大雨の時に、むやみやたらと外出するべきではない
ヒトリミサキ 改
⻆谷 春那
序章第一話
大雨の時に、むやみやたらと外出するべきではない
女が、一人。人の足音が蝉に掻き消されるような、住宅街の家に、一人。極めて、深刻そうである。通常、猛暑の中とは言え、一人二人は歩いていそうなもの。しかし、本当に通行人が居なさそうである。夕方で、ようやく涼しくなってきたと言うのに。だが、女にとっては好都合である。
女には、外出を憚る理由があった。それは、女の素性そのものだ。別に、指名手配を受けている訳ではない。ただ、女の正体は、怨霊であった。
人間。人外。【邪魔】の者。この世界は、三すくみであった。
人外は、人間を喰らう。物理的な場合もあり、精神的な場合もある。勿論、喰らわない場合もあるが、それらは一般的ではない。そして、食物は連鎖となって続いてゆく。
人外は、【邪魔】の者に喰われる。【邪魔】は、肉を欲しているのではない。奴らは、力を欲しているのだ。人外を取り込み、力をつける。そして人間をも喰らう事がある。極めて、厄介な部類だ。
【怪異】に、【魔】、【邪】。色々な種族がこれに分類される。そして総じて、
「話の通じないもの」
「処分対象」
と言う認識にあっている。しかし、風評被害である。
話の通じない者どもは、【怪異】と、一部の異常者のみである。その異常者共も「一般」として見るようになったら、安全で温厚な種族何て、何処に居るのだろうか?
女は、「怨霊」。怨霊は、「邪魔の者」として認識されている。実際は、人間とそれの狭間の存在なのだが、正確な知識かどうかが重要な事では無い。此処で重要な事は、
「何が一般的に『勘違い』されている事なのか。」
である。
女には、外に出たい用事があった。昼に別れた自身の旦那―「旦那」と見なす事も本来は恐れ多い存在だが―が、帰ってこないのだ。忘れ物を取りに行くだけのはず。なのに、どうして?既に、四半日は経過している。思えば、かの方は何かに気付いたような様子であった。なのに、どうして自分は、気付けなかったのか。それこそ何か、悍ましく、恐ろしい事に気付き、果敢にも立ち向かおうとしたのではないのだろうか?そんな心配が、永遠と頭から離れない。須臾―ほんの一瞬でも、頭から離れる事はない。
やはり、外に出て、探しに出掛けるべきなのだろうか?にしても、何処へ?その間に、除霊されたら?
悶々と悩み続け、終いには過呼吸に陥りつつある時。ふと、現実に呼び出される。聞きなれた、呼び鈴で。
急いで、玄関に向かう。戸の向こうの相手を確認もせず、扉を開ける。
しかし、望んでいた相手ではなかった。しかし、見知らぬ相手と言う訳でも無い。常時なら、訪問を喜ぶべきなのだろうが、今は緊急時。しかも、何か怪訝な顔をしているとなると、いくら知人―夫の友人の妹、木村 美樹であっても。逆に、不安を掻き立てられる。
しかし、そんな曖昧な関係であるが。意外と、親密な仲を築けている相手だ。彼女とはこの夏、一緒に旅行にも行った。夫と、彼女の兄―木村 永葉も、そして、斎藤 信仕―夫の友人その二―も一緒の、二世帯家族旅行だったが。とは言え、旅先で着替えを忘れた彼女に、貸す程の仲だ。
知人の焦った顔は、逆に恐怖を増幅させる。見慣れたこげ茶のお下げも、桃色がかった黄色の瞳も。全てが、不安要素だ。
あぁ、口を、開いて欲しくない。分かり切っている。表情で全て。何かが、起きたのだ。きっと、良くない状態なのだろう。聞きたくない、凶報なんて。しかし、口を塞ぐ訳にも、いかない。と言うか、体が動かない。嫌な冷や汗が流れて、記憶が蘇る。遥か悠久の昔の、「あの日」を思い出してしまう。あぁ、あんな顔。二度と、思い出したくないのに。どうして、思い出してしまうのだろう。別に、焦燥したような顔では、無かったのに。むしろ、嫌ににやついていた顔だったと、言うのに。
「…すみません。兄は、お邪魔してませんか…?」
「…な、永葉様ですか?」
「あの、信仕さんも、居ないんです!帰って来てないんです!!」
「お、落ち着いて下さい!!」
「か、海斗さんは...?何か、御存知してませ、んか?」
ここに来て、ようやく居ない事に気付いたのだろう。当然だ。嫌な予想とは、脳裏の裏の裏、奥の奥に、押し込めておきたいものだ。
「…澪子さん。海斗さんも…?」
「…美樹様。海斗様、帰って来ないんです。」
「…い、何時からですか。」
「昼が、最後で。」
緊迫した空気が、突然中断される。可笑しな声―悲鳴が、住宅街で、聞こえてきたのだ。それまで聞こえてこなかったのは、出歩いていた者が少なかったから?いや、そうではないだろう。思わず、美樹嬢と、女―岬 澪子嬢は、敷地を飛び出す。しかし、何処から聞こえてきたのか、いまいち分からない。近隣なのは、確実なのだが。
しかし、辺りを見回していた時。こちらに向かって、全力疾走している男性が居た。どうやら、年甲斐もなく、追いかけっこさせられているらしい。可哀想に。しかも、恐らく。命が懸かった。
鬼ごっこの鬼は、明らかに人間ではなかった。それどころか、人の形すらしていない。生物ですら、ない。水だ。ヘドロ交じりの、黒く、ドロドロとした。しかし、まるで意思を持っているかのように、動いている。と言うか、坂道を上がって来ている。




