第85話 黒帆、蹂躙
アルマリク沖。
水平線の彼方まで、黒い帆が埋め尽くしていた。
一枚や二枚ではない。
数えようとする意志そのものを、押し潰すほどの数。
それらは、静かに、だが確実に迫ってくる。
空を裂くように、大鷲部隊が突入した。
「いけるぞ、押せ!」
騎手の叫びとともに、爆撃と矢雨が黒帆の船団へ降り注ぐ。
火花が散る。
一瞬――通じたかに見えた。
「当たってる……押せる!」
胸の奥に、かすかな希望が灯る。
だが。
ブラック・タイドの甲板で、ガルドはゆっくりと空を見上げる。
海面が、わずかに応じるように脈打つ。まるで意思に触れられたかのように。
「……対空戦闘用意」
低い声が、全艦に響いた。
「放て」
回転砲台が唸りを上げる。
遅い。
だが、その遅さが異様だった。
しゅるるるるるる――
空中で弾けた巻貝状散弾が、無数の鋭片となって広がる。
空が、閉じた。
「散開しろ!!」
遅い。
大鷲の翼が裂け、騎手の身体が貫かれる。
血が風に散り、悲鳴は途中で途切れた。
次の瞬間には――空には何も残っていなかった。
「……遅ぇな」
ガルドは一瞥しただけで、興味を失う。
「右舷より砲撃!」
アルマリク海軍十隻が、一斉に火を噴いた。
ズドン、ズドン――
砲弾が海を裂き、ブラック・タイドへ迫る。
だが。
海水の膜が、その前に立ちはだかった。
砲弾が、滑る。
逸れる。
「効いてない……!?」
その声は、次の瞬間には震えていた。
しかし。
砲撃は止まらない。
重なる。
叩きつけられる。
水の膜に歪みが走る。
ひびが入る。
「通る……通るぞ……!」
誰かが、縋るように呟く。
パキン。
一瞬だけ、シールドが割れた。
砲弾が船体へ直撃する。
「やったぞ!」
歓声が上がる。
誰もが、一瞬だけ“勝てる”と錯覚した。
――その瞬間。
静寂。
ブラック・タイドの砲台が、ゆっくりと形を変えた。
三角錐の巻貝弾が装填される。
「……来る」
しゅるるるるるる――
ズドン。
音が遅れて届く。
次の瞬間、艦船の中央に穴が開いた。
爆発。
一隻が、内部から崩れ落ちる。
それは、希望が砕ける音だった。
「下だ!!」
海面が揺れる。
次の瞬間、サハギンとマーマンが船底へ突き上げる。
船体が裂ける。
転覆。
沈没。
連鎖的に、艦隊が崩れていく。
海戦は、そこで終わった。
ブラック・タイドが、砲門を開く。
黒い砲列が並ぶ。
アルマリクの都市に、魔法障壁が展開された。
光が街を覆う。
「耐えろ……耐えろ……!」
祈りに近い声。
「まだ……持つはずだ……!」
しゅるるるるるる――
ズドン。
ズドン。
障壁にひびが入る。
振動が街を揺らす。
そして。
パキン――
砕けた。
誰かの息を呑む音が、はっきりと聞こえた。
光が、粉々に散る。
ズドン。
ズドン。
砲弾が市街へ突き刺さる。
建物が弾け、炎が噴き上がる。
「逃げろォォォ!!」
声が裏返る。
母親が子を抱えて走る。
「いやああああ!!」
子どもが泣き叫ぶ。
商人が荷を抱えたまま立ち尽くす。
爆発。
吹き飛ばされる。
「水を持ってこい!!」
防衛隊が炎に飛び込む。
若い兵士が、崩れ落ちた仲間を揺さぶる。
「起きろ……起きろよ……!」
返事はない。
年配の隊員が、それを一瞬だけ見て、目を伏せる。
「……運べ。まだ終わってねぇ」
血に濡れた兵士を引きずる。
石畳に、赤が広がる。
「足が……!」
滑る。
血溜まりに足を取られ、転ぶ。
誰も止まれない。
止まれば、死ぬ。
その黒帆は――止まらなかった。
都市を、ただ通り過ぎていく。
ザファルはそれを見上げる。
(間に合わなかったか……)
ほんの一瞬だけ、瞼が閉じられる。
だが、すぐに開く。
「……通り抜けただと?」
間。
「やつの目的は何なんだ」
その黒帆は、やがて湾を抜ける。
進路の先――陸地。
緩やかな丘が広がっていた。
その頂を見上げるように、船団は進む。
「……上か」
ガルドが呟く。
やがて旗艦が減速する。
一部の兵が上陸し、丘へと駆け上がる。
その丘の上で――
静かに、空間が歪む。
ふわり、と。
男が現れた。
ゼインだ。
「ガルド様~、長い船旅ご苦労様でした~」
軽い声音。
戦場の惨状とは、あまりにもかけ離れている。
ガルドが視線だけを向ける。
「フハハ……なかなか刺激的だったぜ」
「抵抗の割には、持った方だな」
ジャンが横から姿を現す。
軽く一礼する。
「団長~、久しぶりの遠出で楽しかったよ~」
ゼインがくるりと回る。
「待ってました~。これで“もやもやハート”完了です~」
「やっと開けられる~」
その指先が、空間に触れる。
ぐにゃり、と歪む。
「では瘴気門、開門しちゃいますね~」
裂ける。
黒い亀裂が走る。
そこから、瘴気が溢れ出す。
ドロリ、とした闇。
「ジャンも行くよ~」
「あいあいさ~。あ、もう陸だった」
二人は丘の上の裂け目へと踏み込み、闇の中へと消えた。
残されたのは――黒い門。
脈動するそれは、まるで生き物のように呼吸している。
ガルドが振り返る。
「よーし……連結せよ。橋を架けるぞ」
船団が動く。
巨艦同士が軋みながら接近する。
鎖が放たれる。
ギィィィ……と金属が噛み合う音。
甲板から、厚い板が次々と渡される。
打ち込まれる杭。
固定される連結部。
船と船が、“連環”として一体化していく。
海の上に、継ぎ足された道が伸びる。
波が押さえつけられ、水面が不自然に静まる。
やがてそれは――巨大な橋となった。
その先にあるのは、侵攻。
門が、脈打つ。
ドクン――ドクン――
まるで心臓のように。
次の瞬間。
ズルリ、と“何か”が這い出た。
人影。
だが、その輪郭は歪んでいる。
続いて、また一体。
さらに――
止まらない。
瘴気の中から、次々と“敵勢”が溢れ出す。
それは軍ではない。
洪水だった。
黒い波が、橋へと流れ込む。
ガルドはそれを見下ろし、笑う。
「……始まりだ」
その声に応えるように、侵攻は加速する。
それは――戦いではない。
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