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勇者とは呼ばれずとも 封じられし精霊と少年の物語  作者: カイメイラ
第3章 王国騒乱編

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第67話 叙任式と春の足音

 冬の王都は、骨の芯まで冷える。


 吐く息は白く、朝の訓練場には霜が降りていた。踏みしめるたび、足元の土がしゃり、と乾いた音を立てる。


 その中で、リオは今日も剣を振っていた。


「はぁっ!」


 振り下ろし、返し、踏み込み、薙ぐ。


 何度も、何度も。額に浮かんだ汗が冷気にさらされ、頬を伝う前に冷えていく。それでも止まらない。止まりたくなかった。


 淡く光を帯びた剣――ライトブリンガーを握る手に力を込め、リオは正面の杭へと打ち込む。


 乾いた衝撃音が響いた。


 だが、次の瞬間にはもう不満が胸をよぎる。


 違う。


 こんなんじゃない。


 これでは、足りない。


「……だめだ」


 リオは小さく吐き捨てるように言って、ライトブリンガーの切っ先を地面へ向けた。


 王都に来たばかりの頃と比べれば、自分でもわかるほど強くなった。


 騎士団での鍛錬。実戦。幾度もの死線。以前なら手も足も出なかった相手に、今は食らいつける。身体も、剣も、心も、あの頃とは比べものにならない。


 けれど――。


「これじゃ、ディアスには勝てない……」


 ぽつりと漏れた本音は、白い息とともに空へ消えた。


(同じ導き手なのに……何が違うんだ)


 脳裏に、あの戦いの一瞬がよぎる。牙の王と対峙したときの、あの圧。


 足が止まり、視界が狭まり、ただ押し潰されるように感じた瞬間。


 脳裏に浮かぶのは、あの赤く染まった瞳と、深紅に脈打つ闇の精霊紋。


 王都を襲った瘴気。押し潰されるような圧力。闇の羽を広げたあの姿。


 忘れられるはずがなかった。


 リオの肩のあたりに、ふわりと小さな光が舞い降りる。


「そんなに思いつめるなよ、リオ」


 ティンカーベルほどの大きさの少年――光の精霊アストルが、呆れたように言った。


「毎日毎日、こんな寒い中でやってるじゃん。十分がんばってるって」


「……十分じゃないよ」


 リオは首を振る。


「レオン団長が動けたら、もっとちゃんと見てもらえるのに」


 王都防衛戦で深手を負ったレオンは、まだ本調子ではない。稽古をつけられないわけではないが、以前のように本気で相手をすることはできなかった。


 騎士団の中でも、今のリオにとって満足のいく訓練相手は、少しずつ減ってきている。


 もちろん、それは成長の証でもある。だがリオにとっては、喜ぶより先に焦りとなって胸を焼いた。


「もっと強くならないといけないんだ」


 アストルは小さく肩をすくめる。


「そういうとこ、真面目すぎるんだよなあ」


 軽口のように言いながらも、その声音には心配が混じっていた。


 リオは答えず、もう一度ライトブリンガーを構える。


 その背中を、少し離れた場所から見ている者がいた。


 ファルトである。


 重戦士らしい大きな体を毛皮の外套で包みながら、彼は無言で訓練場の端に立っていた。手にはいつもの大盾。だが、その表情は晴れない。


「……兄貴分失格だな」


 誰に聞かせるでもなく、ファルトは低くつぶやく。


 リオが焦っているのはわかる。


 自分も同じ戦場にいたからこそ、なおさらだ。あの戦いで、自分は守りきれたのか。支えられたのか。もっとできたことがあったんじゃないか――そんな思いが、ずっと胸の奥に残っている。


 強くなったつもりでいた。


 けれど、あの戦場ではまだ足りなかった。


 リオが前に進もうとしているのに、自分はどうだ。


 悔しさが、重たい拳のように胸を叩く。


(盾はいい……だが、俺に一番合う武器はなんだ)


 守ることには自信がある。だが、それだけでいいのか――そんな迷いが、わずかに芽生えていた。


「少し、顔が曇っているな」


 背後から声をかけられ、ファルトが振り返る。


 そこに立っていたのは、騎士団長レオン・ヴァルガスだった。


「団長……」


 まだ本調子ではないはずなのに、その佇まいには少しも揺らぎがない。


 レオンは訓練を続けるリオへ一度だけ視線を向け、それからファルトに言った。


「戦士には、騎士にはやるべき道がある。……焦らず己を高めろ」


 ぶっきらぼうな言葉だが、余計な慰めがないぶん、かえって胸に落ちた。


 ファルトは一度だけ強くうなずいた。


「……はい」


 同じ頃、魔法兵団の訓練棟では、ミラが一人で魔法陣の前に立っていた。


 指先から放たれた火球が標的へ着弾し、続けて土槍が空気を裂く。


 威力も精度も申し分ない。以前のミラなら、それで満足していたかもしれない。


 だが今は違った。


「足りない……」


 静かな声が、石造りの訓練室に落ちる。


 前回の戦いで、自分の魔法は決定打にならなかった。


 火も、土も、届かなかった。


 ミラは魔法陣を描く手を止め、わずかに眉をひそめる。


(……どうすれば、精霊魔法に並べる?)


 詠唱の速さか、構築の密度か、それともまったく別の理か。


 答えはまだ見えない。


 (……おじいちゃんに聞くしかないか)


 ミラは再び指を走らせ、魔法陣を描き直した。


 一方、精霊教会では、セフィーナがセレオス大神官の前に頭を下げていた。


「大神官様、どうかご教示ください」


 その声には、切実な焦りがにじんでいた。


「今のままでは、私は何も守れません」


 セレオスは静かに目を細める。


「セフィーナ殿……」


「回復も、支援も、まだ足りません。私はもっと、精霊の声を聞けるようになりたいのです」


 セフィーナはいつもの柔らかな笑みを見せなかった。白い指先をぎゅっと握りしめ、その瞳には強い決意が宿っている。


 あの戦場で感じた無力さを、彼女もまた忘れてはいなかった。


 セレオスはしばし黙したのち、ゆっくりとうなずく。


「よろしい。ならば、基礎からやり直しましょう」


「……はい!」


 その返事は、祈りにも似た真剣さを帯びていた。


 皆がそれぞれの場所で、足りなさと向き合っていた。


 冬の厳しさの中で、焦燥も悔しさも胸に抱えながら、それでも前へ進もうとしていた。


 そうして日々が積み重なっていくうちに、王都の空気は少しずつ変わっていった。


 朝の冷え込みはまだ厳しいが、風の匂いにどこかやわらかさが混じり始める。木々の枝先には小さな芽がのぞき、石畳の隙間にも淡い緑が顔を出していた。


 季節は、春を迎えようとしていた。


 リオが王都へ来てから、まもなく一年。


 あの日、右も左もわからぬまま城門をくぐった少年は、今や王都防衛戦を生き抜いた導き手として知られる存在になっていた。


 その日の朝も、リオはいつものように訓練場で汗を流していた。


「そこまでだ」


 不意に声が飛び、リオが振り返る。


 訓練場の入口に立っていたのは、騎士団副長カイル・バセックだった。


「カイル副団長?」


 隣で木剣を担いでいたファルトも、首をかしげる。


 カイルは二人の前まで歩み寄ると、封のされた書状をそれぞれに差し出した。


「通達書だ。内容は自室で確認しろ……と言いたいところだが、どうせ今すぐ開けるだろう」


 少しだけ口元を緩めた副長に、リオとファルトは顔を見合わせた。


「え、開けていいんですか?」


「構わん」


 リオが恐る恐る封を切る。隣ではファルトも同じように書状を開いていた。


 中を読んだ瞬間、二人そろって目を丸くする。


「……叙任式?」


「俺もか!?」


 思わず声を上げる二人に、カイルはうなずいた。


「数日後、謁見の間にて執り行われる。今年騎士に昇格する者たちのお披露目も兼ねた式典だ。地方の貴族や有力者も多数参列する」


「うわ……」


 リオは書状とカイルの顔を見比べた。


 戦場に立つより緊張しそうだ、と本気で思う。


「礼装は後ほど支給される。粗相のないようにな」


 それだけ言い残し、カイルは踵を返した。


 去っていく背中を見送りながら、ファルトがにやりと笑う。


「おいリオ。お前、顔引きつってるぞ」


「だ、だって叙任式って……王様の前でしょ?」


「今さらだろ」


「それとこれとは別だよ!」


 思わず言い返すと、ファルトは声を立てて笑った。


 そんな何気ないやり取りさえ、どこか春めいて感じられた。


 そして数日後。


 叙任式は、王城の謁見の間にて盛大に執り行われた。


 高い天井には豪奢な装飾が施され、赤い絨毯が玉座へとまっすぐ伸びている。左右には騎士や文官が整列し、その後方には地方から集まった貴族や有力者たちの姿もあった。


 張りつめた空気に、リオは思わず背筋を伸ばす。


 礼装は着慣れず、首元もどこか落ち着かない。


 玉座にはフェルメリア一世が座し、その隣には王妃の姿もあった。そして少し後ろには、見慣れない若い少年――おそらく王子と思しき人物も控えている。


(王子様って、いたんだ……)


 そんな場違いな感想が、ふっと頭をよぎった。


 式は厳かに進んでいく。


 名を呼ばれた者が前へ進み、王の前に膝をつく。王が剣を肩に当て、宣誓がなされる。


 その一人ひとりの所作が、荘厳な重みを帯びていた。


 やがて、最後の名が呼ばれる。


「リオ=ルナリス」


 どくん、と心臓が跳ねた。


 リオは一歩前へ進み、王の前に膝をつく。


 謁見の間の視線が、いっせいに自分へ集まるのを感じた。


 フェルメリア一世が剣を取る。


 だが、そのまま肩へ当てるかと思われた次の瞬間、王は傍らの通達書へ視線を落とした。


 ほんのわずか、場の空気が変わる。


(……ん?)


 違和感を覚えたリオの耳へ、王のよく通る声が響いた。


「汝、リオ=ルナリス」


 謁見の間が、しんと静まる。


「父ラス=ルナリスの所領を相続し、男爵位を奉ずる」


 ざわ……と、抑えきれない小さなざわめきが広がった。


「この若さで男爵位だと?」

「相続……ルナリス家か」

「ローデン侯の寄子筋……なるほどな」


 視線が一斉にリオへと集まる。


 ――ん?


 リオの思考が止まった。


(……男爵って、何?)


 目を瞬かせる。


 いや、言葉自体は知っている。たぶん貴族だ。えらい人だ。そういうことくらいは知っている。


 でも、どうして自分が?


 混乱したまま、リオは思わず参列者の中を見回した。


 そして見つける。


 少し離れた席でこちらを見ている母サビアの姿を。


 母はというと――なんとも言えない、申し訳なさそうな顔をしていた。


(母さん!?)


 さらに視線をさまよわせた先で、セオドール宰相と目が合った。


 冷静沈着な宰相は、顔色一つ変えずにこちらを見ている。そしてほんのわずかに顎を引き、目で示した。


 ――とりあえず、返事をしなさい。


 そんな無言の圧と、ほとんど見えない程度のジェスチャー。


 リオははっと息をのみ、慌てて頭を下げた。


「き、謹んでお受けします」


 わずかにどよめきが走る。


 王は満足げにうなずいた。


「うむ。なお、領地の管理はまだ難しかろう。村長を代官とする委任状を用意させよう」


(……? ナニソレ?)


 もう頭がついていかない。


 だが式は待ってくれない。王の剣が改めてリオの肩へと触れ、厳かな宣誓が終わると、周囲から拍手が湧き上がった。


 リオは半ば夢の中を歩くような気分で、列へ戻った。


 自分が何を言われ、何を受け取ったのか、まだきちんと理解できていない。


 ただひとつ確かなのは、とんでもないことになった、ということだけだった。


 式典が終わったあと。


 王城の廊下へ出たリオとファルトを待っていたのは、見知った顔ぶれだった。


「おお、来たか」


 穏やかな声で笑ったのは、ローデン侯。


 その隣にはエルノ・バレスタ、さらにファルトの父ヴァルトと母クラリスの姿もある。


 エルノ・バレスタはリオを見るなり、ふっと目を細めた。


「ずいぶんご立派になられましたな」


 どこか孫を見る祖父のような口ぶりに、リオは思わず苦笑する。


「や、やめてくださいよ、エルノさん……」


 一方でヴァルトは、まずリオの前へ進み出ると、深々と敬礼した。


 その厳かな所作に、リオは思わず息をのむ。


(え……なんで、敬礼……?)


 内心でそう感じた直後、ヴァルトは今度はファルトの前へと向き直った。


 ほんの一瞬だけ視線を交わす。


 その空気は、礼を必要としない――騎士同士のものだった。


 その直後、ファルトのほうがぎょっとする。


「親父!?」


 しかし次の瞬間、ヴァルトはふっと表情を緩め、無骨な手で息子の頭をぐしゃぐしゃとかき回した。


(……いいな)


 そのやり取りを見て、リオはふとそんなことを思った。


「よくやったな」


「うおっ、ちょ、やめろって!」


 照れ隠しのように身をよじるファルトを見て、クラリスがくすりと笑う。


 そんなやり取りに、廊下の空気も少し和らいだ。


 だが、ローデン侯はすぐにリオへ向き直った。


「男爵の爵位、まことにめでたいことだ」


「え、あの……ありがとうございます。でも、なんで僕が……?」


 率直すぎる問いにも、ローデン侯は気分を害した様子もなく、むしろ面白そうに笑った。


「父ラスと同様、お前もまた我が配下に連なる家――すなわち寄子の家の者だからだ」


 そこで言葉を切り、侯はサビアへ視線を向ける。


「……とはいえ、サビア殿は何も伝えておられなかったようだな」


 サビアは一歩前へ出ると、少し困ったように微笑んだ。


「リオが伸び伸びと暮らせるようにと思っていたのです。小さな村で、貴族の子だと知られれば、周りも本人も気を遣ってしまうでしょうから」


「なるほどな」


 ローデン侯は大きくうなずき、朗らかに笑う。


「はっはっは。実にサビア殿らしい」


 そして、なおも戸惑い顔のリオに向かって言った。


「まあ、今すぐ何もかも理解する必要はない。わからぬことがあれば、ティナに聞くといい」


「え?」


 リオは瞬きを繰り返した。


「ティナ? どうしてティナなんですか?」


「おお、言っておらなんだか」


 ローデン侯はあっさりと言う。


「ティナは私の娘だ」


「…………え?」


 今度こそ、リオの思考が本格的に止まった。


 その絶妙な間のあと、廊下の奥から見慣れたメイド服の少女が静かに歩み出てくる。


「リオ様、おめでとうございます」


 にこり、といつも通りの穏やかな笑み。


 ティナだった。


「えええっ!?」


 思わず素っ頓狂な声が響く。


 ファルトまで「はぁ!?」と目をむいていた。


 サビアはというと、なんとも言えない困り顔で目を伏せている。


 ローデン侯は豪快に笑った。


「まあ、そういうことだ。深く考えるな」


 いや無理だろう、とリオは心の中で全力でつっこむ。


 だがティナはまったく動じることなく、優雅に一礼した。


「いつでもご相談くださいませ」


 それだけ言うと、ティナはローデン侯の後ろへすっと下がる。


 話の密度が濃すぎて、リオの頭は完全に追いつかなかった。


 やがて一同が引き上げ、廊下に少しだけ静けさが戻る。


 リオは改めて母へ向き直った。


「母さん……一体どういうこと?」


 サビアは少しだけ視線を落とし、やがて穏やかな声で言った。


「ごめんね。あなたが小さい村で不自由を感じるんじゃないかって思ったの」


「不自由?」


「ええ。貴族の子だと知られたら、誰も気軽に接してくれなくなるかもしれないでしょう? 誰とも遊べなくなったりしたら、嫌かなって……」


 そこまで聞いて、リオはようやく少しだけ腑に落ちた。


 たしかに、村の皆がよそよそしくなっていたら、自分はあんなふうに走り回れなかったかもしれない。


 村でできた友達たちとも、もっと違う距離になっていた可能性はある。


「……言われてみたら、そうかも」


 腕を組んでうなりながら考え込み、やがてリオは肩の力を抜いた。


「うーん……よくわかんないけど、まあいいっか」


 あっけらかんと言うと、サビアは目を丸くし、次の瞬間にはくすっと笑った。


「ふふ、そうね」


 その笑顔は、どこかほっとしたようでもあった。


 それからしばらくの間、リオは爵位だの委任状だの、聞き慣れない言葉に囲まれて手続きへ追われることになった。


 書類に名前を書き、説明を受け、また別の場所へ行く。


 ティナがつきっきりで手伝ってくれなかったら、きっと絶望の淵にいたに違いない。


 「これは貸しですからね」と、彼女は朗らかに笑った。


 剣を振るより疲れるかもしれない、と本気で思った。


 けれど、そうして慌ただしく日々を過ごしているうちに、気づけば王都の景色はすっかり春めいていた。


 城下の並木には若葉が揺れ、やわらかな陽射しが石畳を照らしている。吹き抜ける風も、もう冬の刺すような冷たさではない。


 新しい季節が、確かに始まろうとしていた。


 リオはまだ知らない。


 この春が、ただ穏やかに過ぎていく季節ではないことを。


 新たな旅立ちと、新たな出会いが、もうすぐそこまで迫っていることを。


 水面下で動く悪意に、気づくはずもなかった。


――第3章完

第三章、ここまでお読みいただきありがとうございました。


作者はしばらく改稿と取材の旅に出ます。また更新する際はつぶやきますので、気長にお待ちいただけると嬉しいです。

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