因幡風(いなばかおる)と因幡結枝、因幡槙葉の姉妹の秘密
戦後に建設された古いビルのなかにあるレストランは時空間が歪んでいて、そこだけが過去のある時間帯を繰り返している。亡霊の記憶がそのレストランの時空間を形作っているのだ。
登場人物たちは、亡霊の記憶の時空間と過去に現実であった時空間とをつなげているレストランを、何かの目的をもって一緒に行き来しようとする。
それは歴史を変えてしまうかもしれない危険な行為だ。そう分かっているはずなのに。
稲葉姉妹の思いこそが隠れ家レストランの秘密と不思議の原因だと分かってきます。
===因幡風のこと===
「あらためまして因幡結枝と申します」
「因幡槙葉です」
「うちらは因幡風の妹のほうの孫になります。大伯父のかおるは戦後無事に日本に帰還して、結婚したものの子ぉはのうて、妻に先立たれて国を出て一旗揚げようと勝手知ったるライラ・マーに来たんです。ここでは、主に日本から進出しようとゆう企業向けに人や物や土地、それに現地情報を提供したりして、手広う商売をしとったて聞いております」
と結枝。
「このビルを建ててからはホテル業と貸事務所が事業の柱になったそうです」
と槙葉。
「結枝さんと槙葉さんがこの事業を継いだんは風さんからなのでしょうか」
と僕は最初の質問をした。
姉妹は若そうや。
奥山紅葉さんより若くみえる。
紅葉さんが二十歳ぐらいなら十七、八ぐらいにしか見えない。そんなはずはないんやけどな。
しかし女性ちゅうんは見かけだけでは年は分からんもんや。
それを初対面で聞くのは不作法というもんやろ。
「いえ、うちらの祖父の「村雲」が因幡家に養子に入り因幡風の妹である祖母の「松」と結婚して大伯父から事業を相続しましたんや・・その祖父が相続後数年で胃がんやゆうて亡くなり、うちらの父が事業を継ぎ、そいでうちら姉妹です」
と槙葉。
「うちらの父は貴方とおんなじ名前で海人いいます」
と結枝。
「なるほど」
と僕はさも納得したように答えた。
年が分からんちゅう事だけは分かった。
大伯父の風さんから直接事業を継いだなら、かなりの年寄や。
我ながらアホな質問やったなー。
姉妹の年を推しはかる魂胆は美女に対する個人的興味と受け取られかねんな(実際その通りなんやけど)。
やめた。
年齢の追及は止め、本題に入ることにしよう。
僕は
「風さんとライラ・マーとのご縁は戦中のこととお伺いしています」
と因幡風についての問答を始めた。
因幡風氏は当時スマゴトにあった俘虜収容所で英国軍捕虜に与える物資の調達管理をする兵士だった。
兵長を務めていた古参兵だ。
兵長と言っても訓練や鍛錬と言った教育を任された部下の兵士はいない。
その代わり徴用された軍属の民間人が何人かいた。
現地で実際に物資を買い集めたり日本から取り寄せたりするのは、民間出身の軍属と呼ばれる人々だからだ。
民間の商社や商会と連絡を取り、自身が所属する第三十三師団向けの補給物資と担当の俘虜収容所に入用の資材を仕分けする仕事が因幡兵長に与えられた任務だった。
もともと外地で兵站部経由で物資を移動配布する部署は地元の商売人の身分のまま、都合良く軍属に徴用された者が多く、軍に所属の俘虜収容所でも軍人、つまり兵隊さんは数えるほどしかいなかった。
内訳は数人の将校とその下に数名の下士官か兵士が付くだけだった。
担当の将校と下士官・兵士は出入物資の帳簿付けと在庫管理が主な仕事である。
実際に物資を動かすのは軍属。
その軍属は担当の将校の監督下にある。
下士官、特に兵長は部下に訓練教育を行う直接の責任者だったので、軍属の不始末は兵長の不始末とされた。
それだけに目を配る範囲は広かった。
言い換えれば、軍属がやらされることは雑用も含めて多種多様だった。
因幡氏の仕事上の付き合いは次のような人々である。
〇第三十三師団の直属将校
〇地元スマゴトに軍と一緒に進出した日本の商社や商会の支店や出張所の社員。
〇地元を商圏にしようと新たに事業を試みる野心を持った個人商店主(当時日本国籍のタイハン人が多かった。兵役を免除されていたという理由がある)。
〇地元民が経営する零細な商店主。
〇僧侶
〇その他、とにかく師団の補給を維持するに必要な、ありとあらゆる雑事の窓口となる人々。
そこで先に述べた通り、軍は小人数の軍人を窓口に充てて、その窓口で帳簿管理をしていた。
実際に人・物・金を動かすのは日本の商社や商会、個人商店に属する会社員や商売人であった。
軍は彼らを軍属として都合よくその任にあてていたのだ。
ある時、俘虜収容所で部下として使っている軍属が菊盾俱楽部という現地の社交クラブ(実際は慰安所)で泥酔して寝ているところを捕まった。
容疑は無断外泊。
捕まえたのは憲兵で無断外泊容疑の取り調べは憲兵隊が行うのだが、部下逮捕との連絡を受けた件の因幡兵長は部隊所属の少尉と一緒に、捕まった容疑者や相手をした酌婦、酌婦の雇い主である倶楽部関係者から事情を聞き取ろうと現場に向かっている。
そんな記録が軍の日誌に残る。
同様の記録が菊盾倶楽部の帳簿人の日記にも残っている。
軍属の不始末の面倒を見るのは本来の物資補給調達という業務の本筋からすれば雑務だが、先に述べた通り兵長は部下に訓練教育を行う直接の責任者だ。
しかも軍令厳しき陸軍。
責任を問われるのは部下に訓練教育を行う直接の責任者の兵長だ。
また、放置しておけば、部下は営倉入りで人手不足の本来業務にも差し支えるというわけだ。
軍は自己完結を旨とする組織で、誰かが責任を負うのだから、下士官か兵長が動くことになる。
遠く日本を離れた地で味噌や豆腐を食べたいという兵士の要望にも軍は応えねばならない。
味噌は日本で味噌玉を作り、豆腐は豆腐屋を地元に呼び寄せ現地人を使って作らせようとしていた。
だが、豆腐の方は地元に豆腐が有ったことで、日本の豆腐屋は要らなくなった。
豆腐屋を家業として豆腐を作っていた職人が軍に少なからずいたので日本風の豆腐の作り方を現地の豆腐屋に教えるだけで済んだのは有難かったろう。
軍と一緒に付いてくる日本人が多くなると日本人向けの店も需要が出てくる。
百貨店も映画館も必要だ。
それらも日本から来た商社や商会と地元の不動産を持つ有力者を結びつけて事業にする。
因幡氏一人でやったわけではないが商社商会の軍属と一体になって八面六臂の活躍だ。
そんな地元民との交流の中でサウンガウという竪琴を習ってその名手になった話も有名らしい。
戦後になってこの馴染んだ場所を根拠地に商売を始めて成功したのも頷ける話だろう。
そんな活躍の中、先の軍属の話に出てきた菊盾倶楽部で、ある日、営業時間が決まっているにも拘らず、時間外、それも深夜に倶楽部を訪れた下士官が酌婦に同衾を断られたことに激高して(飲んでいたのだろう)刀を振り回して、店の経営者らに取り押さえられるという珍事件が発生して、軍の日誌と倶楽部の帳簿人の日記の両方に触れられている。
怪我人はいない。
関係者は驚いたし大騒ぎしただろうが大ごとにしないで済ましたと思われる。
その事件に、どういう訳でだろうかだろうか、因幡氏の名前が出てくる。
その「作り話」は戦後日本の隣国タイハンとの間で外交問題化した、いわゆる「従軍」慰安婦問題としても取り上げられたことで有名になった。
===酔っぱらって切りかかってきた軍曹の話===
関係者の証言者によれば
ある日酔っぱらった下士官が来て、その慰安婦が生理の最中であったので、断ったところ、その下士官は「嘘をつくな」と怒って日本刀を振り回してきたという。
彼女ら慰安婦は日頃から「○○ピー」「○○人のくせに」と言われることも多かった。
だから、そのとき彼女は、やまとなでしこもむくげの花も、カタバミの花も、この戦時に同じ場所に偶然居合わせて、健気に咲く花ではないか。だから、兵隊さん、差別しないで欲しいと思って
「をみなへし咲きたる野辺を行きながら どうしてあちきを亡き者にと?同じ大日本帝国に咲くおみなえしではないかえ?どうしてそんなにあちきたちだけを軽く見ようとするの?むくげの国に咲くおみなえしも可愛がってくれなんしー」
と歯向かったところ、その酔っ払いは彼女に突如日本刀で切り付けて来ようとした。
彼女は無我夢中で刀を奪い、気が付いたら、その下士官の胸を刺していたという。
その下士官は死に、彼女は軍事裁判にかけられたが、正当防衛が認められて、無罪となった。
証言者は言う
「『酔っぱらって切りかかってきた軍曹を逆に殺した事件』は当時の地元でたいそう同情を集めてなぁ『○○(彼女の名前)を救えー』という軍人や慰安婦関係者のデモまでありなんしてなぁ、軍法会議であちきが無罪になったときには、仲間だけではのうて大勢の日本帝国軍将兵が挙って喜んでくれんした」
と。
「この話に出てくる軍曹は、もちろん因幡氏とは別の人ですねぇ。因幡氏は軍曹ではなく、兵長。それに因幡氏は戦後を生き抜いてこのビルを建てとんのですから。この『慰安婦に正当防衛で刺殺された軍曹』て因幡風氏が別人やというんは誰の目ぇにも明白なはずです」
と僕は続けた。
「しかしこの菊盾倶楽部で起きたトラブルは因幡氏がいつも保護者のように事情聴取に関与しとったようです。それでちゅうわけやないのすが、いつの間にかこの人物が因幡風氏であるかのような言説が広がったんですね。特にあのむくげの国で。あの空想物語好きの慰安婦すら因幡氏の名前を証言した形跡が、ないというのに」
と同情的に言い終わろうとしとったら。
因幡結枝と槙葉、それに奥山紅葉が顔を見合わせてため息をつく。
「うんざりです」
と結枝。
「その答え合わせが目的なのですね」
と奥山紅葉。
「『またその話ですか』です」
と槙葉。
続けて結枝が
「思いもかけず
尋ねる人あらば、
須磨の浦にて、
塩とる藻から
滴るうしおのように
泣きはらし
暮らしていると
伝えて欲しい」
槙葉が
「寄せ来る潮を
汲み分けて
桶を見れば
あら月が桶の中に映っている。
この桶にも月が入っているよ。
嬉しやここにも月がある」
ふたりそろって
「月さへ濡らす袂かなぁーー」
「・・・」
八十島は何も言えなかった。
「一体何が起こっとんのやー、雰囲気が芝居がかってきとるぞー。浄瑠璃やっとるんか?どないしたんやーこの美人姉妹はー」
と心の中では大声で叫んどったんだそうだ。
「然しながら、今日はここでお役に立てる人物がいます」
と紅葉が雰囲気を一変させる。
「少々お待ちくださいませ」
紅葉が部屋に連れて来たのは辺見照少尉だった。
八十島はその辺見の申し訳なさそうな顔を見た時わかった。
「上手いこと嵌められたんや」
と八十島海人は小さく呟いた。
「自分は第三十三師団における因幡兵長の上官でありました」
そう告白して件の事件の一部始終を目撃者や証言者を一々上げて証言したのは、因幡兵長とともに事件の処理に当たった辺見照少尉その人だった。
===因幡結枝、因幡槙葉の姉妹の秘密===
八十島海人がライラ・マーにいる事を知り、スマゴトに来る機会を逃さず、この宿を取らせるように仕組み、姉妹に会わせた
八十島が姉妹に頼まれれば断り難いことを知っていた。その上、そこに辺見少尉を巻き込んで筋書きを作り、その通り演出する。
『そんなことができるのは奥山紅葉だけだ。みな計画通りやったんや』
奥山紅葉が仕掛け人だ。そう八十島は思った。
ちなみに、「酔っぱらって刀を振り回して慰安婦に正当防衛で刺殺された軍曹の話」というのは、軍法会議に送致する役目を負っていた当時のスマゴト憲兵隊に勤務していた法務少尉や曹長も与り知らないと証言している作り話である。
では八十島海人を隠れ家レストランに招いた人々は何を八十島に求めているのだろうか。
「お父様、うちらを失望させんといてくれてや。お父様だけはうちらの深い悲しみが分かっとーと信じとったのに」
と槙葉。
「お父様?」
八十島はここで給仕長を見た。
その給仕長が首を振って、僕を指さし、皆が僕の顔見る。
給仕長が断言する
「八十島海人様、貴方様こそが『お父様』どす。お二方の」
『今「どす」って言うた給仕長は京都出身やな』
八十島は、そう思った。
結枝が続けて
「お父様には前世の記憶があらへんのやろな」
そして槙葉が
「うちら姉妹は一目でわかりましたのに」
二人で代わる代わる
結枝「輪廻転生」
槙葉「昭和ならぬ承和から」
結枝「全て覚えたる身の辛さ」
槙葉「何度も親子となった縁ゆえ」
結枝「絵巻のごとく美しい」
槙葉「娘子ふたりは」
結枝「お父様の情けが欲しい」
槙葉「どうか愛しいあの方が」
ふたりそろって「何で帰って来なかったのか、その訳を調べて、おくれやすー」
「こら完全に謡曲の題材か浄瑠璃かなんかのお芝居とまちがえてんで。
普通に、自分で自分らのこと『美しい』言うか。どないなってんねん。
そないな芝居がかったわざとらしいことせんでも、云いたいことは分かるで。
『昭和でのうてじょうわ』は分からんけどな」
と八十島は思ったが、ここは話を進めるために必要な質問だけすることにした。
「で、愛しい人って誰やねん?」
と娘を名乗る姉妹が神戸弁らしき関西弁を操つるせいで、つい大阪弁で応じてしまう。
結枝と槙葉ふたりで
「たち別れ因幡の山の峰に生ふる松とし聞かばいま帰り来ん」
と、ひと泣きしてぽつぽつと語り始めた。
姉妹の説明と辺見少尉の補足による概略は次の通り。
愛しい人とは戦後しばらく行方不明になっていた因幡風のことです。
実は姉妹には「承和」と呼ばれた昔から転生を繰り返していて、その転生した人生の出来事や会った人々など全てを記憶しているのだといいます。
八十島海人も何度も姉妹の父親だったということです。
だが、その全ての転生人生において深くかかわりを持った人、それが姉妹の「愛しい人」ということなのです。
幾度も、転生しては結ばれ、転生しては結ばれるのですが、一度すら最後まで添いきれたことはない。いつも急な別れで引き裂かれる運命の人。
要望はその人が前世でどのような人生を送ったかを知りたい。戻ってくるよと言って出かけたのに戻って来れなくなったのには重要な理由があるのだろう。前世ではその理由も知ることなく死ぬまでその人を待ち続けたのです。
理由も知らず行き別れたのは前世が初めてと姉妹は、もう一度八十島海人の前で泣きました。
給仕長も辺見少尉も奥山紅葉も一緒に泣いています。
『実は、僕も訳が分からんくせに泣いてもうたんや。
アホなお人好しやな。ホンマに』
理由さえ知ればそれで良い。また輪廻が巡って、いつの世か巡り合えるのだからという姉妹なのです。
===前世の姉妹===
さて、直前の前世の戦中に姉妹が「ちよ」「つゆ」という名で宮城県の松島湾にある小さな村にいた時のことです。
その村は、日本の東北の貧しい村のなかでも、それはそれは貧しい村でした。
徳川の御代から年貢支払いに窮した百姓が逃散を繰り返すような土地でした。
地元の大郷士だった大百姓が土地を手放し、小作人となり、次いで水のみ百姓となり、そのうち先祖代々が水のみ百姓として何とか明治大正と生き延びて来た家などは珍しいものではありません。
ちよとつゆが生まれた家も、赤貧洗うが如しという言葉の通りの貧乏でしたが、実直さだけで生きてきた両親に育てられ、姉妹は慎ましく立派に育ってきました。
姉妹が十歳近くになったころです。
そのころに襲ってきたのが世界恐慌。千九百二十九年九月四日頃から始まったアメリカの株価の大暴落に端を発した大恐慌は千九百三十二年までの間に、世界の国内総生産を推定で十五パーセント減少させたそうです。
その恐慌でアメリカ国民が急速に窮乏化すると日本からアメリカに輸出していた生糸がアメリカで売れなくなりました。
生糸だけではありません。その生糸相場の暴落で次々と農産物の価格が崩落状態となり、千九百三十(昭和五)年は米の豊作により米価が下落、いわゆる豊作貧乏、豊作飢餓が起こりました。
当時の日本の農家は米と繭で持っていましたから、全国の農家はたまったものではなかったのです。
そこに冷害が襲います。豊作飢餓の翌年は
北海道と東北地方の大凶作です。
大凶作の翌々年は昭和三陸津波、その翌年は大凶作が続きます。
貧窮のあまり娘を身売りするという悲劇があちらこちらで起きました。
「汐水を運ぶことで名高いのは、遠く陸奥の、名前ばかりが「近い」という千賀の塩竈」
その塩釜の浜に住む、ちよとつゆの姉妹のいる家族もその例外ではありません。
百姓として農作業をする外に塩汲みをしても、姉妹を育てられなくなった両親は姉妹を地元の味噌蔵に「身売り婚」に出したのです。
身売り婚をすれば結婚と引き換えに多額の金品を結納金として受け取れます。
そのころの姉妹は、ちよが十四つゆが十二でした。
姉妹は大変器量が良く、躾もされていて、近隣でも評判の孝行娘でしたので、まだ若年にも拘らず、大きな味噌屋の主人の耳に噂が聞こえていたのです。
「みちのくの ちがのうらにて 名の高き 孝女ちよつゆ をかしからまし」
女郎として売られる女性も多かった中では、まだ幸せだったと言えるでしょう。
しかし、十四と十二は結婚には早すぎます、それに結婚相手の味噌屋の主人は五十過ぎの自分たちの父親より年取った男です。
その後添いと妾になるという話です。
流石に世間体もあります。
まず養女という形にして十五の誕生日を待って、という事になりました。
ところが一年も経たないうちに、流行り病でしょうか、味噌屋の主人が亡くなると嫡男である長男もちよの誕生日の前の日に亡くなってしまいます。
味噌屋には男の子が5人もいましたので美しい養女の取り合いになりました。
しかし、娘の好意が三男にあることが誰の目にも明白だったので、一年後の喪が明けてちよが十六になったら三男が娶とろうということにしました。つゆは、ちよが十六なら十四です。つゆの身の振り方は十五になるまでに決めれば良かろうという事になりました。
新しく御曹司となった次男は不満でしたが、残りの三人のいう事ならと渋々従いました。
ちよも愛しい人と結婚できるのは嬉しく、妹のつゆも晴れがましく思っておりました。
しかしその三男が兵隊にとられ、すぐ入営予定の師団のいる支那に向かうことになるのです。
残りの兄弟が、三男がいなくなるなら自分が姉妹を娶りたいとでも思っていたのでしょう。
美人姉妹を取られ、嫉妬した兄弟が何も気を回さず、傍観を決め込む中で、三男の友人知人が当人の入営ギリギリになって
「出征前に急いで形だけでも」
と祝言を挙げてくれました。
共に居ること六日の慌ただしい新婚生活です。
その出征の日の朝に見た姿を最後に、哀れ、新婚の夫婦は今生の別れとなってしまったのです。
仙台師団の門前で、です。
その味噌蔵の三男坊が因幡風氏ということなのです。
「愛しい人、因幡風様がどないで戻れなかったかを調べて、出来ることなら、本人探してここに連れてきて欲しい」
結枝の前世のちよが風と結婚して夫婦だという事情があったのです。
「ああ、そうでしたんか」と僕は思うた。
『結婚した時分は、師団の一部はまだ仙台におって、辺見少尉は未だ准尉として、支那にいる師団の主力のための兵站整備と新兵訓練、その他に忙しゅうしておったんやろうな。
因幡氏は兵隊にとられる前から師団に味噌玉を降ろしとったから、師団にいる人やら同業者やらと、お互いよう知とったわけや。そいで、「出征予定前に結婚しときたかったのに兄弟に嫉妬されて、させてくれへんかもしれん」と聞いた人たちが、「せやったら仲間内でやっちゃろう」と味噌屋へ兵隊仲間と押し掛けて祝言を上げたったわけやね』
姉妹は次男、四男と末っ子からも好かれていた。特にちよは養女に来たその時から次男に何度も何度も求愛されていた。
そのせいもあって姉妹は、三男が家からいなくなったとたんに味噌屋に居ずらくなった。
それで、ちよとつゆは仙台の味噌屋を出て、塩釜の塩地主から塩汲み小屋を借りて住むようになった。
「なるほどなぁ、世の中そんなもんかもしれへんなぁ」八十島は思った。
『最初のうちこそ次男が継いだ味噌屋から仕送りはあったけど、
次男が結婚して、その次男の奥様の手前もあっての事とは思うが、
仕送りが細々としたものになって、やがてそれがなくなってもうた。
そこで、二人は塩地主さんとこの塩汲みの雑用をして露命を繋いどったんや。
そこに風さんが死んだと知らせが入ったわけや。
気落ちしてたし貧乏やったから、物のない戦後にすぐに病で二人ともなくなったんやね。
気の毒や思う。せやけどこんな罠に嵌めてまで僕をつこたるってどういうこと?
これくらい聞いてもええやろ』
===再び隠れ家レストランの部屋===
「気の毒なことと思います。でも、探すって、僕に何をやって欲しいのですか。一体何を探せと。それにその仕事をするのが、なんで僕じゃなきゃあかんのですか。おかしないですか」
因幡姉妹と辺見氏の説明によると
何より昭和十七年の隠れ家レストランからなら、当時のライラ・マーに行ってその人の足跡をたどれる。それができるのは八十島海人、つまり僕、と奥山紅葉の二人だけ。
隠れ家レストランから出られる体を持っていて、秘密を守り切れることが条件だという。
「結枝さん、槙葉さんご姉妹は努力しやったんですか?」
二度も昭和十七年の世界に行って三度目も行こうとしたが隠れ家レストランの時空間からでられなかった。その後何回試しても出られない。出られるのは二度が限界と分かったという。
その他色々事情を聴いたけど、僕でなかったらあかんのが納得でけへん。親子の縁言われてもなあー。身に覚えもないしなー。
この後宿泊する部屋に戻った八十島には
「お父様がお願いを聞き入れてくれるまで、因幡ホテルから一歩も出しません、おとうちゃん、お願いや、娘のためやないの?」
と禁足が申し渡されてしもうた。
それもあの自称『絵巻のごとく美しい娘子ふたり』からだ。
『彼女らが隠れ家レストランと因幡ビルに術をかけてんのや。本物の魔女や。
たぶん』




