杏姫にも分からないこと
まず有り得ないであろうことに私は驚きを隠せなかった、アベルに「アンに用事があるって人がいるみたいだけど…」と言われて教室を出るとそこにはノアがいたのである。………ノアが私を訪ねてきた?いやきっと違う人だろうと思い辺りを見渡すが彼以外知っている人は誰もいない。
「御機嫌ようノア、珍しいのね貴方が私の所にっ!?」
ノアは何も言わずに私の手を引っ張ってどこかに連れていく、10年前に手を繋いで屋敷の中庭を案内した事を何となく思い出した。当たり前だがその時に比べたらかなり力が強く歩くスピードも早い、ついて行くのに精一杯である。
「ノア少し早いから少しゆっくり歩いて、後は手の力を弱めてくださいまし!跡が残ります!痛いですわ!」
「………すみません。」
ノアが連れてきたのは普段人通りの少ない階段の踊り場だった、ノアは周りに人がいないことを確認するとこちらに向かい直す。
「アン様が昨日…騒動に巻き込まれたと聞きまして。」
「心配してくれましたの!?珍しいのね明日は雨が降るのではないかしら…?」
「朝ここに来る途中で猫が顔を擦っていたので多分そうではないでしょうか。」
「違うわノア…そうじゃないのよ…」
突然の天然発言に自分よりも背の大きいがっしりとしたノアに可愛いと思ってしまったので、脳内をジルに言われて腹が立ったことやキティの可愛い姿を想像して揉み消した。
「大丈夫ですわ私は何もされていませんもの…むしろ私の友達が暴力されたの…不甲斐なさに消えてしまいたいわ……あっごめんなさい!暗い話になってしまったわね。」
「……昨日貴方がオスn…いえ男性とお茶をしている所を見ました。」
「あぁオスニエル様の事ですね、今回の事で情報を教えて貰ったのよ。噂では恋仲だとか言われているけど、酷い噂だから無視して下さいね。」
「実は俺はオスニエル様の護衛の為に学園に来ていたんです。」
確かにノアは学園に来た理由に任務があるとかと言っていた気もする。護衛なら彼と私がお茶していたことくらい知っていて当然だろう。
「再来月に遠征に行く事が決まりました俺も参加します、護衛は別の者と変わる予定です。俺は貴方の事が好きです」
「そう寂しくなるわね…大変ね折角の学園生活なのに…。」
まるで業務報告のようなノリでサラリとなにか凄いことをノアは口にしなかっただろうか…?私の聞き間違いかもしれない、きっとそうだそうに違いない。前の私の記憶を持つ私にもう理想の結婚だとか恋愛とかそんな乙女のような概念は無い…でももしかしたら昨日読んだ王子様とお姫様の物語が影響して有り得ない幻聴が聞こえたのではないのだろうか…帰ったらドクターを呼ぼう。
「ノア…?ごめんなさいもう一度お願いするわ。」
「朝ここに来る途中で猫が顔を擦って……」
「そこから始めるつもりですの!?」
「俺は貴方の事が好きです。」
「やっぱり幻聴では無かったのね…!いきなりどうしたのノア!!疲れていらっしゃるの?学園に通いながら護衛はさぞかし大変だったでしょう?でもね疲れているからと言ってそう簡単に言っていいことと悪いことがあるのよ!」
「疲れてなどいません、俺は貴方の事が好きです。」
ダメだノアが何を考えているか全く分からない……最近は少しずつ分かるようになってきたのに…例えるならやっと算数の足し算ができるようになったかと思えば突然目の前に数学の難しい問題集を置かれた気分である。頭を抱えて唸りたいのを抑えて彼をじっと見つめる、何故か彼は少し焦っているような、何かをとても恐れているような…まるで真っ暗な夜を怖がる子供のように見えた。
「ノア……貴方は優しい人だからきっと素敵なレディが現れると思うの、だから簡単にそんな事を言ってはいけないわ。それに大丈夫よ、私貴方の事を忘れたりしないもの…遠征が何ヶ月も何年も掛かろうと私貴方の事をちゃんと覚えているわ。」
「………約束を覚えていてくださいますか?」
「酷い人ねちゃんと覚えていますわ、楽しみにしているんだもの…杏を見せてくれるんでしょう?私それまで杏の事を好きにならないようにしているの、貴方と約束してくれたあの日からずっと大嫌いよ。」
自分よりも先に大人になったように見えた彼は私よりもずっと子供のように見えた。何故私に突然告白をしてきたかは本気で分からないが、あの言葉全てが彼の本音だとは思えない。ちゃんと好きならちゃんと聞きたい私のどこを好きになってくれたのか、私をずっと好きでいてくれるのかを。
「簡単にそんな事を言ってはいけないの、私は簡単に騙されちゃう女だから…その気になっては後が大変なのよ?」
かつて叶わぬ恋に狂い、嫉妬した私は今思えば恐ろしかった、愛して欲しいという衝動だけでなんでも出来てしまいそうだった。いつも内気で自信のなかった私は恋をした瞬間に消え去ったのである。自分だけが報われればいい、自分と彼だけの世界があればいいのにとその為なら邪魔な人間は全て排除すればいいのよと本気で考えていた。
「貴方が遠征から帰って来て少し落ち着いたら私をちゃんと見て見なさい、貴方のような真っ直ぐな人が好きになるような女じゃないわ。」
「……せめてこれを預かっていてくれませんか?」
ノアがそう言って渡してきたのは短剣であった、黒い鞘にはアメジストが施されていてとても綺麗な短剣だった。多分これはノアが親にでも贈られた物だろう、この国には親が騎士見習いを卒業する我が子に短剣を贈る風習がある。本当はそれだけでは無いのだけど考えるのも放棄したい気持ちでいっぱいだった。
「ノア!これがどんな物か分かってますの?これは貴方のお父様が貴方の身を守る為に贈ったもので…私の為に用意したものじゃありません!それに短剣が無くとも私は平気です!貴方の方が危険な所に行くというのに!!」
「俺には必要無いんです、これはもしもの時の貴方を守る武器になります。女性の力では敵わない事が沢山ある…俺が怖いんです、俺が不安だから持っていて下さい。」
ノアが私に何かを頼むのは初めてだった…だから少しだけ甘やかしてもいいかなという気分になってしまった。私は案外チョロいのだろうか、仕方なく短剣を受け取る事を承諾する。
「では次は短剣の使い方です。」
「使い方まで教えるつもりですの!?もしもなにかされそうになったら取り敢えず振り回しますから大丈夫ですわ。」
「相手の武器ががもしその短剣よりも勝るものだった場合…貴方は敵の僅かな隙をついて急所…目などを狙わないと確実に死にます。その場合持ち方にも色々あります例えば………」
1人の男子学生が近道の為に普段あまり使われない階段の所にやってきた。すると少し遠くから声がしたので気になって覗いていみると何故か黒髪の大きな男と金髪の華奢で可憐な令嬢が短剣を持って戦っていた……正確には令嬢が振りかざした短剣を男が避けて何かをレクチャーしていたが、それを見た男子学生は見なかったことにしてその場を離れた。
大きくなり家庭を持った男子学生は後に語ったという
「俺が見たあれは修羅場か何かだったんだと思う、あれを見て学んだ事は女性を絶対に怒らせないこと、浮気はしないこと…後興味本位で覗き見をしないことだ。」
翌朝アンは筋肉痛に苦しんだ。




