“毘”の一文字
栃尾城に向けて進軍してきていた連中は、傘松というところに陣を敷いたようだ。
長尾平六郎とかいうのが中心になっているらしい。
つまり、同じ長尾家同士の争いということになるわけだ。
兵数は明らかに向こうが上。
どうしたって、兵達に動揺が走るのを止めることなど出来はしなかった。
それでも短期間とはいえ景家が鍛えた兵達は、すぐに持ち直すくらいの精神的強さを持ってくれていたようだ。
事ここにいたり、慌てても仕方がないと開き直っただけかもしれないが。
それでも、統制がとれているのであればそれで構わない。
どちらにせよ、遅かれ早かれ戦いに臨まなくてはいけなかった訳なのだから。
さて、兵の数で負けている以上、正攻法では勝つことは出来ない。
真正面からぶつかった所で、数の論理には負けてしまうはずだ。
地の利は元々こちらにあるはずだ。
こんなときこそ、定満が言う人の利というものを上手く使う必要がある。
取り敢えずは飯を沢山炊いて、兵達に腹一杯食べさせる事にした。
籠城をするのであれば、これほど馬鹿な行為は無いだろうが、元々そんなつもりはない。
城に籠ったところで勝ち目が無いのなら、その目が無いのなら意味が無い。
主だった将たちを集めて相談をすることにした。
「さて、定満。状況はもうわかっているわよね?」
「勿論でございます。」
「どうすべきだと思う?」
「どうするもこうするも、もう腹のなかでは決まっておるのでしょう?その策でよろしいと思いますよ。」
「そう、何でもお見通しって訳ね。」
「そういうわけでは無いのですが、今いる手駒を見て行うとすればそれもよろしいかと。」
謙遜するような事をいっているけれど、顔では隠せても目が笑っているように見える。
自分の策とおそらく同じと考えているのだろう。
全くもって、食えないおじさんだ。
「そう。よし、そうしたら早速準備にかかりましょう。まず兵を二つに分けます。景家、あなたにはこの一方を率いてもらいます。よろしくて?」
「バッハッハ、勿論です。腕がなりますな。」
「泰重も、景家の部隊の方で戦ってもらうことにしましょう。もう一方は私が率いる事にしましょう。」
「はっ!お任せいただきたい。ようやくご恩が返せますのう。」
「二人とも期待しているわ。この戦はあなた達の働きにかかっているから、よろしくお願いしますね。」
「何、毘沙門天の加護がありますからな。そう簡単に負けることは無いでしょう。」
「定満は、私の部隊の方で戦ってもらいます。」
「なるほど。それもよろしいかもしれませんな。」
「兵の数で負けているから、奇襲で相手を混乱させるしか勝ち目は無い筈よ。皆、重ねてお願いしますね。」
「バッハッハ、景虎様の初陣を華々しいものにいたしましょうぞ。」
これで一先ず、どのように戦いたいか、私の考えは伝わったはずだ。
ただでさえ少ない兵を割って戦おうという考えに、否定されるかと思ったが、そんなこともなかった。
全面的に私の考えを認めているわけでは無いと思う。
それでも、定満からの了承があったことで、受け入れてくれたようだ。
でも何度も考えたけれど、油断を突く以外に勝ち目は無いから仕方がないだろう。
さて、話も終わったところで部屋に入ってもよいか、許可を求める声が聞こえた。
「どうぞ。」と入室の許可を与えると、重太と弥太であった。
一応は軍議を行っていたわけで、そんなところに来るということは、それなりの用があったのだろう。
まさか、敵が動いた?
そうなると、こちらも早く動き出さなくてはならないんだけど。
「景虎様、申し付けられていた物を用意致しました。」
「えっ?何か頼んでたかしら?」
「あれ?お虎兄ちゃんが作らせたんじゃないの?宇佐美のじーちゃんに言われて作ったんだけど。」
「おぉ、出来ましたか。それと、前から言っているけれども“じーちゃん”は止めなさい。」
「まぁまぁ、それより出来を見てくれよ!重兄、広げるからそっちの端を持っておくれよ。」
「そうだな。出来を見てもらおう。」
そうして広げたのは旗だった。
中央に“毘”の一字が、でかでかと書かれた旗だ。
ごてごてと色々書かれているものよりも潔い、一字の旗ではあるけど、これは?
定満は、出来を見て頷いていた。
景家と泰重も、興味を示しているようだった。
「定満、これは?」
「見ての通り旗ですな。」
「それはいくら私でもわかるわよ。」
「おや、では説明の必要は無いでしょう。」
「景虎様の、毘沙門天の化身としての噂をしらしめる為にも、よい策では無いですか。」
「なるほど。この御旗の元、戦う者達は毘沙門天の加護を受けて戦うことが出来そうですな。それに相手も怯みそうではないですか。」
え?
皆以外に乗り気なんだけど?
ただでさえ、毘沙門天の化身とかいう恥ずかしい噂が広まってしまったというのに、火に油を注ぐがごとくの行動に移す?
恥ずかしいの2乗で、顔から火が出そうよ!
そんな私の様子を察してか、不安そうな顔をする二人。
「俺が布を押さえてて、重兄が一筆入魂!とか叫んで書いたけど駄目だったのかな?」
「うーん。どうにも不評のご様子だし、良くなかったのかもしれないね。」
「そうなのかな。せっかくお虎兄ちゃんの役にたてれると思ったのに。」
「こう二人は言ってますが、この旗は使用するのは止めますか?それならそうで止めはしませんが。」
悲しそうな表情の二人に加え、定満がさらりと嫌みを言ってくる。
うぅ・・・これじゃ私が悪いみたいじゃない。
「いっ、いいえ。二人ともありがとう。あまりの出来の良さに驚いてしまっただけよ。」
「そうなの?なら良かった。」
「では、是非お使いください。」
「だそうです。良かったですな。」
何とも言えないといった私に、苦笑いを浮かべた景家と泰重。
私に喜んでもらえたと喜色満面の二人と、何かイタズラが成功したとでも言いたげな定満。
もしかしたら、内政を手伝わせた事の仕返しじゃないでしょうね?
なんにせよ、私の軍勢を表す旗が私の預かり知らない内に完成した。
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