避難が危なくなる前に。
ヒトリミサキ 改
⻆谷 春那
序章第二話
避難が危なくなる前に。
男が、こちらに気付く。全力疾走していたためか悲鳴も上げず、ただただ息を切らし、よろけながら走っているのみだったが、いやはや、立派なものだ。口を開けて出てきたものは、助けを求めるものでは無かった。
「っぬ、に、逃げろーっ!怪っ異だー!!!」
この、非情にも(恐らく理不尽に)命を狙われている状況下なのにも関わらず。非常に紳士的で、何て優しいおじさんなのだ。確かに、彼の目に映ったものは、少女二人。到底、怪異に叶いそうな者ではない。だが、このような危機的状態で他者の命の心配が出来る者なぞ、人妖問わず、どれ程居るだろうか。
自分は恐らく「ロック・オン」されており、助からないだろう。だが、少女たちにはまだ、気付いていないのではないか。その上、彼女達は家の前―すぐに家に入れる距離。自分が囮になれば、彼女達は助かるのではないか。通りすがりのリーマン(43、二児の父)は早い。自分を奮い立たせる。アラフォーにはきついが、まだまだ若い(と思いたい)。妻や子供達の顔が目に浮かぶ。あぁ、これが走馬灯なのだろうか。娘達が生まれてきた時の事、初めて「パパ」と呼んでくれた時の事、彼女にプロポーズした時―様々な思い出が、浮かんでは消えてゆく。思春期の娘達とは、今日も碌な会話が出来なかった事、貯えが豊潤ではない事が、心残りだ…。
など考えていたのかもしれないが、心配無用である。何故なら、木村 美樹は人ではない。何と言うか、まぁ簡単に言えば、妖の一種だ。御神木が変に化けて出た、祟りの一種―まぁそんな事、今はどうでも良い。肝心なのは、彼女がとても、強い事。それだけだ。
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美樹嬢が前に出る。前と言うか、道路の真ん中に出る。「追いかけっこの鬼」に対して、向き合うような位置に。そんな様子を見たリーマンは、思わず二度見する。
「おっ、おい!!やめろ!!飲み込まれるぞ!!」
「おじさんこそ、危ないから下がってて!!」
「は、はい!?」
まさか怒鳴り返されるとは思っていなかったらしく、声が裏返ってしまったようだ。本当に、立派な決意を、折角固めてくれたところ悪いのだが。まだ生きて下さい。娘達の成長を、もっと見届けてあげて下さい。
目を、固く閉じる。何かを、念じているようだ。そうこうしている間にも、ヘドロはどんどん、迫ってきている。既に立派な中年男性(本当に有難う、だけど御免なさい)から、標的は彼女に移っているようだ。
そして、カッと見開く。命じるように、通った声で、こう言う。
「吸い上げろ!!」
すると、本当に不思議なことに、先程までの濁流が、嘘のように消えている。いや、よくよく見ると、黒い靄が、蒸発されたように消えていく。その靄の出所はどうやら、足元にあるようだ。一同の視線が集まる。本当に、ただの茶色い塊があった。泥の、塊だろうか。張りつめていた緊張の糸が切れたのか、思わずおじさんは腰を抜かす。
「おじさん、怪我はない?!」
「ひゃ、ひゃい!」
後ろを向き、リーマンに駆け寄る。彼は、信じられないとでも言いたげな顔をしている。こんな、只の女子中学生(それか、高校生?)がまさか、怪異を追い払ってくれるなんて。
「体に異変は?何処か、関節とかに、変な感じしない?」
「あ、ありがとうございます。」
「いやいや、こっちこそ、危ない真似してごめんなさい。…『家の子達』、まだ分別が無くって。ひょっとしたらおじさんの水分も、間違えて吸い取っちゃったりしてないか、不安で。」
「す、『吸い取る』?」
「美樹様!!」
「澪子さん!さっきのって…?」
「…分かりませぬ。ですが、取り敢えず…。まだ、気配は消えておりませぬ。まずは、家にお入り下さい。と、殿方もどうぞ、中へ。きっとまだ、あのようなモノが彷徨っておりますでしょう。」
「あ、有難う御座います…。」
「…すみませぬ。このような、人ならざる者の身で、不安でしょうが、どうか今は、中へ。」
「え?!」
正直、全く気付いていなかったのだろう。しかも、「言われてみれば」と、すぐにピンと来るところもない。
遠くの方で、何か大きな音がする。彼女のような人外が、応戦しているのだろうか。悲しきかな、自分は無力で何も出来ない。
「澪子さん!おじさん!!早く!!流石に、二発目は『取り溢す』かも!!」
「お、お邪魔します…!」




