オーナーとの邂逅
戦時中に建設された古いビルのなかにあるレストランは時空間が歪んでいて、そこだけが過去のある時間帯を繰り返している。
亡霊の記憶がそのレストランの時空間を形作っているのだ。
登場人物たちは、亡霊の記憶の時空間と過去に現実であった時空間とをつなげているレストランを、何かの目的をもって一緒に行き来しようとする。
それは歴史を変えてしまうかもしれない危険な行為だ。そう分かっているはずなのに。
===それから体感で小一時間===
===オーナーとの邂逅===
ついさっきまで灼熱のライラ・マーのスマゴトで汗をかいて
「暑いときはビールに限る」
と言うて隠れ家レストランの《冷房》が効いとると感謝してたのに
「これ、ほんまの秋風、神戸の秋風、しかも昭和の須磨の秋風なんや」
「あの月も、あの一番星も」
「あかあかと日はつれなくも秋の風」
とぶつぶつ呟く僕がいた。
反芻しないと、あんな話、正気を持って、落ち着いて聞いてられんわ。
一言聞かされれば、そのたびごとに
「なんでや」
「それっ○○ってこと」
「どない信じればええの」
と質問と疑問が沸いてくるんやから。
土壇場に立たされて今必要な事をズバッと質問できる人というんはそうとう胆力がある人だけや。 そないな人そうそうおらんと後になって、思うた。
修行が足らんな。そないな胆力つく修行したくもないけど。
「さっきはさっき、これからは、今度こそは大丈夫、僕は落ち着きを取戻しとる。もう充分いつもの自分じゃー」
僕は自己暗示を何重にもかけて、なんべんか深呼吸もした。
ふと気になって、周りの景色見てみた。
ここから少し、作者が八十島の目と耳を借りよう。ショックから抜け出し切れない状態では関西弁が強すぎて分かりにくいですから。
ちょっと前までの昼の光が残り、
うっすらと白く見えていた月が、
日が海に隠れていくにつれて
黒い虚空を背負って輝きはじめ、
水面にもすっかり満ちた丸い影を落としている。
その周りで
西にある一番星以外の星も
少しづつ瞬きだし、
まごうこと無き日本の秋の風が
吹き始めている。
涼しさを肌に感じるようになると
他の感覚も鋭くなってくる。
さっきまでさほど大きく聞こえなかった波の打ち寄せる音さえが腹に響くように聞こえ始める。
空には雁、
浜には夕映えに
キラキラ光る波と
追いつ追われつする千鳥、
小さな鳥が群れとなって
波の上を飛ぶ姿、
そんな細かい有様さえも見えてくる。
不思議な世界。
人はその景色を見ているうちに奈良や平安、鎌倉の頃の日本も、そのさらに昔も同じ景色を見ていたに違いないと思い。目の前に過去を見ているような錯覚に陥ってしまうものだ。
八十島も目の前に見ている過去を「見ているのは○○の時代の姿」ですよと言われれば「そうか」と信じてしまうだろう。
それが仮想現実Virtual Realty というもの。
いわば昔話を絵巻物で読んでいるかのような情景である。
そういうわけで、作者は古くさい比喩や表現を用いて話を進めようとしている。
もうあと少しだけお付き合いください。
煌々と輝く秋の名月
その光の下
須磨の浜辺の松林の上に
さぁーさぁーと通り雨が降り
松を揺らす潮風が吹きます
月の光の中の雨と風
その幻想的な雨風がすっと止むと
月光に染み出すように現れたのは
虹色に光を返す夕霧
その下に細い砂の露路が銀に光っている。
そこにそんな道があったのでしょうか
幻が作り出した道かも知れません。
そこに日本画から出て来たような
若く美しい女がふたり
こちらのほうに
やって来るではありませんか。
「オーナーがお見えになったようです」
と魔女、もとい奥山紅葉。
彼女の美しさは本物と作者も思う。
この絶景の異次元にいるに相応しい。
だが、今現れたふたりは少し異なる。
ふたりこそがこの異次元の主人であり異次元存在の理由なのだから。
砂地の露路の上をやって来たのは、ビルのオーナーと呼ぶに相応しい大人の女、、、ではなかった。少女が大人の女を演じているような妖しさが漂う姉妹だった。
「こちら、当ビルヂングの持ち主である因幡結枝と、因幡槙葉でございます。ふたりは実の姉妹で共同社主という役職を務めさせていただいております」
と紅葉がカウンターの中から出てふたりを八十島に紹介する。
「因幡結枝と申します」
「因幡槙葉です」
ふたりは八十島の目をまっすぐに見る。はきはきと明瞭に言葉を発し、膝を少し折り曲げると、うなじが見えるほど頭を下げてお辞儀をした。
「此方の方が、八十島海人様と仰る御坊様です。因幡風様についてオーナーからお話を、というお申し出を伺い、ご案内いたしました」
「八十島海人、日本の厚生労働省から委嘱されてライラ・マーで先の大戦の遺骨収集をしています。僧侶のはしくれです。本日は因幡様のご縁者で当ビルの創設者でもあるという因幡風様の生前のご活躍等について、ぜひお話をお伺い出来れば、と思って参りました」
と八十島。その挨拶よくできました。
「八十島様。失礼ながら両名は夕食がこれからとなりますので、お話は夕食を済ませた後という事になりますが、よろしいでしょうか」
と紅葉。
八十島は先ほどその段取りを紅葉から聞いていたので、これはふたりに聞かせるための言葉だと判断できた。
即座に、自分自身がこの後の予定が無く時間は充分ある身なので、遠慮することなくいつも通りの夕食を楽しんで欲しい、と伝えたことは言うまでもない。
「八十島様、お飲み物でもご自由にお召しになられてお待ちいただけると、こちらのおふたりもリラックスできるかと存じます」
「八十島様、後ほどお話を」
「それでは後程」
順番に奥山紅葉、因幡結枝・槙葉が八十島にそう告げると、紅葉は八十島に目配せをし、姉妹はもう一度優雅なお辞儀をして、奥の部屋に入って行った。
少女のように若く見えるのに醸し出す空気は紛れもなく大人のもの。
若くて妖しい大人の美少女。
こう表現すると矛盾していて意味不明だ。 だから無難に、見た目と雰囲気のアンバランスが魅力的な若い女性と言って置くことにする。
奥の部屋にはふたりの夕餉が用意されていて、紅葉自身が給仕をしながら、八十島とのいきさつや人となりやらを伝えることになっていた。
===辺見照のこと===
さて、いつの間にかウイスキーやらブランディやら何種類かと水、炭酸と氷にマドラーが銀のお盆の上に載ってカウンターに置いてある。
これで好きなように飲めちゅう事やろう。
僕は一杯だけ飲んだけど、いっこも落ち着く気分になられへん。
一人異次元に残されたと意識するだけや。
異世界独りぼっちやなしに、昭和十七年須磨独りぼっちや。
僕は元の世界に無性に帰りとうなり、おっても立ってもいられへんくなった。
紅葉さんの「部屋の説明」特に「出口の説明」はホントらしく思える。
でも心底から納得しとるわけではない。
ただ、他の選択肢が無いから、僕としては信じるしかないんや。
それだけや。
ひとまず叫びだしたくなるほどの恐怖はなくなったという程度の話や。
実際にこの隠れ家レストランに出入りしてみて確かめてみんとね。
一度僕の意思でやってみるのとやれへんのは、だいぶちゃうはずや。
何事も「やって見せ、やらせて見せて、褒めてやらねば、人は育たぬ」や。
(作者注:正しくは「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」山本五十六)
普通、異次元やと伝えられて、落ち着けるわけがあらへんやろ?
トイレに行く振りして元の世界への出口を確かめといても悪ないやろ。
元の世界に戻る出口は三人がいてる奥の部屋のさらに向こうにある。
初めての僕では、その出口は分かり難く、直ぐに見つけられへんかも分かれへん。
不安や。
やさかいこそ一度確かめた方がええに決まってる。
もし、部屋から出て来る紅葉さんに出くわしたら「トイレに行く」「ついでに出口を確かめる」てでも言い訳して誤魔化したらよいんや。何とでもなるやろ。
僕は、そう考え、椅子から腰を浮かしかけた。
その時や。
「自分は辺見照と申す者であります。旧日本帝国陸軍第三十三師団少尉であります」
とごっつ若う凛々しい声がして、男が忽然と僕のすぐ隣に現れた。
「うおっ」
自分の体全体がびくっと痙攣したんが分かった。思わず立ち上がってもうた。
男は旧日本帝国陸軍の軍服と軍帽をかぶり軍刀を携え僕に敬礼をしてる。
その男は挙手の敬礼の体勢から右手を降ろすと、少し申し訳なさそうな、それでいて興味深そうな顔をして
「驚かせてすみません。一昨日、八十島殿に骨を拾っていただいた旧日本兵です。死んでいるので八十島殿からどう見えているのか不安ですが、意思を持ったひとりの人間としてお話下されれば幸いです」
「あ、はい」
僕はガタガタと音をさせて椅子を動かし、若い少尉に向き合う。
少尉は再び敬礼をして
「八十島殿、日本から遠路はるばると私並びに部下の骨を拾っていただき、またウイスキーまで添えて、丁寧に弔っていただき、誠にありがとうございました」
あの時、あそこで会いましたよね、お久しぶりです、そんな旧知に久しぶりに会えて嬉しいという笑顔で僕を見ている。
「あっ、ああっ、それね」
「このスマゴトのレストランに八十島殿がいらっしゃると聞き、この機会を逃さずお礼を申し伝えたく、罷り越しました。実は、部下共々参上し、お礼を申し上げようとしたのですが、大勢でまかり越すこと、まかりならぬとの上官命令を受け、またの機会にと存じ、本日は私が代表で参りました。八十島殿、ありがとうございます」
今度は軍帽を取って脇に挟み、お辞儀をする辺見少尉。
「・・・」
僕は辺見がなぜ現れたかは分かったんやが、どこからどう現れたか分からんかった。
でも目の前の人物が幽霊だとは思わんかった。
「幽霊であってもさほど怖ないな。そういうたら紅葉さんもさっき同じように現れたな。ひょっとするとこの部屋に現れる時僕も同じやったんかいな」
思ただけや。
やさかい異次元に迷い込んだと知らされたさっきの時のような恐怖や不安は全然感じへんかった。
緊張気味に一気に話した青年将校辺見照さんは、興奮しとったんやろう、早口やった。でも明瞭で聞きやすい言葉と感じた。
取り敢えず、ウイスキーの水割りを作って
「のどが渇きませんか
お供えしたのと同じ銘柄のやつです」
と少尉に差し出して自己紹介した。
「八十島海人です。ご英霊の方々には、日本と東亜を救うため文字通りの粉骨砕身。その労苦と献身にひとりの日本人として感謝します。ありがとうございました」
僕はぎこちのうも誠意のある敬意と感謝を込めて「乾杯」て付け加えて、辺見少尉の労苦を讃えた。
そんな物言いじゃ、ほんのちっとも言い表されへんやろけどなぁ。
言葉だけで言い表されへん感謝を形でと始めた仕事で初めて戦死した本物の英霊から感謝されたことは大感激やったけどな。
やっとって良かったよ。ほんまに。
相手を落ち着かせよう思て乾杯してんけど、そうすることで僕も落ち着いた。
異次元にある隠れ家レストランも、そう悪ないな。そう思た。
出向いた先で遺骨見つけ偶然持っとったウイスキー(いつもは日本から送った日本酒を持ち歩くねんけど、その日は切れとって、現地でも調達できんかって、その代わりにしとった)を遺骨に備えて弔うた記憶は新しい。
やさかい、どこのどの遺骨のことなのかはすぐわかった。
それでも僕は『骨を拾うてもろた』『死んでるさかい、どう見えてるか不安』っちゅうふうに辺見さんが言うとったさかい、その不審な言葉を理解してみよう思た。
「辺見さん、死んでるって、幽霊なんでっか。それにしては、見た目が生々しくて、はっきりと存在しとるし・・実体というんがあるみたいやし、それらしゅうあらへんよね」、
また言葉が途切れ途切れになった。
どう質問したら失礼になれへんのか分かれへんねん。
「幽霊に幽霊言うて失礼はあれへんの?」
「実体があるなら幽霊ちゃうやろから、なんて表現すればええの?」
どないな質問したらええんやろ?
どう考えても「あんたのからだは一体何なん」は失礼やん?そやろ?
どう言い回したらええんか全く見当が付けへんかったねん。
そこに、奥の部屋から出てきとったのやろう、紅葉さんの声がした。
「八十島様、辺見様、握手をしてみて下さいませ」
童顔の残る青年将校は、にこりと笑うとますます若こう見えた。その少年のような顔でコップを置くと右手を差し出す。
僕もコップを置いてズボンで手ぇ拭いてから右手を差し出して、その手を握る。
「おお、ぬくい。人肌や。当たり前なんやろけど、普通の人や。生きてんで」
辺見少尉も
「生きている時と寸分も変わらない。人の温かみを、体温を感じる。八十島さんも私の体温を感じているのですよね」
「えっ、ホンマに死んでんねんな」
僕は何がなんか正直分かれへんかったし信じられへんかったさかい、言う事が一々トンチンカンになる。
今日は厄日や。自分が保たれへん。
「この空間は特殊なのです」
と紅葉さん。
「死者も生者として生きていた最盛期の理想的な健康状態で、実体化するのです」
僕と辺見少尉は、握り合うた手と手をじっと見つめて、感動してた。
死者と手を取り合うて話ができるんや。
生者と手を取り合って話ができるんだ。
紅葉の後ろから
「八十島様、オーナーがお待ち申し上げとります。こちらへどうぞ。辺見様、よろしかったらお食事をなさりもって待っとぉくれやす・私がお世話申し上げますよて」
と白シャツにベストを着た人物がでてきて言う。
この隠れ家レストランの給仕長らしい。




