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にくゑ【ある世界が終焉を迎えるまでの道程。そして――】終焉の探偵  作者: カクナノゾム
第一部 にくゑ

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112/207

榊千鶴 三年前の出会い

 それは、千鶴がこの村に来て三年目の冬のことだった。

 千鶴がこの村に嫁いだのは、偶然だった。

 いや、宗次に言わせれば「運命」だったのかもしれない。

 あれは三年前。千鶴が旅行で近隣の町を訪れた時、道に迷った彼女を助けたのが宗次だった。


 無骨で寡黙な男。方言の強い喋り方。日に焼けた肌。

 都会育ちの千鶴とは何もかもが違う人だった。

 けれど、彼の不器用な優しさに、千鶴は惹かれた。


「……東京は、息が詰まるんです」


 別れ際、千鶴はそう呟いた。

 親の期待、周囲の視線、息苦しい日常。

 そこから逃げ出したくて、一人旅に出たのだと。

 宗次は何も言わなかった。

 ただ、名刺の裏に住所を書いて渡してくれた。


「……もし、逃げる場所が要るなら、うちに来るとええ」


 その言葉が、千鶴の人生を変えた。

 半年後、千鶴は本当にこの村を訪れた。

 東京での生活に限界を感じ、宗次の言葉を思い出したのだ。

 村人たちは、外から来た若い女を見て、揃って笑顔で迎えた。

 ――あまりにも揃いすぎた、同じような笑顔。


「ようこそ」

「待っとったよ」

「ここで暮らすんかね?」


 その親切さに、千鶴は戸惑いながらも安堵した。

 けれど、宗次の表情は硬かった。


「……千鶴さん、この村は、普通じゃない」


 夜、二人きりになった時、宗次は真剣な顔で言った。


「ここには掟がある。笑顔を強いられる。夜道の真ん中を歩かにゃいけん。そして……外から来た者は、村に"捧げられる"ことがあるんじゃ」

「捧げられる?」

「詳しくは言えん。でも、危険なんじゃ。もし、本気でここに残るなら……わしと結婚してくれんか」


 千鶴は息を呑んだ。


「結婚すれば、村の一員として認められる。わしの妻なら、誰も手ぇ出せん」


 それは、プロポーズというより、命を守るための契約だった。

 千鶴は、少し笑った。


「……それって、私を守るためですか?」

「……ああ」

「だったら、喜んで」


 二人は、村の小さな社で結婚式を挙げた。

 村人たちは笑顔で祝福してくれたが、その目の奥には、何か冷たいものがあった。


 ――宗次が、村で最も浮いた存在だと思い知ったのは、結婚してからだった。

 彼は掟を守らなかった。

 夜道を端に寄って歩き、笑顔を作らず、村の集まりにも出なかった。


「何で掟を守らないんですか?」

 ある日、千鶴が尋ねると、宗次は低く答えた。

「……榊の血筋はな、村長の虚木家の分家なんじゃ」

「分家?」

「昔、この村を治めとった神官の家系。虚木が本家で、榊はその分かれ。じゃけぇ、わしらには……"あれ"への耐性があるんじゃ」

「あれ?」


 宗次は、どこか遠くに目をやる。


「にくゑ、って呼ばれとる。この村の地下に棲む、何か。村人はみんな、あれと繋がっとる。笑顔も、掟も、全部あれを鎮めるためのもんじゃ」


 千鶴は息を呑んだ。幾ら何でも荒唐無稽だ。しかし夫となった人の表情は真剣だった。


「でも、榊の血筋は違う。耐性があるけぇ、あれの影響を受けにくい。じゃけぇ、村の"群れ"には馴染めん。みんなと同じように笑えん。同じように感じられん」


 宗次の目には、孤独が滲んでいた。


「……わしは、ずっと一人じゃった。この村におっても、どこか違う。村人はわしを避けるし、わしも村が怖い」

「でも、私は……」

「お前は違う。お前は、まだ"外"の人間じゃ。じゃけぇ、守らにゃいけん」


 宗次は、少し寂しそうに笑った。


「……でも、こんなことを言うても、お前もいずれ忘れてしまうんじゃろうな。村におれば、みんなそうなる。外から来た者も、だんだんと村に馴染んで……そして、忘れる。わしが何を言うたかも、何を恐れとったかも」


 千鶴は、宗次の手を握った。


「私は忘れません。あなたが教えてくれたことを」

「……そう言うてくれるんは、嬉しいわ。でも、村の力は強い。それでも、わしはお前を守る。お前が忘れても、わしが覚えとく」


 千鶴は、宗次の手を強く握り返した。


「私も、あなたと一緒にいたいです。一人じゃ、寂しいでしょう?」


 宗次は、初めて穏やかに笑った。

 村人たちは、宗次を避けた。

 千鶴にも、時折冷たい視線が向けられた。

 それでも、二人は支え合って生きた。

 小さな商店を営み、静かに暮らした。


 ――そして、あの冬が来た。

 雪解けを待つ前の、冷え込みの厳しい朝。


「榊の旦那が、木に押し潰されたんじゃ!」


 血相を変えた村人が、商店に飛び込んできた。

 伐採中の事故。

 大木が倒れ、宗次の胸を押し潰していた。

 千鶴は、何も考えずに駆け出した。

 雪の中を、息を切らして走った。

 森の奥で、夫が倒れていた。

 胸は歪に陥没し、呼吸は浅い。


「宗次さん!」

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