不期遭遇戦
そのレストランは昭和十七年九月二十五日の神戸の須磨海岸に存在していた。時空間が歪んでいて、同日の午後五時から午後十一時までを繰り返しているのだ。
謎解きが動き出しました。今日は題名の通り、八十島と元中佐が不期遭遇戦に出会います。
===プーラムの自動車部隊===
もう一人の八十島海人と元中佐が、くろがね四起でプーラムの兵站にやって来たのは虎襲撃事件の一週間も前の話である。
逸る心を押さえて睡眠と休養、携帯食料とくろがね四起の整備、その燃料確保のため、まる一日休養してから、ダンガットに向かうことにした。
戦時の戦地だ。人間にとって自動車移動はキツイ。かなり揺られ、快適とは言い難いし、車には保守点検と整備が必要となる。そういうわけで休養は絶対必要条件であった。
元中佐は、F少佐の名で、自動車部隊長に挨拶し、「整備は辺見小隊に」とお願いした。
さっそく辺見少尉が、車の横に立っていた二人に、人懐っこい笑顔で近寄って来て敬礼する。
「F少佐殿、ご苦労様であります。自分は独立自動車第101大隊で小隊を率いている辺見であります。この度、お車の整備をさせていただくこととなりました。ご活躍と伝え聞く、少佐のご尊顔を拝したくご挨拶に参りました。八十島局長とは顔見知りであります。」
元中佐、にこりと笑顔を向けて敬礼を返す。
「辺見少尉、貴官の大活躍こそ、よく耳にするよ。昼は整備、夜は運転して移動と寝る間もない大忙しだと。この車もよろしく頼むよ」
「は!お任せください」
続けて
「八十島局長、お戻りでしたか」
「うん、明日朝、直ぐ再出発するけどね」
「秘書殿は?」
「元気だよ、向こうで会う予定だ」
「それではお車を拝借します。 軍曹!拝借申し上げたぞ。丁寧にな」
兵がやって来て、整備場に運ぶ。
『本当に明るい人だ。なんとかあの道路が機能して生き延びて欲しいものだ』
「私は、伝聞の話より二十年ほど老けて見えても不思議ではないのだが、もともとベビーフェイスだから、結構、誤魔化せるな」
こちらは元中佐が八十島に耳打ちした言葉だ。自動車連隊長は、かねてからの顔見知りで、先輩だったらしい。それで「老けたな」「病気か」「ホントにFなのか」と言われず、若く見られたとご機嫌なのだ。
さっきの会話だが、自動車部隊は絶えず敵軍に狙われていた。
英空軍機が補給を妨害しようと、頻繁に攻撃を仕掛けてくるのだ。それで部隊はできるだけ日中の輸送は避け、夜間の隠密行動を強いられることが多い。
それが「昼は整備、夜は運転して移動と寝る間もない大忙し」のことだ。
さいわい、この時期は日本軍が束の間の制空権を保持していた。
去る、十一月十日、「軍神加藤少将」(残念なことに加藤陸軍中佐はこの五月に故人となっている)で有名な「隼」、第六四戦隊の一式戦、たった一機で、モホーク四機と交戦、空中格闘戦で二機を撃墜したのは記憶に新しく、この頃のどの基地においても話題の中心だった。
つまり、ライラ・マー国内にあった英国の飛行場は全て日本軍のものとなり、英軍機や米軍機は中国国内や印度国内から、日本軍が航空優勢の地域に決死の覚悟で飛んで来て、任務を果たすしかない状態なのである。
だからだろう、
「連合国軍は効果的に飛行機を使えないので、補給路を陸から、現地人ゲリラ部隊を使って、攻撃しているようです。待ち伏せや遊撃にはご注意ください」
その翌日、明けの明星が輝き、太陽が昇る前、辺見が車を渡す際に、八十島に言った言葉だ。
その言葉は非常に重要な予言を含んでいたのだった。
だが、なぜか、その日の明けの明星の明るさは、八十島に紅葉を思い起こさせ、危機を感じさせなかった。
===不期遭遇戦===
八十島海人と元中佐は辺見小隊と離れ、プーラム郊外から出来立ての山岳軍事道路に入ろうと、丘陵の道をくろがね四起で上下していた。そこは早朝の乾いた丘陵で、森はまだ深くなく、道路は赤土で、この国独特の朝の白い湿気が、左側の谷川から吹き上げて赤い地面近くを漂っている。
左の谷川に下る林の中から「パキン」と乾いた枝が折れるような音がした。
それが、忘れられない出来事の始まりだった。
元中佐は、素早く、くろがね四起の速度を落とし、山側に寄せてから、あらためて速度を上げて走らせる。
バサバサバサッと、
進行方向左前方の林の中から鳥が一斉に飛び出すのが見えた。
「まずい。ゲリラに前方を塞がれたらしい」
元中佐は言い。車をさらに山側に寄せて、今度は止めようとする。
ズザザザーと車輪が乾燥した土の上を滑る。濛々と土埃が上がる。
「パァーン!」
乾いた音は、銃声だ。左の林から撃ってきた。
車体前方の乾いて固く固まった赤土が思ったより深く抉られて、濃い粉末の塵になって右手の空中に舞う。
八十島と元中佐は車体の右側に機敏に飛び出し、身を低くした。
くろがね四起の発動機音が止まると、辺りは静けさに覆われ、白く漂う湿気に重さが加わり、塵として飛んだ赤土の匂いがする。
英軍将校の声が聞こえる。
「John's platoon forward, Angers' platoon to the right」
どうやら、左前と右から包み込むようだ。ゲリラが散開し始めた。
谷から吹き上げてくる空気に乗って、硝煙の匂いがしてきた。
「絶体絶命のピンチだな」
元中佐と八十島は拳銃しか持っていない。
「さっきの一発は、狙撃銃やろう。光学照準器付き狙撃銃で狙われて、二小隊と対決せにゃならんようや、ちとしんどいでんな」
ゲリラが短く連射してくる。
「パパパッ、パパッ」「パパッ、パパパッ」
自動小銃だ。くろがね四起にあたる弾が、ガチン、ガガガ、ガグン、ガガと音をたてる。
「All units, advance!」
英軍将校の前進命令が、谷に木魂して、よく聞こえる。
及ばずながら、八十島と元中佐は拳銃を撃つ。
拳銃の有効射程距離ではないが、抵抗の意思を示す。
「バアーン」
「バアーン、バアーン」
「バアーン」
敵兵の足音が ザツザツ、ザツザツ、と大きく重く聞こえてくる、八十島は胸が苦しくなり、息が浅くなった。
「ザツザツ、ザツザツ、ザツザツ、ザツザツ」
「ザツザツ、ザツザツ、ザツザツ、ザツザツ」
元中佐が
「ここで、これで、終わりか。八十島君、すまんな。君は英国人捕虜の演技ができるかい」
「F殿、英国人相手だけでしたらできますが、ゲリラたちには通じんでしょうね。僕の演技力はあてにせんで下さい。Fさん、知り合えて光栄でした、ありがとうございます」
頭上でも、丘陵の斜面上方から、重そうな足音がたくさん聞こえてくる。
「ザツ、ザツ、ザツ、ザツ」「ザツ、ザツ、ザツ、ザツ」
「あちゃー、上からも来よったで。念の入った事や、こっちは万事休すやけどな」
八十島は完全に包囲されたと思った。
「いや、違う!、あ、あれは、日本軍だ。日本歩兵の足音だ。八十島君!、帝国陸軍兵だよ」
白く漂う湿気の上に、日の光が射して来た。キラキラと靄の粒が光り、八十島と元中佐は白い光の膜の中に包まれて入っているように感じた。
丘陵上にキラリと光る点が見え、その点が少しづつ増えてくる。
「奇跡だ」
「奇跡や」
「バアーン、バアーン」
「バアーン、バアーン」
八十島と元中佐は敵に向かって拳銃を撃ち続ける。
「こっちに注意を向かすんや」
「バアーン、バアーン」
「そうだ。元気が出て来たぞ。わはは」
「バアーン、バアーン」
丘陵の斜面上に一列に並んだ鉄兜の列。
太陽の光を鈍く反射して光っている。
やがて日本語が聞こえてくる。
「前方敵影に向かって、小隊、散開せよ!」
小隊長の命令だろう、下までよく聞こえてくる。
「小隊散開!」
「小隊散開!」
「撃て!」
「ダダダダダダツ」
「ダダダダダダツ」
「ダダダダダダツ」
日本軍の軽機関銃が連射される。
ゲリラは、いきなり頭上からの攻撃を受けて恐慌に陥った。後退し始める。
「All units, withdraw quickly. Quick, quick」
既にゲリラたちは驚愕のあまり、思わず勝手に引き始めていたが、英軍将校は生真面目に命令した。
命令がきっかけだろう、やがてわれ先に逃げ始める
谷間に大きく木魂する日本軍の軽機関銃音。谷間の白い湿気は霧散霧消する。
「小隊、前進!」
「ドドドドッ」
「小隊、前進!」
「ドドドドッ」
小隊長の声とともに斜面を駆け降りる日本軍歩兵
「パン、パン、パン、パン」
「パン、パン、パン、パン」
敵兵が逃げる林の中に吸い込まれていく日本の小銃射撃の響き。
一小隊が左前方の林の方へ、もう一小隊が八十島と元中佐のいるくろがね四起の前に出て、谷に下る林へ射撃を繰り返しつつ前進していく。
敵は煙幕を張ったようだ。モクモクと薄黒い煙を後ろにして逃げて行く。煙幕は乾いた葉を燃やしているようで、葉の匂いがする。
辺りは硝煙と葉の焼けた匂いで満ちている。
「助かったぞ、八十島君」
「助かりましたね。Fさん。あれが、日本軍歩兵の足音とすぐわかったのは流石です」
「嫌になるほど聞いて来たからね。間違えるわけがない」
と元中佐が笑う。
『なるほど、ベビーフェイスだ。若く見える』
「問題はこいつが動くかだな」
元中佐は銃撃痕の金属臭が匂うくろがね四起を叩きながら、発動機を始動してみようとする。
仮に車が動かず移動手段を依頼することになりそうだとしたら、また、一緒に部隊と連れ立つ必要があるなら、中隊が傍にいるうちに処置しといたほうが良いだろう。
元中佐は、助手席側の床近くに手を伸ばし、金属製の小さなコックを「カチッ」と開く。
ガソリンの揮発した甘い匂いがする。揮発油を発動機に送るためだ。
ダッシュボードの左側にある細いレバーを引く。「キィ…」と金属が擦れる音。
懐かしい、チョークレバーだ。混合気を発動機に送る。昭和五十年代前半までの車ではツイてて当たり前の機能だ。
右側にあるハンドルを回す。手動スターターだ。これが八十島にとっては珍しい。いつもじっと見つめてしまう。
グングンと回すと、発動機内部で「ガラッ、ガララッ」と音がする。歯車がピストンを押して噛み合う音だ。もう一度グングンと回すと、「ボッ…ボボッ…ボボボッ!」 と低く空気を震わせる音が出た。発動機内で爆発が繰返し連続して起きているという証拠だ。
これで、チョークを緩めてあげれば、発動機は機嫌よく動いてくれるのである。
「おお、駆動部は損傷無し、運が向いて来たようですね」
「命拾いしたし、重ね重ね良かったよ。さて、命を助けてもらったお礼を、感謝を伝えにいこう」
車体が小刻みに震え「ドドドドド」と小気味よく音を出しているのを確認して安心した二人は、この中隊の責任者に会おうと、くろがね四起を中心に谷を覗き込むように散開した小隊が戻って来ると、その兵士一人一人に「ありがとう」「君たちは命の恩人だ」と繰り返した。
それは、中隊長まで案内を乞う最中にも、いちいち兵を捕まえては、一人一人に礼を言い続けたのであった。
元中佐が、F少佐の名で、その中隊を率いる少佐に挨拶し、任務をどう説明したかは知らないが、八十島と元中佐は、再びくろがね四起に乗って、ダンガットに向かったのだった。
(続く)
一度隠れ家レストランまで帰ってから、戦場に元中佐を連れて戻って来た、もうひとりの八十島のストーリーです。
日本初の四輪駆動車に乗ってダンガットを目指しますが、途中で英軍将校が指揮を執る現地の少数民族で組織したゲリラに襲われます。規模は二小隊ほど、狙撃銃と自動小銃で武装した訓練された兵たちです。絶体絶命と思われましたが、任地に赴く途中、偶然通りかかった日本軍歩兵中隊約120名に助けられるというお話です。
お楽しみいただけましたら幸いです。




