断片|村を出る日
【焼け跡の民家より発見された日記より】
八月十六日
明け方、荷物をまとめた。
持っていけるものは少ない。着替えが二組と、この日記だけ。
母さんはまだ寝ている。
起こさないように、静かに部屋を出た。
村の出口には、村長が立っていた。
怒られると思った。でも村長は、悲しそうな顔で私を見た。
「弓子、二度と戻ってくるな。どこまでも遠くへ行け」
そう言って、小さな封筒を渡された。中にはお金が入っていた。
私は一度も振り返らずに山を降りた。
背中の後ろで、村の笑い声が聞こえた気がした。
いや、あれは風の音。
そう自分に言い聞かせて、走った。
九月三日
東京は人が多い。
誰も私のことを知らない。村のことも、あの神様のことも。
それが何より嬉しかった。
アパートの窓から見える夜景は、村の火よりもずっと綺麗だ。
お腹の中に、新しい命がある。
この子には、あの村の影を踏ませたくない。
普通の女の子として、太陽の下で笑ってほしい。
村長が言った「弓子」という名。
しなやかに、強く生きろという願いが込められている。
私はその名の通り、この子を守り抜く。
十月二十日
名前を決めた。
「梓」にする。
弓の材料になる木の名前。
私を支えてくれたあの「弓」の心を、この子に託したい。
どうか、この子が自由でありますように。
呪いから、一番遠い場所で。
§ § §
(この後、弓子は東京で梓を産み、十七年間育てる。 そして梓が十七歳の時、母は病で亡くなる。 成人の儀を受けていない弓子の命は、村の外では長くはなかったようだ)




