ることが出来ないのが残念だが――。
どちらにしても、現実を歪めるほどの創作になるに違いない。
俺の思いに呼応してか、手の甲に浮かんだ口がまたにやりと笑みを浮かべる。
だが、ここまでだ。
――後のことは頼む。
君になら、きっと……。
そう心の中で呟いて、俺はライターに火をつけた。
§ § §
そして嬉しいにくゑ二次創作を尾白景さんから頂きました。
https://kakuyomu.jp/works/2912051595194963397/episodes/2912051595195114643
宜しければ本作と合わせて是非ご覧ください。




