第71話 異形のサーカス
さびれた山岳地帯。
乾いた風が、岩肌を撫でる。
削られた稜線が、空に鋭く突き刺さっていた。
春の気配が、わずかに残っている。
昼は乾いた陽射しが肌を焼き、
夜は冷えが戻り、息が白く滲む。
遠くの斜面には、短い季節の名残のように、
まばらな草と小さな花が点在していた。
人の気配はない。
動くものもない。
――本来ならば。
その中に、紅白のテントがあった。
あまりにも場違いな色。
あまりにも鮮やかな存在。
それはまるで、世界に差し込まれた“異物”。
近づくにつれ、空気がわずかに歪む。
風の音が、ほんの少し遅れて届く。
足音が、妙に軽く響く。
何かが――混じっている。
◇
テントの周囲では、無数の影が動いていた。
団員たち。
あるいは、使役された魔物――ゴブリンやオークたち。
斧を振るう。
コツン。
コツン。
木が倒れる。
その音に混ざって――
じゅわ……。
空気が滲むような、湿った音。
瘴気。
観客はいない。
それでも――
コツン。
カン。
……じゅわ。
作業音は、歪な音楽のように奏でられ続けていた。
伐り出された木材は、すぐに組み上げられていく。
囲い。
遮蔽物。
黒鉄の杭が打ち込まれ、布が張られ、見えない膜が形成される。
瘴気が外へ漏れないように。
隠すための工事。
サーカスの裏側で進む、異様な土木。
その只中で――
鍛冶の音が鳴っていた。
カン。
カン。
赤く焼けた金属が打たれ、火花が散る。
黒鉄の留め具や杭が、その場で作られていく。
別の一角では、刃物で木が削られ、
板が整えられ、歪な足場へと組み込まれていく。
削り屑は黒ずみ、土に触れた瞬間、色を変えた。
じわり。
地面が、染みるように濁っていく。
草は萎れ、花は色を失い、
春の名残は、ゆっくりと侵されていく。
まるで――
この場所そのものを、作り替えているかのように。
さらに外縁では、曲馬師――魔物使いが指示を飛ばしていた。
「行け。そこを均せ」
低い唸りとともに、使役された魔物が地を踏み砕く。
爪で岩を削り、牙で根を引き抜き、
隆起した地面を押し潰していく。
どごん。
ごり、と岩が割れる。
凹凸は消え、道が“通れる形”へと変わっていく。
その上から、黒ずんだ土が撒かれる。
じわり。
瘴気が染み込み、地面は均されながら、ゆっくりと色を変えた。
――通るための道ではない。
侵すための道が、整えられていく。
◇
「ぜんぜん終わんないよ団長〜」
軽い声が弾む。
「ばかー、今は局長でしょ?」
「うーん、僕としては団長でいいかな」
――かつて、首だけになっていたはずの道化師。
それでも今は、何事もなかったかのように笑っている。
「へっへーん」
「それにねー前なんてさ、ディアス様たちと四人でやったんだよ? 僕たち」
自慢げに話す。
「特務小隊とかかっこいいねー」
「ほらほら文句言わないの!」
「ほら、そこさぼるな!」
その声と同時に――
ひゅ、と風が切れる。
無音で飛んだトランプが、横で手を止めていたゴブリンの首を撫でた。
「はい、アウト〜」
――一瞬。
次の瞬間、首が滑り落ちる。
どさり。
遅れて、血が噴いた。
誰も驚かない。
むしろ――
周囲の作業音が、わずかに大きくなる。
コツン。
カン。
……じゅわ。
何事もなかったかのように、作業は続く。
倒れた胴体は、すぐに引きずられていく。
囲いの陰。
低く唸る魔物の口が開いた。
咀嚼音。
骨が砕け、肉が裂ける。
それもまた、作業の一部だった。
「さぁいくよ、ラズール」
楽しげな掛け声が続く。
返事はない。
ただ――
空気が裂けた。
無音で飛んだトランプが、空中のロープを正確に切り裂いた。
上空。
妖艶な影が、空を蹴る。
エアリアル。
見えない足場を踏むように、軽やかに跳び、ロープを渡り、布を巻き取っていく。
するり、と滑るような動き。
寸分の狂いもない。
その下で――
ジャグラーが腕を振る。
投げられた金属片が、回転しながら飛び、
ロープの端を正確に打ち抜いた。
カン。
固定。
「はい、次ー」
「了解〜」
だが、その足元では――
黒い石が、脈打っていた。
生瘴石。
その表面から、じわりと瘴気が滲み出る。
周囲の空気が、濁る。
オークの一体が、慣れた手つきでそれを押さえ込む。
魔力を流し込む。
別の者が、部品を組み上げる。
瘴気門。
まだ未完成。
だが、確実に形になりつつある。
歪む。
空間が、わずかに軋む。
それでも、誰も気にしない。
ただ、楽しそうに。
作業は続く。
◇
テントの奥。
そこは、舞台だった。
ロープが張られ。
カードが宙を舞い。
異形たちが、役割を演じている。
空中で舞う、妖艶な影。
奇妙なリズムで物を投げる、アフロ頭の怪物。
荒れる魔物を、軽やかにいなす曲馬師。
そして――
道化師。
ゼイン。
彼は、そこにいない。
◇
高所。
崖の上。
海を見下ろす位置。
そこに、立っていた。
ゼイン。
その眼下――
まだ何もない海。
だが、わずかに空気が濁っている。
見えない何かが、準備されているかのように。
静かに。
確実に。
侵食は、始まっていた。
その先――
まだ霞んでいる陸地。
名もなき土地。
そして、その奥。
アルマリク。
ゼインは、それを見ていた。
ただ、楽しそうに。
「今期の演目は――“もやもやハート”」
くすり、と笑う。
「じわじわ染みてく感じ、いいよね」
「ほら、気づいたらもう戻れないやつ」
少しだけ、目を細める。
「さてさて――主役を待ちますか」
「瘴気を見たら、どう動くのかな?」
誰に向けた言葉でもない。
ただの、独り言。
あるいは――
観客への挨拶。
◇
遠く。
うっすらと。
煙のようなものが立ち上る。
まだ、誰も気づいていない。
だが。
確実に、始まっている。
ゼインは、目を細めた。
「そろそろ、ばれる頃かな?」
「――演目の開始だ」
風が吹く。
遠くで、何かが軋むような音がした。
瘴気が揺れる。
「まあ……あっちからこっちへは、簡単には来られないだろうけど」
「高みの見物といこうか」
くく、と喉を鳴らす。
「万が一、来られたら――」
笑う。
「遊べるかもね。……ひひ」
その声は、風に溶けた。
舞台は整った。
あとは――
幕が上がるだけだ。
まだ、誰も知らないままに。
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