恐怖心
「それじゃよろしく頼むわね。」
「バッハッハ、かしこまった。大船に乗った気でいてくだされ。久々に血が騒ぐわ!」
景家が率いる軍勢が、夜の闇に溶け込むように門から出立していく。
夜討ちは奇襲の基本のようで、確かにこの時代であればこれほど効果的な策はない。
街灯が、彼方此方にある現代では、中々通用しないだろうけども、今の時代森の中となれば辺りは闇しかない。
元来、人は闇を恐れる生き物のようで、様々な想像を掻き立てられていた。
悪霊、怨霊、魑魅魍魎。
はては妖怪から、恐ろしき神といったものまで様々だ。
真っ暗闇の中では、動物の足音や虫の羽音すら恐怖を覚えるらしい、というのは現代にも様々残る絵を見てみてもわかる話だ。
また、夜のとばりが降りてくれば自然と眠りに入る。
結局のところ、どれだけ人間様と強がった所で、生き物であることは間違いなく、それに付け加えて動物よりも警戒心は薄いため、夜討ちは効果が絶大というわけだ。
今回の奇襲は、十中八九成功する。
というのも、どうやら相手方は私の事を侮っているらしい。
まだまだ元服したての小僧であることと、これが初陣となること。
兵の数でも此方が負けている訳で、負けることなど万に一つもあり得ないと考えているらしい。
この情報がどこからもたらされたかというと、定満だったりする。
自分が戦に参加する以上、負けは許されないということらしい。
「こんな程度の戦で敗れるなど、軍配者の恥になりますからな。」とのことらしい。
ただ意地をはっているようにも見えるが、それならそれで構わない。
ようは勝てれば良いのだから。
なるべく此方の被害を抑え、相手に甚大なダメージを与える。
これを成すのが軍配者というものというなら、その実力を大いに示してもら得ればよい。
私にとっても、それは望むべき未来なのだから。
「さて、それじゃ私達も何時でも出れるようにしておきましょう。」
「そうですな。と言っても皆、既に準備は整っておりますがね。恐らく、何の準備も出来ていないのは景虎様のみでしょうな。」
「えっ?そうなの?」
「皆を見てみてください。景虎様のみですぞ、鎧すら纏っていないのは。」
「あら?そういえばそうね。」
「まあ、景家殿の戦果を期待しての余裕を見せていたとも取れますからな。とはいえ、そろそろ着てもらわねば、いざというときに差し障りますぞ。」
全く、なんでそういうことは早くに言ってくれないのだろう。
戦場での作法を知らぬ、初陣の私を苛めて何が楽しいのだろう?
全然気付いて無かったわよ、皆鎧を着こんでいたなんて。
ああ、いけない。
これはテンパってる証拠よね。
ちゃんと落ち着かないと。
上が浮き足立てば、下も同様に浮き足立つというし。
と言うことは、私が確りと務めを果たせれば、皆も確りと働くともとれるものね。
こんなところで躓いてなんかいられないんだから。
部屋に戻っていそいそと鎧を着出す。
紐を堅く結び、兜を被り、腰には太刀を差す。
ずしりとくる重量が、私を今ある現実に呼び戻してくれるようだ。
そこでふいに恐ろしくなってきた。
これから私は人を攻撃して、下手をすれば私自身が手にかけることになる。
つまり私が人を殺してしまうのだ。
よしんば、私が手を下さなかったとしても、私の命令によって別の誰かが人を殺す。
考えていなかった訳じゃない。
事ここに至れば覚悟がつくと考えていた。
でも甘かった。
両の手がガタガタと震えてきている。
それに併せるように体も震えてくる。
足に力が入らなくなって、その場にぺたりと座り込んでしまう。
何だ?
いったい何なんだ?
何故か寒気がする。
恐怖が体を支配しているようだ。
どうして今頃?
戦場でこうなるよりはマシだけれど、そうはいっても今頃?
震える体を自分で抱きすくめる。
頼る寄る辺もない。
気付くと、遠方からワーワーと騒ぎが聞こえるような気がした。
もしかしなくても、景家が仕掛けたのだろう。
そして廊下を駆け抜けてくる誰かの足音。
嫌だ!
私の元に来ないで!
そんな願いも虚しく、私の部屋の障子が開け放たれる。
「景虎様!景家殿が攻めこんだようです。奇襲は成功した模様です。」
「お虎兄ちゃん、打って出る頃だぜ!ってどうしたのさ!」
私を迎えに来たのは、重太と弥太の二人だ。
定満辺りに私を呼びに行かされたんだろう。
私が床に座り込んで震えていたのを見て驚いているようだ。
「御免、大丈夫。今行くから。」
「本当に大丈夫ですか?」
「そうだぜ?無理しちゃ駄目だよ。」
「僕達に任せておいて下さい。必ず策を成功させてみせます。」
「そうさ。お虎兄ちゃんの分も暴れてきてやるよ!」
私の事を気遣っての言葉であるのは分かる。
でもそうも言ってられない。
私が行かないで誰が行くというのだ。
この子達に託す?
何を馬鹿な。
この子達が行って、戦場の露と消えたらどうするのだ。
じゃあ、後は定満に頼む。
それもダメだ。
景家の決死の行動を、無駄にするようなマネが私に出来るはずない。
そんなことになれば、私は悔やんでも悔やみきれない悔恨を残すことになる。
もう私に選べる選択肢は一つしかないのだ。
逃げるわけにはいかない。
本当に現実は残酷というものだ。
「大丈夫よ。行きましょう。」
心を奮い立たせるんだ私。
私の為に、力になってくれている者を捨て置くなんて出来るはずがない。
その為に、例え手を血で汚してもやらなきゃならないならやるしかない。
オカマの根性をみせる時は、今を置いて他に無いのよ!
「うおおおおお!」
突然吠えた私に、驚いた様子の二人。
そんな二人に、にこりと笑顔を浮かべる。
「二人とも、私は行くわ。」
「はい!」
「おう!」
「あなた達は留守番よ。」
「いえ、僕も行きます。」
「そうだぜ!お虎兄ちゃんは俺が守るんだ!」
「そう・・・なら私から離れないようにね。」
二人の元気な返事が、私に勇気を与えてくれる気がした。
そして、私より余程覚悟を決めていた二人の参戦を許可した。
いいわよ!
やってやるわよ!
倫理観なんて全て取っ払って、一匹の獣になってやろうじゃない!
女豹よ!女豹!
私は女豹になるのよ!
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