ジャングルの中の谷に「生きろ」と響く銃声の記憶
このエピソードは、もともと小説の前の部分にあったもので、抜き出して独立した話としても紹介していますが、本小説の主人公たちのライラ・マー到着前のエピソードとして挿入することにしました。
ジャングルへ旅立つ日、読者に思い出してもらいたいイベントに近づいて来たからです。
昭和の戦後と呼ばれる時代に建設された古いビルのなかにあるレストランは時空間が歪んでいて、そこだけが過去のある時間帯を繰り返している。亡霊の記憶がそのレストランの時空間を形作っているのだ。
登場人物たちは、亡霊の記憶の時空間と過去に現実であった時空間とをつなげているレストランを、何かの目的をもって一緒に行き来しようとする。
それは歴史を変えてしまうかもしれない危険な行為だ。そう分かっているはずなのに。
===ジャングルの中の谷に「生きろ」と響く銃声の記憶===
北西の山岳地帯で戦っていた日本兵たちは、最短距離をまっすぐに南下できず、大きく東に迂回してから、川沿いに下ってアングンを目指していた。
既に英印を中心とする連合国軍が日本軍の防衛線の中央を突破し、南方を支配下に置いて退路を遮断していたからだ。
マラリアだろう、高熱で山から滑り落ちたと思われる日本兵二人を少数民族の村人数名が山仕事の帰り道で発見した。
一人は足が変な方向に曲がっていた。それでも登ろうとしていたのだろう。崖をよじ登ろうと木の根にすがるような姿勢で既に硬直していた。
もう一人は、熱で頭が働かない中で大怪我を必至に避けようとしたのか、或いは単に運が良かっただけなのか、断崖絶壁を落ちてきたのに、全身が擦り傷だらけだったが、大怪我はしていない。
村人は行き倒れた日本兵を村に運んだ。看病しようとしたのだ。
その日本兵の名を小野寺征人という。
上等兵だった。
だが、その日本の傷病兵小野寺征人は翌朝になると床を抜け出し、村の入り口に倒れていた。
熱でさまよい出たに違いない、と村人はもう一度床に運び込んだ。
すると翌朝も、また小野寺は前日と同様に病床を抜け出し、今度は家の前で倒れているのを発見された。
それは何度か繰り返された。
何としても原隊復帰をしたかったのだろう。
当時は病気だろうが負傷だろうが、隊から落ちこぼれて取り残されてしまえば脱走と同じ扱いをされた。
戦時の戦地では「恥」だった。
仲間が、戦友が戦っている現場に参加することが、日本人、日本兵としての悲壮な義務であった。
だが、敗走している今の原隊復帰は日本に帰る唯一の方法であり、心の拠り所だった。
生き残ることと同義であったに違いない。
村人が
「今度日本軍が通る時に一緒に連れて行ってもらえば良い。今は養生が大事だ」
と何度も説得して、やっと小野寺征人は村に世話になることを承知したという。
しかし村のそばを日本軍は一度も通らず、戦争が終わる。
罰よりも生き恥を恐れたのだろうか。
小野寺征人に重大な心の変化が起きていた。
帰りたい一心で、病身を押して養生の床を抜け出しても、原隊に縋りついて帰ろうとしていた日本に何故か戻ろうとは、露ほども思わなくなっていた。
それがなぜなのかは、小野寺自身にも分からなかったらしい。
日本に帰らない決心をした元日本軍上等兵は村に残り、言葉を覚え、嫁を貰い、内戦が始まったその国で日々を生きた。
そして、対立する部族から、村と村民を守るのが天に与えられた責任のようになっていた。
村の大人たちは小野寺に戦い方を教わり、子供達は日本の歌や物語を教わった。
だから村の子供たちは小野寺に懐いて、戦いの無い日はいつでも、何処にでも、ついて行った。
小野寺は、何処に行くにも何処で話をする時にも、行き倒れた時に肌身放さず持っていた愛用の三八式小銃と一緒だったという。
ある時期から、少数民族であるその村は敵の襲撃を避けるため、ジャングル各地を転々と移動するようになっていた。
そんな村に、敵の部族に包囲され、多くの村民を逃がすために、誰かが残って時間稼ぎしなければならない日が来た。
村の守り神として戦ってきた小野寺征人元日本兵がリーダーとなり、少数の村人とともに戦うと残ってくれたという。
その最後の日に
「『おとなになったら、これでお前が村を守れ』と託してくれた愛用の銃がこれだ」
といって、村長が三八式小銃を見せてくれる。
元日本兵は愛用の三八式小銃の代わりに村人から古い猟銃を受け取ると
「行け、生きろ」
と言ったという。
年取った村長は、その元日本兵がどんな顔してをして「行け、生きろ」といったのか、今では思い出せない。
村の英雄の顔で思い出すのは、村で彼が日本歌だと言って「赤とんぼ」の歌を教えてくれた時、「ここには赤とんぼはいないな」と言って笑った時の笑顔だけだという。
村長は、子供だったあの日、村から遠く離れて、大人と一緒に谷川の沢でしゃがみ込んで、聞いた英雄の最後の日の銃声を忘れないという。
パーンパーンパーンと数発の音が村から聞こえてきて、それが他の多数の戦闘音となり、やがて静かになり、最後の一発がパーンと木魂した音を今でも忘れないそうだ。
最後の銃声は、敵が「村の英雄」に下した止めの一発に違いない。
村の人々も、村の子供たちも、それを聞いた全員がそう思った。
その銃弾は凶弾だっただろう。村の英雄を殺したのだから。
だが、そこに居た村人はそう考えなかったという。
銃声が、村の英雄が最後に言った日本語
「生きろ」
と聞こえたからだ。
それからというもの、若い村人に危機がせまるたびに、谷から「生きろー」という声が何度も木魂して聞こえ、村人を励ましてくれるという。
八十島海人がこの話を聞いたとき、その老爺は卒寿に近かったはずだ。正確な年齢は老人にも分からなかったという。
当地の人々の平均寿命は短く、還暦を越え古希に至る人は少ない。
先の大戦で散華された日本人の遺骨収集が困難な理由の一つである。
戦場の記憶は伝説か怪談として残されるのみである。
ここは日本ではない。
他国の他人の土地なのだから死生観も死者の扱いも弔い方も異なる。
でも日本の名もなき勇者に対する敬意は本物だ。
地元の年寄りたちがする日本兵と過ごした日々の昔話。積み重なっていく昔話がいつしか伝説となって、旧大日本帝国将兵たちは現地のあちこちで尊敬されていた。
いや、いるのだろう。
今も。




