交換船龍田丸での旅
昭和の戦後と呼ばれる時代に建設された古いビルのなかにあるレストランは時空間が歪んでいて、そこだけが過去のある時間帯を繰り返している。亡霊の記憶がそのレストランの時空間を形作っているのだ。
登場人物たちは、亡霊の記憶の時空間と過去に現実であった時空間とをつなげているレストランを、何かの目的をもって一緒に行き来しようとする。
それは歴史を変えてしまうかもしれない危険な行為だ。そう分かっているはずなのに。
いよいよ昭和十七年の船旅です。海人と紅葉の関係も変化があると思います。お楽しみください。
===龍田丸===
龍田丸右舷甲板上の八十島海人の独白
さて、ようやくや。
目と鼻の先には海がある。
神戸港の海やけど。
海は繋がってる。
そしていよいよ僕らはその神戸港から出る便船でライラ・マーに向かおうとしてる。
「昭和十七年十月十五日神戸発」
我慢も昨日で終わった。
他の乗客が船の左舷に集まって、港で見送る人々と挨拶を交わす中、紅葉と僕は空いてる右舷側で手すりに手をかけて海を見とった。
「昭和十七年十月十五日十五時神戸発、いよいよ出発だあー」
まあ、それに今日からは夫婦の設定やから船では間違いなく同室。
ちょっとぐらい役得があってもええはずやろう?
訓練中にそんなけしからん不謹慎な想像をすることで、缶詰め状態での不本意で憂鬱な訓練を乗り切ったんゃ。
やっと、ついに、乗船に漕ぎ着けた。これで楽なる。
僕は鬱が晴れ少々躁状態になっとったようや。
出港の日付を二度も口に出すと、紅葉が小声で
「夜は引き続き勉強を続けます。浮かれて気を緩めないで下さいませ」
なな、なんとこの女は心の中読めるんか!そんなはずあれへん。
無言の行、無言の行と心で呟く。
=== === ===
昭和十七年、西暦千九百四十二年のこの時期、既に船旅は危険だった。
五月には広島の宇品港から民間人を含む千三百六人を乗せた大洋丸が長崎県男女群島近くの東支那海で米潜水艦グレナディアー等の雷撃を受けて沈没していた。
この事件では当時昭南と呼んだシンガポールに向かおうとしていた多数の技術者・営業マンらを含む乗客、軍属、船員他八百十七名が殉難している。
その中には台湾烏山頭ダム建設で有名な八田與一も犠牲者の数に含まれている。
大洋丸は単独で航海をしていたわけではない。
他の僚艦四隻と、特設砲艦北京丸及び駆逐艦峰風を護衛に船団を組んでいた。
それでいて悲劇に遭遇したのだ。
しかも、六月の初旬にはミッドウェーで日本帝国連合艦隊が手痛い打撃を負っている。
いまや日本本土を離れた日本船に安全な場所などない状態だった。
だが、奥山紅葉と令和の情報機関だけでなく、元中佐が率いる昭和の情報機関も沈没する運命の船がどの船なのか、それをあらかじめ知っている。民間船も軍船もだ。
だから目的地に無事に着いたと分かっている船を選べば良いということになる。
但し、当時の人々に怪しまれてはならない。そういう条件で。
二人が乗り込んだ船は英国との間で交換船として用いることになった龍田丸だ。
交換船とは交戦国同士の間で、お互いの敵方国に取り残された外交官や駐在員、留学生などを交換帰国させるために運航された船のことをいう。
帝国郵船の龍田丸は「太平洋の女王」と称された当時の基準でいう豪華客船だ。
もう一隻鎌倉丸という船も豪華客船で同じ目的で同時期に出港している。
「日英間の取り決めにより、上海、サイゴン、シンガポール及びアングンで保護している英国人とその他連合国の国籍を持つ者で帰国希望者及びその帯同した家族などの一時在住者を、指定されたポルトガル領東アフリカ、ロレンソ・マルケスを交換地としてそこに送る。航路の安全を保障されたし」
と連合軍諸国に通知済みだ。
通知の内容は航路・出港日・船名・船の特徴。
それに船体に大きな白十字を描き、それを夜間は照明で照らし、航行中は周囲の軍艦・基地に対して定期的に現在位置を通報しながら航行するのである。
ちなみに、英国の敵国人になった日本人やタイ人らを乗せる予定の英国側の交換船も二隻が同時期に出港することになっている。
エル・ナイル号が英国本土から、シティ・オブ・パリス号が英領インドから出港し、西アジアやアフリカにある英植民地領を転々と寄港しながら、龍田丸と同じく交換地ポルトガル領東アフリカ、ロレンソ・マルケスに向かう。
龍田丸には、数人の日本陸軍と海軍の将兵が、航路上の敵国船舶の動向や港湾状況を監視する目的で「運航乗務員」として乗り込んでいた。
それに交換される人々には外交官や商社や商会の駐在員が多く、その中には少なからず諜報の専門家が居ると思ってよい。
船に乗った英国人や米国人は当時の豪華客船龍田丸の料理を振舞ってもらえると予想して、快適で優雅とまではいかないまでも不自由なく航海ができると楽観した人も多かった。そう思う。
残念ながら、そうはならなかった。
だが未来からの訪問者は、この船が無事目的地に着き、恙なく母港に帰港したことを知っている。
彼らを含めた関係者に絶対に不信を抱かれてはならないのだ。
たとえ未来人が大きなことをしでかさなくとも、彼らがその時代に出現するだけで何らかの影響が生じているはずなのだ。
蝶の羽ばたき(butterfly effect)は小さければ小さいほど良い。 他者に気付かれて事が大きくなる事態は極力避けねばならない。
とはいえ、龍田丸が神戸から出航することとなったのは八十島たちに幸いだった。
当初はもっと早い時期に横浜から出港の予定だったからだ。
八十島が昭和十七年の世界で実際生活している人と会うのは、須磨海岸から出た道路で会った、くろがね四起を運転してきた兵士が、初めてで、その時は会話の機会は与えられなかった。
二人目はオリエンタルホテルの支配人(の名札を付けた紳士)で何度も遭ったものの、食事の感想と挨拶ぐらいしか会話を交わしていない。
=== === ===
八十島は今朝、交換船龍田丸に乗るために港に徒歩で移動したのだが、奥山紅葉にしゃべるなと言われて、それから一言も発していない。
そうしてやって来た中央突堤に、懐かしいくろがね四起があの兵士と一緒に待っていた。
兵士が車の後部を覆った幌をどかして、荷物を渡してくれる
「やあ、またお会いしましたね」
「これには船内でご入用の物一式が入ってます」
の短い二言は、それぞれ紅葉が、くろがね四起の運転兵と八十島に発したものだった。
八十島と兵士は互いに笑みを交わしただけで一言も発しなかった。
船室に荷物を置いて船のデッキで港の慌ただしさを眺めていると、やがて交換船に乗る英国人らの団体がやって来た。
警官が即席の護衛の人壁を作る中、龍田丸の乗務員であろうか、団体は白い制服の士官に引率されて乗船しだしたのが見えた。
「反対側に行きましょう」
と紅葉。
「この時を以て緘口令は終了です。もうしゃべっていいですよ。日本語でしゃべる機会は少なくなりそうですけど」
「なるほど」
この右舷では後ろに保税倉庫群と居留区街が、前には港口が見えている。
港口の先は海だ。
ライラ・マーに繋がっている。
龍田丸右舷甲板上で八十島海人が声を出す。
「昭和十七年十月十五日神戸発」
「昭和十七年十月十五日十五時神戸発、いよいよ出発だあー」
===龍田丸船内===
船が出て神戸港から離れ、中央突堤の見送りや警備の人間が見えへんようなると船室に戻って受け取った荷物を確認した。
見た目が重そうで実際重かった旅行鞄はトランクが二人分で二つ。
僕のはこげ茶の使いこんだ風情のある皮のトランク。
紅葉のは当時女性に流行の柳行李の特製トランクや。
軽そうに見える。
僕のトランクの中身は、替えの背広・カッターシャツ・下着・靴下。それにラグビージャージー、当時の闘球服のことや、これらは全て木綿製品。
他に、どす黒く切餅のような配給の石鹸・歯磨粉(文字通り粉)・髭剃り用の安全カミソリ・櫛と丹頂チック・薬類(赤チン、胃薬、下痢止め、マラリア予防薬、包帯、ガーゼ)といったものがはいっている。
重要なのは現金と軍票や。 足りるのか不安で紅葉に尋ねると
「金だけでなく必要なものは現地に必要なだけ用意してございます。そこにあるのは他人に不審に思われない用心のものです。商工省の役人が現金や軍票を扱い慣れていなかったり、金欠だったり、まして、初めて見るような様子だとスパイを疑われることでしょ」
と小声で返事をした。
なるほど、ホテルでの訓練だけでは足りないことがありそうやし、密室のように思える船室内でも言動に注意しなければならんらしい。
夕食は大勢の英国人・連邦国民と一緒にとった。
ただし、我々の近くの席は誰も座ろうとしなかった。
彼らには得たいの知れない存在やったに違いない。
スパイや思われとったんやろう(ほぼその通りやけど)。
もっとも上海に着く前には汚物を避けるようなわだかまりはなくなっとった。
交換船では中立国の外交官が交換監視員として乗船する。
この龍田丸では西班牙大使館の書記官が務めとった。
その西班牙人交換監視員が八十島夫婦の表の事情を知っていて、船内で姿を見かける度ごとに声をかけてくれたんや。
実は、龍田丸に便乗できたのは西班牙大使に恩を売ったおかげなんや。
在日西班牙大使の娘が英国人男性の帝都物産社員(現地雇い)と結婚し英領ライラ・マーに駐在し続けとった。
その娘と婿殿を戦争が激しくなる前に、日英の利害から中立で安全な場所に移したいとの親心に応えるために、内密で相談を受けた帝都物産と日本陸軍の幹部(実は元中佐の情報機関)が、来月から軍需省として衣替えする予定の商工省で働くエリート官吏の八十島海人を、帝都物産に出向派遣し現地に駐在させ、英国人と西班牙人の夫婦を中立国に移そうと提案したんや。
交換や。
帝都物産にしても、戦争で解雇を余儀なくされた敵国系人材を中立国の西班牙に温存し、その娘と娘の親の母国西班牙に恩を売れるやろ。
戦後の英国ともいい橋渡しになるやろう。
その若手官僚は英国で教育を受けラグビーで鍛えられ、しかもライラ・マーに詳しい人材という触れ込みや。
そんな人間に代わってもらえるなら現地駐在事務所の負担にもならへん。
軍や将来の軍需省ともコネができる。
帝都物産はそう考えたんやろな。
「英国人夫婦(西班牙大使の娘と英国人の婿殿)が確実に龍田丸に乗れ、身の安全を確保できる手配をしてくれたのが英国で教育を受けたこの方たちです」
大まかに言うたら、そんな話が西班牙人の交換監視人から、英国人と英国連邦人に伝わったんがよかった思う。
娯楽が無う護送のような雰囲気で始まった船内において、その船内でちょいちょい見かける人のおもしろい噂話やゴシップ。それにうまい食事ほど興味を引くものはあれへん。
僕ら八十島夫婦は乗務員以外で交換船におる希少な日本人やったし、英国人と並んでも長身で体格がええ(日本人ばなれした大柄な)夫婦でめっちゃ目立っとった。
ラグビー選手(当時の日本でいう闘球選手)という触れ込みも良かった。
毎夜毎夜、日本や連合国の軍艦から魚雷攻撃を受けて沈没しておぼれ死ぬような想像をするより、嘘でも、人を信じたくなる話、人を助けるために犠牲になる話や恩を受ける話を聞いて心を和ませる方が(本当に信用するかどうかは別として)精神衛生上よいに決まっとる。
そうそう、戦時の誤射ほど怖いもんはない。
この龍田丸にも史実ではアフリカ大陸の近傍で、日本の潜水艦から魚雷攻撃を受ける、その寸前まで行って、難を逃れたという記録が残っとる。船体に大きく十字が描かれていて、観測員が発射直前でその目印に気付いたのが幸運で、事なきを得たんや。
そういうわけで、英国人等とも気軽な挨拶ぐらいは交わせるようになり、汚物のように避けられることはなくなった。
ただ親密に話をするというのは、旅の最後まで無理やった。
作者として説明しよう。
平時において、豪華船「太平洋の女王」龍田丸で提供される料理は絶品と評判が高かったが、この交換船任務で女王の名を穢さずに済んだのはやはり料理のおかげだったろう。
だが、航海の全行程において乗り込んだほぼすべての人が水に苦労させられた。
龍田丸の客船としての定員(三百三十人)は神戸港を出る時に越えていた(三等船室だけで五百人)。上海、柴棍、と寄港し、昭南を出港する頃には客船としての定員を遥かに超えて、最終的に三倍ほどの人(九百二十八人)を抱えることになっていたのだ。
この数字には極秘の便乗者である八十島らは含まれていない。
人が増えるにつれて、客室が他人や他の家族と共用になり、船内では水(淡水・真水)が節約の対象になった。
当時の客船においては、もともと真水、淡水は主に調理や医務やボイラー水の補給に使われるためのものだった。入浴や洗濯に使われる水は基本は海水だ。
そのこと自体は通常航行時と変わらないが、九百二十八人の需要を満たすとなると真水・淡水が全く足りない。
そもそもボイラーによる淡水製造能力が一日数十トン程度しかない。
そのため、入浴(淡水シャワー)は、今まで週三度だったが、週二度になり、月木、火金、水土、それぞれの組み分けが行われ三百三十人(定員と同じ人数)が、交代で入浴した。
そうすることで入浴に関してはほぼ平時と変わらぬサービスができるはずと思うかもしれないが、調理と飲用の水、医務、洗面、洗濯等の淡水利用の需要は乗員が必要とする度ごとに生じるので、やはり定員の三倍かかることに変わりない。
そこで、その需要分を節約できる所から節約して供給するしかないというわけだ。
それで入浴と洗濯と洗面がその対象とならざるを得なくなった。
他の徴用船では週一度のケースもあったと聞くから、交換船はまだこれでも比較的待遇が良かったと言えるかもしれない。
龍田丸のデッキ上にある一等客室群には各個室に浴室があり専用浴槽とシャワーと洗面所、トイレが付いていた。
二等室のある中層階フロアーは客室と客室の間に二室共用の浴室があった。その中にシャワー付きの小さな浴槽と洗面所が設置されトイレもあった、使用する時は鍵をかけて個室として使う。そのため浴室を共用する客室二室は全て男性同士、女性同士と二室ごとに男女別で構成されていた。
ただしフロアーの両端の客室のみは専用バスルーム付きになっていた。
船の下層部にある三等客室ブロックでは、それぞれのフロアー全体に三等客室共用シャワーブースゾーン、洗面所トイレゾーンが男女別でいくつか分散して設置されていて浴室浴槽は一つも無かった。
さて、八十島海人と紅葉は昭南を過ぎてから、次のアングンで乗り込む件の西班牙大使御令嬢夫妻に明け渡すため一等船室を出て上級乗務員用の二人部屋に移動していた。
その部屋は等級としては二等船室だが、部屋専用の小さな浴槽付きシャワーが利用できる。だから他の二等乗客から見たら、特別に贅沢な部屋と言ってよい。
その豪華客船にあっても数少ない浴槽に、何をどうしたのか淡水のお湯を四度も張れることになり、奥山紅葉がこっそりと3人の英国人女性とその子供を淡水風呂に招待している。
もちろん秘密裏で許可を取ってある。
誰に許可を得たのか、そもそもボイラー係や給配管係やらをどうやって抱き込んだのか、八十島海人は知らない。
だが、小さい浴槽とは言え四度も浴槽を満杯にできる淡水を手に入れたという事実を知り驚いた。
とんでもないトリックを、いや、工作を行って成功したに違いない。
とにかく上手くやったものだと八十島は深く感心した。
紅葉が招待した彼女らは、その当時の西洋人なので他人と一緒に入浴する習慣はない。つまり順番に浴槽に入るのでその度ごとに湯を張り替える必要があり時間がかかるのは仕方がない。
彼女らの入浴と着替えのための時間と空間を確保しなければならない。
だから八十島はその間、部屋を追い出されることになった。
そういうわけで自分の船室とその浴槽付きシャワーが使えない八十島は三等のシャワー室に向かうことになった。
その三等のシャワーブースを八十島がその日その時間に使えるよう手配したのも奥山紅葉だ。
奥村紅葉とは何とも恐ろしい工作員である。
日本人と交換されるために交換地に向かってる英国人たちにとって、不思議な便乗者である八十島海人は、その三等客室共用シャワーブースの一区画にいた。
===八十島海人の龍田丸シャワー浴===
全裸で区画のシャワーヘッドの下に立つと「SEA」て金属刻印された水栓を開けると、直ぐに生ぬるい海水が勢いよう落ちてくる。
いつもこの役立たずめと罵りながら使う泡立てへん石鹸、こいつは配給品だ。いつも体に石鹸を使って流すんは石鹸の泡やなしに石鹸カスだけや。粘土そのものと言ってよい石鹸カスを流すんは、まったく腹が立つし労力と時間の無駄やからな。
今日はこいつを使うんを諦めて、そのかわり入念に手拭いでごしごしといつもより強う体を擦ることにする。
まず、海水シャワーの下で髭を剃るが皮膚を傷つけると海水が染みるんや、そやから逆剃りはせんと、多少の剃り残しを容認して、むさくるしくない程度に整える。
からだ洗いは、丈夫な皮膚がある部分はこれでもかと力入れて手拭いを使う。デリケートゾーンはそれなりに、褌を穿くようになって鍛えられたけどな。
木綿布が全身の汗と垢を落としたと自分の成果に納得するまでごしごし洗うたら、次は足元に置いたった下着を洗う。
これも汗と汚れと匂いを落とすんは石鹸やない。我が鍛え抜かれた腕力や。
洗うてる下着は今の今まで着とったもの、今日の「替え」はブースの外に置いとる。
むろん下着は褌で、洗濯するんが楽で着け心地もよい。
褌は日本で生活しとった英国人にも評判が良うて、この船にも愛好者が思たより大勢いると分かった。
上は木綿の長袖や。無地の闘球服、英語で言うラグビージャージや。何日か前から、これ一着で残りの船旅を乗り切ることにした。
カッターシャツは二着しかあれへんし、あの石鹸では汚れが取れにくいから上陸日までは着いひん。
さて、一通り汚れが落ちた、これ以上は汚れが落ちるどころか生地を痛めて穴をあけてまうと、そう観念したとこで、水栓を閉め海水の驟雨を止める。
今度はF.W.(Fresh Water)と記された淡水用の水栓を開ける。
シャワーヘッドに残った海水が淡水に押し流されてまう数秒を待ってから、今度は勢いのない淡水の水滴を逃せへんように、隅々に届くように、躰の位置を入れ替えながら、丁寧に一通り毛髪と体を濯ぐ。
そして手を伸ばして、持ってきたちっちゃな金盥の洗面器にシャワーからの淡水を入れて、まず手拭い、つぎ下着の順で手早う濯ぐとその水をほかして(捨てて)、もっぺん洗面器にシャワーの水を入れてから淡水シャワーの水栓を閉めた。
シャワーが止まる音は次の順番を待つ人への「もうすぐでっせ」の合図や。
淡水で湿らした手拭いで一度体を拭く。
次にその手拭いを新しゅう入れた洗面器の水にもっかいつけて、今度はきつーう絞ってから、もっぺんその手拭いで体をふくんや。
淡水は本当に貴重やねん。
入浴を終えた僕は「替え」を身につけて洗面器の金盥に洗い立ての洗濯物をはみ出させてシャワー室を出た。Good Day, Good Luck. May you be blessed with an abundance of fresh water.と金盥に一杯洗濯物抱えた次の順番待ちの英国紳士と挨拶を交わす。
洗濯に足るだけの淡水出るかなぁ?良き日と幸運を祈るよ。豊かな真水に恵まれますように。
『淡水風呂に入りたいなー、できたら紅葉さんと夫婦水入らずで』
と思いながら僕は娯楽室になっている食堂に向こうた。あと四十分くらいは時間潰さんと部屋に入れへんねん。まだ英国のご婦人方が使用中やからね。
=== === ===
この海水シャワー浴こそが当時の船旅での標準だった。
船のボイラーによる淡水製造能力が一日数十トン程度なので、戦時ではなく平時でも、一等客室の浴槽向けに淡水を用いるのが他の客室と差別化されたサービスとなっていた。
ちなみに当時のシャワーヘッドは真鍮で出来ていて比較的腐食しにくく、必要の都度に取替を頻繁に行っていた。
そういうわけで、龍田丸では上海から先の航海は淡水のシャワーは週二度までが船上生活の日常になっていたのだ。
でも海水だけはふんだんにあって時間内は使い放題だった。
===洗濯でも事情は同じ===
豪華客船の面目を保っていた頃は洗濯物は乗組員に渡せば、その道のプロに洗濯室で洗濯してもらい、アイロン掛けまでしたものを翌日には受け取れた。龍田丸のランドリーサービスはきめ細かさで海外のお客様にも大評判と喧伝されていた。
だが、交換船にそのサービスはなかった。定員の三倍を超える人々を詰め込むためだ。
結果、上海以降の「女王」龍田丸南支那海・印度洋の旅は、淡水が使える時間帯には全ての洗面スペースに洗濯物を抱えた人が列を作り、さながら南支那海洗濯ルーズの様相を呈していた。
===奥山紅葉、龍田丸で洗濯する===
八十島の三等シャワー室使用の数日前のこと。
奥山紅葉はあてがわれた部屋の浴室の浴槽で洗濯をしていた。
使える水は海水ですし、手洗いです。
配給品の石鹸は泡立ちが良くありません。
ほぼ粘土で出来ているのですから、誰かさんみたいに役立たずと罵ってもしょうがないというものです。
それでも皆が少しでも清潔を保とう、汚れを落とそう、そう思って躍起になって揉んだり叩いたりブラシで擦ったりしています。
わたしもそのひとりです。
旅行鞄に日本製のタワシを入れて持ってきた先見の明ある英国人もいるというのに、日本人のこのわたしは、、、ああタワシが恋しい。
よし、奥の手です。
浴用石鹸を少しだけ、元中佐に情報工作用にと。十二個入り一箱で受け取った資生堂石鹸。その中から、ひとつだけまるごと、洗濯用に使わせてもらいましょう。
そうだ、これはタワシとも交換可能ではありませんか。
タワシを余分に持っている人がいたら、これで交換を持ち掛けましょう。
白のシュミーズに白のブラウス、下着も含めてこの時代の肌の上に着るものは、本当に白でなければ薄手の色が多いのです。
洗わないと黄ばむし、黄ばむと目立つのです。
特にこの船は男の人が多いのでその目も気になります。
襟や袖口が汗で染みになっていないかと。
海水で洗ったブラウスですが、真水で良く濯げないので乾くと塩が吹きだしてしまいます。
淡水の蛇口は、決められた時間だけ開くので、さっと水を通すのがやっとなものですから。
塩が吹いたブラウスにシャツ。靴下や下着や、ホントに何でも乾けば塩だらけです。
部屋の中で叩いてできるだけ落とします。
充分落としたつもりでも、塩で擦れるのでしょう、首や肩やその他あちこちがヒリヒリします。
おまけに客室の床の上も寝台も塩だらけ、ベッドでなくて日本語で寝台と言いましょう、その寝台の上の毛布も白い粉だらけです。狭い寝室に紐を張って干すしか場所が無いのですから。干した洗濯物から塩が落ちるのです。
八十島様、いや、この旅ではわたしの旦那様という設定ですので「海人さん」ですね、夫の海人さんも苦労しています。
なにしろ夫はカッターシャツニ着でこの航海を乗り切らなければいけないのですから。
ちなみに二人とも上着は上陸まで着ないことにしました。洗えませんし、龍田丸で有名だったあのランドリーサービスも無いのですから。あら、失礼。日本語で洗濯奉仕所?でしたか?
サービス業そのものが物資不足で日本の国土から消えてしまうような時代ですからね。サービスという概念すら日本人の生活から消えそうなんです。
そうそう上着の話をしてました。
最初の二日ほどは食事の時にだけでもと、豪華客船の格式に合わせて上着を着ていたのですが、お行儀より日々の生活の質が大事です。
だから上着は黴てしまわないように時々ブラシをかけて上陸日まで衣文掛けにかけておきます。
そう、ハンガーではなく衣文掛け、英国人に囲まれて生活してもなるべくその時代の日本語を使いましょう。
そうだ、今、いいことを思いつきました。
この資生堂石鹸です。
戦時も李香蘭さんを宣伝ポスターにして売っていました。船内では超高給品でしょう。
これをうまく使えば、魚心あれば水心で淡水風呂を実現できるかもしれません。
「高級石鹸があれば淡水風呂さえも」
やってみる価値はありそうです。
=== ==== ===
紅葉の淡水風呂実現のあおりで三等シャワー室を使った八十島は、この時間は談話室になっている食堂で一時間半ほど時間をつぶし、船室に戻る。
ドアが施錠していないと気付いて、何かあったのかなとノックして、答えを待たずにすぐ入ってみた。
すると、さっぱりして寛いでいると思っていた紅葉が奥の浴室で洗濯物と格闘している。
選択に夢中でノックが聞こえなかったのだろう。
===八十島海人 紅葉の洗濯に立ち会う===
紅葉が浴槽に向かって膝をついて、両手をいれて何かを擦っとる。
下着姿・・・半裸で。
「淡水風呂は、どやった。寛げたかいな」
「気持ちよかったです。でも、これは絶好の洗濯機会ですよー。これを逃していつ洗濯するのー。と思ったら、のんびり湯船に浸かっている場合じゃないと。それで何度か頭までざぶっと真水の湯に浸かった後、湯船を飛び出して裸のまま洗濯をしはじめてしまったのです」
いつもより言葉が柔らかいし弾んでる。機嫌もこの上なくよさそうや。
目の前に長身の紅葉が半裸の後ろ姿を露にしとる。
両腕を肩までたくし上げたシュミーズを腰回りで紐で絞ってるだけや。
ズロースを穿いとんやろうか?
この時代はパンティは下着が見えるショービジネスの踊り子ぐらいしか穿いてない。
普通の日本女性は腰巻や。海外に行く女性や良家の子女が洋装をする際はズロースを穿く。
紅葉さんはズロース穿いてないかもしれん。普通のズロースは膝上まで隠すからね。
紅葉さんのシュミーズの裾がひらひらする度に両太腿が丸見えや。臀部を隠し切れずにはみ出しとる半球が、薄暗い浴室で、幽かに揺れながら白く光っている。
客室から浴室に光が差し込んどるんや
「それで一所懸命なって浴槽で洗いもの?それ濯ぎなん?ほんまに濯いでるだけ?石鹸入ってるやんな。泡かて出てるもん、しかしよう泡出るな」
僕は紅葉の横に回りながら話しかける。泡の出る石鹸なんてどこから手に入れたんやろ?
紅葉が膝をついて浴槽の洗濯物を両手で水にグイッグイッと押し込んでいる。押し込む度に浴槽のヘリに当たった双丘がプルッと揺れ、ムニュと潰れる。
何度かプルッとムニュを繰り返した後、
「流石に、この環境下で、わたしだけが、淡水を洗濯に、使うのは、罰が当たると、そう思って、洗濯は全部、海水で済まし、ました。でもいつも、濯ぎが十分できません、からね。それで、一所懸命、今淡水で濯いでいる、ところ、なんです」
力を入れ、フン、フンと息を詰めて力を込めながら、押し込んどる、そのたびにフン、フンと息を継ぎ、双丘がプルッとムニュを繰り返す。揺れて形を変えるだけなら良いのだが、上からはみ出すかもしれへんな。
浴室の床の上をひらひらしとるシュミーズの裾からの半球も心配や。ムフフという心配やけどな。
「せやけど油断し過ぎやで。部屋の鍵は開けっ放しだし下着姿やし」
紅葉は浴槽から一枚、布地を外に出して、立ち上がると、両手で広げながら僕の方を向く。
「ああ、Mrs. Johonsがお子様を連れてお帰りになる際、忘れ物の受け渡しでバタバタしてしまいまして、で、うっかり。私はもう浴室に入っちゃってまして、裸だったもの、ですから」
形のいい両太ももが僕の木綿製のカッターシャツの下に露になっている。
カッターシャツを洗うてくれとった。そっちも有難いこっちゃ。
僕のカッターシャツを通して紅葉のシュミーズの裾の広がりが太ももの周りに作る影が濃く(元の時代のアイドルの)ミニスカートを下から見ているような錯覚に陥る。
両腿と脹脛の正面は輝いて白く、その外とその内の奥に向かって少しづつ影が濃くなっている。
シュミーズの下の滑らかな皮膚の表面は、紅葉が姿勢を変えるたびに、柔らかに太陽の光で輝きが変わる高原になびく草花のようだ。目が離せない。
触れると弾き返されてしまう張りと、抱擁からたやすく抜け出してしまう滑らかな感触を想像する。
「本来戸締りを確認すべき部屋の主が浴室に入って脱衣してもうたから、鍵を賭ける人がいてへん。そうなっちゃたちゅうわけや」
紅葉がカッターシャツを絞る。二の腕が眩しい。絞ってしわくちゃになったシャツを今度はパンパンと両腕を広げて延ばし、はたく。その目には殺気と表現したくなるような真剣な「気」が宿っている。
眼福や、光り輝いとる、眩しい、奇跡の絶景や。
「せやけど不用心やネ。この部屋が乗客が通れへん一番突き当りでよかったなぁ。ほんまに、ところで、浴槽のお湯は」
「石鹸で泡だらけですが淡水です。泡だらけのお湯に浸かってしまいますとまた濯ぎの上がり湯が必要になりますよ」
「むむ、遅かったんか」
「淡水のお湯がまだ出るかもしれません。それを確かめてみませんと」
「よしわかった」
僕はその場で急いで全裸になって、石鹸が泡立っとる浴槽に入り、勢いよくF.W.の水栓を開けた。
頭から暖かい淡水の驟雨が降って来よった。
三等シャワーの淡水とちごうて勢いがありよる。
まだ淡水湯を浴びれると分かった紅葉は、頼りない端切れのようなシュミーズを着けたまま、僕の入っている狭い浴槽に入ってくる。
二人はシャワーを顔に受けながら目を見合わせて笑みを交わす。
立ったままで、肌を寄せあい、出来るだけ密着してから、口を吸いあい、手を互いの背に回して、愛撫を交わしながら、一緒に贅沢に生ぬるくなってきた淡水を浴びる。
そのシャワーの水滴、一滴一滴が不思議にキラキラと輝き始め、ふたりの肌を伝わり落ちながら浴室全体を照らす。
「余り近づくと綺麗な顔しか見れへんから少し残念や」
「わたしの目だけを見つめて下さればわたしの全てが見えるかも知れなくてよ。海人さん」
浴槽の栓は足で抜こう。服をすすいだ水は流すんや。今は互いの人肌の心地よさだけを確かめるんや。
ふたりの足元で金色に光る水と泡が渦を巻いている。
太白当船明似月
船の外では月のように明るい星がひとつ輝いている。
ライラ・マーのアングン港到着まであと三晩。
史実の龍田丸は神戸港ではなく横浜港を出航しています。
また、交換船として使用された時期も、この小説よりもっと早く、昭和十七年の9月には交換任務を終えて横浜に帰港していました。
本小説では10月神戸出航で二度目の交換があったらという可能性を匂わせています。




