第69話 黒き門の残響
王城の中庭を抜け、昼下がりの陽光が石畳に淡い影を落とす中、城の東にそびえる塔へと足を運ぶ。
この塔は、王都における魔法研究と兵団運用の中枢である。
(まるで、戦場の心臓だ――)
各階ごとに用途が分かれ、瞑想室、魔道具研究室、図書室――そして最上階には魔法兵団長の執務室が置かれている。
グラヴィスに先導され、メフレトの使節団はその内部を進んでいた。
「この先の倉庫に、黒き門の残骸を保管しておる」
歩きながら、グラヴィスが振り返る。
「調査はすでに始めておるが……なかなか興味深い代物での」
重厚な扉の前で足が止まる。
――音が、消えた。
その奥にあるものを思わせるように、空気がわずかに重い。
だが――
「……おっと、そうじゃった」
グラヴィスがふと何かを思い出したように手を打つ。
「謁見が許可されておる」
にやりと笑う。
「ついてまいれ」
使節団は進路を変え、王城の奥へと向かった。
王城――謁見の間。
高窓から差し込む光が床を白く照らし、空間の広がりを際立たせている。
高い天井に、足音が静かに反響する。
整然と並ぶ騎士たちの間を、メフレトの調査団が進んでいく。
玉座の前。
セトスは一歩前に出て、静かに頭を下げた。
「メフレト魔導評議国より参りました。調査団代表、セトスにございます」
王はゆっくりと頷く。
「遠路はるばる、よく来てくれた。セトス殿」
一拍。
「私がフェルメリア一世である」
穏やかな声。
「到着が早かったな。驚いたぞ」
「もったいないお言葉」
短い返答。
王はそのまま言葉を継ぐ。
「戦後でまだ落ち着かぬ状況でな」
「其方にも、会議に参加してもらいたい」
「承知しました」
余計な言葉はない。
そのまま一行は会議室へと移った。
会議室。
円卓にはすでに主要な面々が揃っていた。
王。
宰相セオドール。
騎士団長レオン。
魔法兵団長グラヴィス。
大神官セレスト。
そして――使節団長セトス。
重い空気が満ちている。
宰相が口を開いた。
「現状の確認から入る」
「物資は不足、食料は逼迫している。各兵団の戦力はおよそ六割に低下している」
セレストが静かに続ける。
「兵士の治療は順調。結界は修復済みです」
「長期防衛は可能ですが、再展開には時間を要します」
レオンが腕を組む。
「戦術は防衛重視だ」
「見張りを増やし、見張り台の建設を進める」
一呼吸。
「だが――」
低く、唸るような声。
「守るだけでは、いずれ押し潰される」
空気がわずかに軋む。
宰相が目を細める。
「現時点で攻勢に出る余力はない」
短い応酬。
すぐに沈黙が戻る。
レオンは舌打ちし、腕を解いた。
「……瘴気の観測と早期警戒が鍵になる」
「敵は門から現れる」
場が静まり返る。
「出現位置は予測不能。密集は自殺行為だ」
「小隊単位で分散し、各個に対応する」
王がゆっくりと頷いた。
「各地に警戒を広げよ」
グラヴィスが口を開く。
「黒き門の残骸じゃがな――」
「王宮錬金術師エルヴィスによると、非常に特殊な金属でできておるようじゃ」
視線が集まる。
「ただの金属ではない」
「精霊の魔力が宿ったような……もちろん闇のじゃが」
空気が変わる。
「そして……」
グラヴィスはわずかに目を細めた。
「魔王が使った根源魔法」
「その一端ではないかと見ておる」
「……根源魔法だと?」
宰相が低く呟く。
沈黙。
セトスが口を開いた。
「……否定はできません」
「魔王軍はすでに、それを魔道具として運用していると見るべきでしょう」
短い一言。
それだけで、場の空気は決定的に変わった。
「それともう一つ」
グラヴィスが続ける。
「あの時の相手じゃがな……精霊魔法を使う者がおった」
空気がさらに張り詰める。
「一人は闇の導き手――光の導き手と対になる存在」
誰かが、息を呑んだ。
「……!?」
レオンが目を細める。
「精霊魔法か……」
その横で、セトスが小さく呟いた。
「……我が国では、しばらく契約者は確認されていない」
グラヴィスは肩をすくめると、ゆっくりとローブをめくり上げた。
露わになった右足。
――誰も、言葉を発しなかった。
セレストの指が、わずかに震えた。
そこには、見るも無残な傷跡と、銀色の義足がはめられていた。
「ほれ、こっぴどくやられたわい」
軽い口調。
だが、その場の誰もが理解していた。
その一撃が、どれほどのものであったかを。
宰相が口を開く。
「各国からの被害報告は、現時点では確認されていない」
「……だが」
一瞬の間。
「静かすぎる」
――嵐の前のように。
王がゆっくりと立ち上がる。
「防衛を最優先とする」
「各地に通達を出せ」
「警戒を強化し、来るべき事態に備えよ」
一方――アルマリク自由都市。
王都とは違い、空気は乾き、ざわめきが街に満ちていた。
「……間違いねぇな」
報告書を握る手がわずかに軋む。
「こいつは……瘴気だ」
空気が凍る。
「しかも……規模が違う」
フェルメリアからの報告とは、桁が違う。
ザファルが顔を上げる。
「各国に通達を出せ」
「それと――傭兵でも何でもいい。金は気にするな」
一拍。
「雇える連中は、全部抱え込め」
視線が鋭くなる。
「これは――一つの街の問題じゃねぇ」
「世界の問題だ」
職員たちは一斉に動き出した。
その頃。
王城の廊下。
「……黒き門、か」
訓練帰りのリオが、すれ違いざまにその言葉を耳にする。
足が、わずかに止まった。
理由は分からない。
だが――
胸の奥に、引っかかるものが残る。
世界は、まだ静かだった。
だが――
その静けさの下で、確実に何かが動いている。
誰も知らぬまま。
――誰一人として、その兆しに気づいてはいなかった。
戦いは、すでに始まっていた。
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