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にくゑ【ある世界が終焉を迎えるまでの道程。そして――】終焉の探偵  作者: カクナノゾム
第一部 にくゑ

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断片|最後の断片

 【焼け跡の民家より発見された日記より】


三月一日


 東京の池袋に居を構えてそろそろ半年になる。

 行きつけのお店や、バイト先も決まって何とか生活できているのはありがたい。

 

 今日は定期診断の為に近くの産婦人科に行ってきた。

 そこで、少し驚くような出会いがあったので書き記しておく。


 私と同じタイミングで授かった、若い女性。

 旦那さんらしき男性と一緒に待合室で座っていると呼び出しがあった。


「虚木さん、虚木洋子さん!」


 虚木!? 私は思わず二人に目をやってしまった。

 珍しい名字だ。

 その名字を冠する村から出てきた私には、彼らが他人とは思えなかった。


 若い奥さんの方は、私より少し年下に見える。柔らかい雰囲気で、お腹を優しく撫でながら立ち上がった。旦那さんは背が高く、がっしりとした体格。日焼けした顔に人懐っこい笑顔を浮かべて、奥さんの手を取っていた。


 診察室に入っていく二人の背中を見送りながら、私は胸の奥がざわついた。


 虚木。

 兄の、清一兄さんの名字。

 もう二度と関わるまいと決めて出てきた、あの村の字。


 でも、旦那さんの方が村の出身かもしれない。子供のうちに村を出た男性が、都会で家庭を持つことはありうることだ。女性が外に出ることは許されないが、男性なら――。


 私は自分の番を待ちながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。


三月四日


 昨日の夫婦のことが気になって、つい病院に電話をしてしまった。

 もちろん患者の情報は教えてもらえなかったが、受付の人が少し声を落として「虚木さんなら、今日も来ていらっしゃいますよ」と教えてくれた。


 気になる。

 この胸のざわつきが何なのか、自分でもよく分からない。


三月六日


 今日、病院の近くを通りかかったら、救急車が停まっていた。

 嫌な予感がして、つい受付に顔を出してしまった。

 案の定、虚木洋子さんが緊急搬送されたという。


 妊娠中毒症の疑いで、容態が急変したらしい。

 受付の人は困った顔で「原因がよく分からないんですって。先生方も首を傾げていて…」と小声で教えてくれた。


 私の手が震えた。

 分かる。

 分かってしまう。


 村で、同じことがあった。

 村の男性が、外から嫁を迎えた時。若い奥さんが妊娠して、原因不明の体調不良に苦しんだ。街から来た医者にも分からず、ただ衰弱していくばかりで――。


 あの時、にくゑ様の巫女――お母様が血を分けた。

 それで、奥さんは助かった。

 赤ん坊も無事に生まれた。


 私は受付の人に頼み込んで、虚木さんの旦那さんに会わせてもらった。


三月七日


 待合室の隅で、旦那さんは頭を抱えて座っていた。

 大柄な体が小さく見えた。


「あの……虚木さん、ですか」


 私が声をかけると、彼は顔を上げた。目は赤く、憔悴しきっていた。


「はい……あなたは?」


 訛りがない。

 村から出て随分経っている人なのは間違いない。


「私も……この病院に通っている者です。少し、お話を聞いてもいいですか」


 彼は戸惑った顔をしたが、頷いてくれた。


「旦那さんは、もしかして……山の方の出身ですか」


 その質問に、彼の目が見開いた。


「……どうして、それを」


「私も、です」


 小さく答えると、彼の表情が変わった。


「あなたも、あの村の……?」


「はい。虚木という名字、村長の血族の方なんですね?」


 彼は深く息を吐いた。


「そうです。俺は子供の頃、母方の親戚に引き取られて、こっちで仕事を見つけて……洋子と出会って。でも、今、洋子が…」


 声が震えていた。

 詳しく聞いてみると虚木姓ではあっても、かなり傍系の家だったらしい。

 それならば、儀式の前に村を出ていれば外で普通に暮らせる。

 ただ、多かれ少なかれ村で暮していた以上、この人の身体も――。


「医者は原因が分からないって言うんです。妊娠中毒症の一種だろうけど、どうしてこんなに急激に悪化するのか。薬も効かなくて。このままじゃ、母子ともに…」


 私は、彼の手を握った。


「お話があります。聞いてください」


三月十日


 医師を呼んで、三人で話をした。

 医師は五十代くらいの、経験豊富そうな先生だった。


「失礼ですが、あなたは患者のご家族ですか?」


「いえ、ただの知人です。でも、この症状について、知っていることがあります」


 私は、村での出来事を話した。

 もちろん、にくゑ様のことは伏せて。ただ、村特有の体質があること、それが妊娠時に問題を起こすこと、そして――解決法があることを。


「私の血を輸血すれば、症状は安定します」


 医師は眉をひそめた。


「輸血? それは何かの医学的根拠が?」


「ありません。でも、村では実際に効果がありました」


「馬鹿な。血液型も合致するか分からないのに、そんな民間療法を…」


「先生」


 旦那さんが、静かに口を開いた。


「このまま何もしなければ、洋子は死にます。お腹の子も、助かりません」


「しかし…」


「お願いします」


 彼は深々と頭を下げた。


「俺は村のことを、知っています。あそこには、科学では説明できないことがある。でも、それが本当に効くことも、知っています」


 医師は困惑した顔で私を見た。


「あなたが、その家系の…?」


「はい。私の本来の苗字は虚木です。本家の血筋にあたります」


 正確には、清一兄さんの妹だ。虚木直系の血を、私は引いている。


「血液型は?」


「AB型です」


 医師は看護師に指示を出して、洋子さんのカルテを確認させた。


「……患者もAB型です。しかし、これは正規の医療行為とは言えない。責任は……」


「私が取ります」


 旦那さんが言った。


「妻も、同じことを言うはずです。この人を信じたい」


 医師は長い沈黙の後、ため息をついた。


「……分かりました。ただし、これは実験的な処置です。何が起きても、私は責任を負えません」


三月十一日


 輸血は、今日の午後に行われた。

 極秘で。

 書類を何枚も書いた上でのことだ。


 私の腕から血が抜かれていく感覚を、ぼんやりと眺めていた。

 この血が、人を救う。

 村を出て、村の全てを捨てたつもりだったのに。

 私の中に流れるこの血が、まだ誰かの役に立つなんて。


 複雑な気持ちだった。

 嫌悪と、安堵と、そして少しの誇りが混ざり合っていた。


 看護師が「大丈夫ですか?」と心配そうに声をかけてくれた。

 私は頷いて、微笑んだ。


「大丈夫です」


 お腹の中で、梓が動いた気がした。


三月十五日


 洋子さんの容態が、安定した。

 医師も驚いていた。あれほど急激に悪化していたのに、輸血後、嘘のように症状が治まったという。


 胎児の心拍も正常に戻り、母体のむくみも引いてきた。


「奇跡だ」


 医師はそう言った。


「医学的には説明がつかない。でも、確かに効果があった」


 旦那さんは、私の手を握って何度も頭を下げた。


「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」


 涙を流す彼を見て、私も目頭が熱くなった。


三月十八日


 洋子さんが、病室で私を待っていてくれた。

 まだ少し顔色は悪いけれど、穏やかな笑顔を浮かべていた。


「弓子さん……本当に、ありがとうございました」


 彼女の目にも涙が浮かんでいた。


「あなたがいなかったら、私も、この子も……」


 お腹を撫でる手が震えていた。


「いえ、私は……ただ、知っていたことを話しただけです」


「いいえ」


 洋子さんは首を振った。


「あなたは、ご自身の血を分けてくださった。命を、救ってくださった」


 彼女は私の手を取った。


「この子が生まれたら、名前を真弓とつけます。弓子さんから、一字いただいて」


 私は、胸がいっぱいになった。


「真弓……素敵な名前ですね」


「はい。この子には、弓子さんのように、強く優しい人になってほしいんです」


 私は、自分のお腹に手を当てた。


「私の子は、梓といいます。もう、名前は決めているんです」


「梓ちゃん……」


 洋子さんは微笑んだ。


「きっと、素敵なお嬢さんになりますね」


「真弓ちゃんも」


 二人で笑い合った。

 お腹の中の子供たちが、まるで応えるように動いた気がした。


 § § §


四月一日


 今日、洋子さんから手紙が届いた。

 退院が決まったという報告と、改めての感謝の言葉。

 そして、連絡先が書かれていた。


『もしよろしければ、子供たちが生まれたら、会わせてあげたいです。真弓と梓ちゃんが、お友達になれたら素敵だなって思うんです』


 私は手紙を読みながら、涙がこぼれた。


 村を出て、全てを捨てたつもりだった。

 村の血も、村の記憶も、村との繋がりも。


 でも、この血が誰かを救った。

 そして、新しい繋がりが生まれた。


 梓。

 あなたが大きくなったら、この話をしてあげたい。

 あなたのお母さんは、村を出た人間だけれど。

 それでも、誰かの役に立てたこと。

 命を繋ぐことができたこと。


 私のお腹に手を当てる。

 梓が、小さく動いた。


 ありがとう。

 私を、母親にしてくれて。


 そして、真弓ちゃん。

 あなたも、元気に生まれてきてね。


 § § §


四月三日


 夜、窓の外を見ながら考える。


 村のこと。

 兄の、清一兄さんのこと。

 あの村で繰り返される、おかしな儀式のこと。


 私は逃げ出した。

 自分の意志で、あの場所を捨てた。

 二度と戻らないと、心に決めた。


 でも、この血は村の血だ。

 虚木の血だ。


 憎んでも、忘れようとしても、この体に流れている。


 それが、今日、誰かを救った。


 村の全てが悪いわけじゃない。

 村の全てを否定する必要もない。


 ただ、私は私の人生を生きる。

 梓と、二人で。


 そして、いつか。

 梓が大きくなって、真弓ちゃんと出会えたら。

 二人には、村の呪いじゃなくて、村の血が持つ力を――。


 いや、違う。


 村がどうとか、血がどうとか、そんなことじゃない。

 ただ、人と人が、支え合えたらいい。

 それだけだ。


 お腹の梓に語りかける。


「あなたには、幸せになってほしい」


 窓の外、池袋の夜景が広がっている。

 ネオンの光が、優しく瞬いていた。



(日記はここで途切れている。その後のページは、梓の成長記録と、病状の悪化を記したものへと変わっていく)

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