第68話 穏やかな春の中で
2026/4/4 セトスの挿絵を追加しました。
叙任式から、数日が経過していた。
春は、いっそう穏やかさを増している。
王都近郊の森は、やわらかな陽光に包まれていた。
朝露に濡れた草を踏みしめながら、リオは静かに剣を振る。
ヒュン――。
空気を裂く音が、いつもより軽い。
「……違う」
もう一度。
ヒュン。
やはり違う。
リオは、ゆっくりと目を閉じた。
頭の中に、あの戦いが蘇る。
ディアス。
あの剣。
あの圧。
あの“間”。
記憶の中で何度も斬り結ぶ。
動きをなぞり、呼吸を合わせ、刃の軌道を追う。
そして――。
目を開く。
体が、自然と動いた。
ヒュン――ッ。
今度は違う。
剣と体が、噛み合っている。
「アストル、今の……」
肩の上に浮かぶ小さな光の精霊――アストルが首を傾げた。
「うーん……わかんない!」
「だよね……」
リオは小さく息を吐く。
「……ちょっと試してみる」
剣を構える。
「――ホーリーエンチャント」
刃に淡い光が宿る。
そのまま、一歩踏み込んだ。
「……ッ!」
振り抜く。
次の瞬間――。
ズンッ!!
鈍い衝撃音とともに、森の大木が斜めに断たれた。
ゆっくりと、だが確実に。
巨木が傾き、倒れ、地面を揺らす。
「……え?」
リオは思わず呟いた。
「なにそれ!?すごっ!!」
アストルが目を輝かせる。
その音を聞きつけたのか、近くにいた木こりが駆け寄ってきた。
「今の、あんたがやったのか!?」
「あ、はい……」
「いや……すごいですね。助かります、王都の復興で木材が足りてなくて……」
がしっと肩を叩かれる。
「えーと、できましたら……あと二、三本ほどお願いできませんか?」
「え……」
リオとアストルは顔を見合わせた。
「……やるか」
「やるんだ」
ははっ、と乾いた笑いがこぼれる。
苦笑いしながら、リオはもう一度剣を構えた。
――
何本か伐り終える頃には、木こりたちは何度も頭を下げていた。
「本当に助かります……!」
深々とした感謝に、リオは少し居心地の悪さを覚える。
「いえ、そんな……」
それ以上引き止められる前に、軽く会釈をして、その場を後にした。
どこか逃げるように、王都へと足を向ける。
――
王都の門。
「お、リオ様。今日も修行ですか?お疲れ様です!」
「は、はい!」
門番の言葉に、思わず背筋が伸びる。
“様”。
呼ばれるたび、どこか落ち着かない。
(……まだ、慣れない)
軽く会釈をして、リオは中へ入る。
――
門をくぐると、王都の空気が広がった。
市場には活気が戻りつつある。
だが――完全ではない。
棚は埋まりきらず、品薄の札が目につく。
値札を見て眉をひそめる客。
仕入れに頭を抱える商人。
街は、立ち直りつつある。
けれど――まだ足りない。
――
「行ってきます」
「いってらっしゃい、リオ」
サビアが、やわらかく微笑む。
いつもの朝。
――少しだけ、違う朝。
――
王城。
訓練場。
呼吸が合う。
ファルトが盾で道を作り、
ミラが魔法で牽制し、
セフィーナの風が流れを整える。
それぞれが、確実に強くなっている。
――
訓練後。
中庭。
見慣れない集団。
メフレト魔導評議国の調査団。
その中心にいた男が、一歩前に出る。
「……ミラ?」
空気が凍る。
「……お兄様……」
ミラの声が、わずかに震えた。
男――セトスの目が細くなる。
一瞬だけ、緩む。
だが――すぐに消える。
「……生きていたか」
静かな声。
「お前のせいで、我が評議会がどれほどの痛手を被ったか――忘れはせん」
ミラの指先が、わずかに震えた。
唇が動く。
だが――言葉にならない。
沈黙。
「……まぁまぁ、そのくらいにしておきなさい」
グラヴィスが割って入る。
一行は去っていった。
――
食堂。
重い空気。
「なぁ、さっきの訓練さ――」
ファルトが無理やり笑う。
「……」
続かない。
静寂。
やがて――
「……私、メフレトから来たの」
ミラが、ぽつりとこぼした。
「ここに来たのは――逃げたからよ」
一瞬、空気が揺れる。
だが彼女は、それ以上続けない。
「……さっさとご飯にしましょう」
いつもの声に戻る。
それ以上、踏み込めなかった。
リオは、ただ思う。
(……何も、知らないんだな)
彼女のことも。
抱えているものも。
ただ、食事に視線を落とす。
食器の音だけが響く。
「ほら、ちゃんと食べる!さっさと並ぶ!」
マリアの声だけが、いつも通りだった。
――
一方。
アルマリク自由都市。
帳簿を睨む市長――ザファル。
「……足りねぇな」
物資不足。
価格高騰。
そして――
「黒い靄が確認されました」
空気が変わる。
「……来やがったか」
春の光の届かない場所で。
世界のどこかで、何かが静かに動き始めていた。
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