祝災 弐
パチパチッ! と、炎の音が、海鳴りのように耳を満たしていた。夜空は赤く、空気のすべてが焦げている。
梓は足元の揺れに耐えながら、崩れ果てた祭壇の残骸から立ち上がり、振り返った。
炎の向こうに――清音と清一がいた。
――溶けてはいない。虚木の血が強制的なそれを拒んだのだろうか?
清一は焼け焦げた祭服のまま、竹杖を握りしめている。鈴が風に鳴り、煤に汚れた顔が赤い光に照らされていた。
その目だけが、まだ燃えていた。
「……これは……一体どうしたことじゃ? 何が、何があった!?」
清一の声は荒れ、どこか怯えていた。
「もう、終わりにしましょう、掟も何もかも」
「黙れ!」
瞬間、虚空に炎が爆ぜる。
夜空は赤く染まり、焦げた竹と血の匂いが入り混じっている。
地面は波打ち、祭壇は崩れ落ちていた。
梓は清音の前に立っていた。
愛する少女を守るように両腕を広げ、燃えさかる炎の壁を背にして、清一を見据える。
清音はその背に、すがるように立っている。
顔は蒼白く、はだけた巫女衣装の下から覗く皮膚の上では無数の“目”がゆっくりと蠢いていた。
息をするたびに、その目たちが光を反射し、小さな光の粒が彼女の体を走る。
それは美しくも痛ましい光景だった。
「……おまえら、何をした……」
清一の声は、崩れ落ちた世界の底から響いてくるようだった。
髪は汗と煤で張り付いている。
それでも、目だけは狂おしいほどの信念に燃えていた。
「何もかもを終わらせる! 井戸を焼けば、にくゑは暴走する――清音が教えてくれたのよ!」
「清音は巫女じゃ。神の声を聞く者が、村を裏切るはずがない……」
梓は一歩、前に出た。
炎の熱で肌が焼けそうだった。
それでも、引かなかった。
「違う。裏切りなんかじゃない――あなたが清音を“神”に捧げようとしただけ」
「黙れッ!」
清一が竹杖を振り上げた。
火の粉が雨のように散る。
「おまえは外の血じゃ! 穢れじゃ! 村を滅ぼす疫病神め!」
「外の血……? そうね、そう呼ぶなら呼べばいい」
梓は腕を下ろし、まっすぐに清一を見据えた。
「でも覚えておいて。私は――あなたの罪の形よ」
「……罪、じゃと?」
清一の声が、わずかに揺れた。
梓は一歩ずつ、瓦礫を踏みしめて近づく。
「弓子。あなたが愛した少女。そしてあなたの妹だった人。その人の子どもよ。私は!」
清一の竹杖が手から滑り落ち、鈴が転がった。
カラン、カランと、ありえないほど澄んだ音を立てて。
「そげな……ことが……」
「母は、先代の清音から産まれた、あなたの妹。あなたに子供が産まれなかった時、清音になるために生まれた、巫女の予備」
「弓子が……儂の……妹? そげな馬鹿なことが……」
「あなたの子供を宿した母は、祖父にこの村を追い出されたわ。だから、長く生きることができなかった」
「嘘じゃ! そげなことある訳がッ!」
「本当よ」
それまで黙って二人の会話を聞いていた清音がぽつりと漏らす。
「清音?」
呆気にとられたように問いただす清一に清音は静かに答える。
「――私、知ってたの。だって巫女は、にくゑ様の記憶と繋がってるから。おじいちゃんの記憶も、先代の清音も、ぜんぶ知っている」
「そげな……こと……」
清一の目が驚愕に開かれる。だがそれは梓も同じだった。知っていた? 清音が? それでも、私を選んでくれた?
「だから知っている。弓子さんが巫女の予備だったことも……お父さんが、あの人を抱いたことも……」
「……やめぇ……それ以上言うな……」
「言わなきゃ、母さんが救われない!」
梓が叫んだ。
長く話した反動だろうか、梓の背で清音が息を詰まらせた。
それでも、かすかに笑っている。
思えば、語っていた清音の声は震えて、痛みを押し殺すようだった。
「嘘じゃ……嘘じゃ……そげなことが……」
「本当よ……お父さん……」
梓が清一に言葉を投げかける。お父さん、と。
その言葉が、炎のざわめきを一瞬止めた。
清音は梓の背に手を添え、わずかに顔を上げた。
その瞳は涙で濡れている。
清一の顔が、炎に照らされて崩れた。
歪み、溶けるようにして膝をつく。
「弓子は……遠縁の娘で……あんなに儂を慕うておった……なのに、儂は……」
言葉が途切れる。
梓は、清音を守るようにさらに前に出た。
「私はあなたの罪の形」
繰り返す梓の言葉に清一の手が震えた。
顔を覆い、嗚咽が漏れる。
§ § §
「そうか……じゃから、おまえはにくゑ様の影響を受けなんだ。禁忌の……血を重ねる禁忌を犯して産まれた……儂の娘……」
「お父さん、もういいの……この村は犠牲の上に成り立つ理想郷だった。でも、もう終わりにしましょう……わたしと梓が、終わらせるから」
梓の背で、清音がそっと囁いた。
その声はもう、風のようにか細い。
清一が顔を上げた。
涙に濡れたその目が、炎の向こうで光る。
「……弓子の面影があるのう……」
梓は頷いた。
「ええ。私は母に似てる。でも同じ道は歩まない。清音を決して手放したりしない」
「姉と……妹で愛し合うんか……じゃが、それも今更じゃな………」
その瞬間、地面が大きく鳴った。
裂け目が走り、赤い粘液が地の底から噴き出す。
清一の足を呑み込むように絡みつき、引きずり込もうとする。
「掟を……守れ……!」
清一の絶叫が夜空に散った。
炎の粉が舞い、梓は清音を抱きしめた。
梓は目を背けなかった。
清音の手を握りしめる。
「もう、終わらせよう」
清音が頷く。
炎の中、二人の周囲で、地面から溢れた肉が群体の肉と合わさり波のようにうねり始めた。触手が伸び、二人の身体を捕らえる。
「あっ!」
叫びと同時に、梓の意識は闇に落ちてゆく。
――世界が崩れていく音が、地の底から響いていた。
§ § §
轟く業火の中を、ひとりの影がふらつきながら歩いていた。
白衣は焦げ、脇腹の傷から血が滴っている。
それでも、吉川の手は鉈を、離さなかった。
「――梓さんッ!!」
その声は火の咆哮に呑まれても、確かに届いた。
だが、吉川の視線の先で梓たちに炎に包まれた肉の群れが襲いかかり、それらはゆっくりと一つになっていく。
「今……そこに……行きます……ッ」
身体は重く、ほんの数メートルのその場所が、無限の様に遠い。
業火の中、そこに向かって吉川は足を進める。
自分の命が燃え尽きる前に、そこに辿り着く、そのことだけを念じながら。




