虚木清音 増えていく目
「また……増えとる……」
清音の体が急激に変化しはじめたのは、井戸で千鶴と宗次を見送った翌日からだった。
鏡に映る自分の顔を見つめていると、額の左側に小さな黒い点が浮かんでいるのに気づいた。虫刺されかと思って指で触れると、その点がゆっくりと瞬いた。
――目だった。
息が詰まる。鏡から飛び退いて、再び恐る恐る覗き込む。今度は額だけでなく、首筋にも、肩にも、小さな目がいくつも浮かんでいた。
慌てて手鏡を取り、背中を映してみる。そこにも無数の目が、まるで星座のように配置されていた。
どれも清音の意志とは無関係に瞬きを続けている。見られている。体の内側から、外側から、無数の視線に包まれている感覚に吐き気を覚えた。
清音は急いで部屋中の鏡という鏡を取り出し、全て布で覆った。姿見も、手鏡も、化粧台の鏡も。白い布で包んで、押し入れの奥にしまい込んだ。
でも、体の変化は止まらなかった。
翌朝、起きてみると、腕にも脚にも目が増えていた。お腹の上にも、太ももにも。まるで皮膚が別の生き物になってしまったようだった。
外に出ることができなくなった。
父の清一が心配して部屋の扉を叩いても、清音は返事をするだけで姿を見せなかった。
「清音、体調が悪いんか?」
「大丈夫じゃ。少し疲れとるだけじゃけぇ」
嘘だった。体調が悪いどころか、体そのものが自分のものではなくなっていく恐怖があった。それがとても辛い。
だが、一番辛いのは、梓に会えないことだった。
無事に回復したとは聞いている。でも会いたい。本当はお見舞いにも行きたかった。でも行けなかった。
きっと梓は心配している。なぜ学校に来ないのか、なぜ会いに来てくれないのかと。
でも、もうこの姿は見せられない。
まだ、少しでも綺麗なうちに梓と愛を交わせて良かった。
――人であるうちに。
胸の奥から熱いものが込み上げる。悲しさと愛しさと、切なさと。
あの人は私にとって特別。
巫女はにくゑと繋がっていて、あの中にある永遠を知っている。だが全てを知っても、やはり梓は、だからなのだろうか、特別だった。
梓を守りたいのに、今の自分こそが梓にとって一番危険な存在になってしまった。体中の目が梓を見つめてしまったら、きっと梓も同じことになる。
「梓……」
清音は膝を抱えて部屋の隅に座り込んだ。
愛している。誰よりも、何よりも。
でも、愛しているからこそ、近づくことができない。
この矛盾が清音の心を引き裂いていった。
§ § §
祭りも近い、あの夜から七日目の夕方、とうとう梓が訪ねてきた。
玄関から聞こえる声に、清音の胸は高鳴った。懐かしい、愛しい声。
「清音、具合悪いって聞いたけど、大丈夫?」
すぐにでも飛び出していって、抱きしめたかった。
でも、足が動かない。
代わりに清一の声が聞こえてくる。
「帰れ。清音は儀式の準備で忙しいんじゃ」
「でも、友達として心配で……」
「友達?」
清一の声が冷たくなった。
「友達じゃろうが誰じゃろうが、ならん。清音は巫女じゃ。今は精進潔斎の時、掟で誰とも会わせられん」
清音は部屋の扉に背中をつけて座り込んだ。
梓がいる。すぐそこに。
扉一枚隔てただけの距離に、愛する人がいる。
手を伸ばせば届きそうなのに、絶対に届かない。
「……清音?」
梓の声が近づいてくる。玄関から清音の部屋の前へ。
「聞こえる? 私、梓よ」
清音は扉に手のひらを当てた。きっと梓も反対側で同じようにしているのだろう。
「会いたい」
梓の声が震えていた。
「私も」
清音は声に出さずに呟いた。でも、言葉は扉を通り抜けない。
――でも……会えない。
しばらく沈黙があった。梓が何か言いたそうにしているのがわかった。
「……無理しないで。元気になったら、また一緒に学校行こうね」
優しい声だった。責めもしない、急かしもしない。ただ、待っていてくれるという約束。
「ありがとう」
清音はやっと声を出した。扉越しでも、梓に言葉を届けることができた。
梓の足音が遠ざかっていく。玄関で清一と短い挨拶を交わし、家を出ていく音。
清音は扉にもたれたまま、涙を流した。
愛しているのに、愛しているからこそ、傷つけてしまう。
自分がわからなくなった。




