朝市
昨日の夜は、散々だった。
どうやって宿まで戻ったのか、まったく記憶がない。
気づけば部屋の布団の中で眠っていて、目を覚ました時には朝になっていた。
「…うぅ」
重たい身体を起こす。
少し頭が痛い。
気分転換に、朝の港町を散歩してみることにした。
宿を出て石畳の道を歩く。
潮風が頬を撫で、どこからともなく潮の香りが漂ってくる。
道は緩やかな坂となって海へと続き、その両脇には木造の古い商家が軒を連ねていた。
昨日の昼に歩いた時とは、まるで別の町のようだった。
軒先には色鮮やかな魚が吊るされ、あちこちから漁師たちの威勢のいい声が飛び交っている。
「そこの旅人さん! 今朝揚がったばかりの魚だよ!」
「焼きたてだ! 潮焼き貝、食べていきな!」
港へ続く大通りは、朝市の屋台で埋め尽くされていた。
屋根付きの木造屋台には、大きな桶いっぱいに魚が並び、縄には干物がずらりと吊るされている。
魔法で冷やされた木箱の中には、見たこともない海産物がぎっしりと詰め込まれていた。
漁師の妻たちは威勢よく値段を掛け合い、子どもたちは屋台の間を元気よく駆け回る。
船乗りたちは朝から酒を片手に笑い合い、その笑い声が港中へ響いていた。
活気にあふれ、人の温もりが感じられる。
そんな光景が広がっていた。
朝市の賑わいを眺めながら歩いていると、不意に聞き覚えのある声がした。
「あれ? アスター?」
振り返ると、スピレアがこちらを不思議そうに眺めていた。
「こんなところで何してるの?」
嬉しそうに駆け寄ってきて、不思議そうに首を傾げる。
「酔い覚ましに散歩してたんだ」
「そっか! じゃあ、一緒にお散歩しようよ」
スピレアはぱっと笑顔を咲かせる。
「それに、アスター、お金持ってないでしょ?」
悪気のない一言が、容赦なく胸に突き刺さった。
「…」
正論すぎる。
反論の余地もなく、思わず俯く。
「ね? 行こう!」
そんな様子など気にも留めず、スピレアは楽しそうに手を取ってきた。
その笑顔を見ていると、断る気力も失せてしまう。
「…ごちになります」
罪悪感を覚えながら小さく呟くと、
「気にしなくていいよ! 一緒に楽しもう!」
スピレアは満面の笑みを浮かべ、そのまま俺の手を引いて歩き出した。
こうして、二人の朝市散歩が始まった。
「おじさん! これ一つください!」
スピレアが屋台に並ぶ大きなせんべいを指差した。
「まいどあり!」
威勢のいい声とともに、店主が代金を受け取り、焼きたてのせんべいを手渡す。
「はい! 半分こ!」
スピレアは顔よりも大きなせんべいをパキッと真っ二つに割り、その片方を差し出してきた。
受け取ったせんべいをよく見る。
平たく焼かれた生地の中には、イカがそのまま押しつぶされたように入っていた。
「これは?」
見慣れない食べ物に思わず首を傾げる。
「イカプレスせんべいだよ」
スピレアはパリッ、パリッと心地よい音を立てながら、美味しそうに頬張る。
その様子を見つつ、一口かじってみた。
せんべいの香ばしい風味と、噛むほどに広がるイカの旨味。
「うまっ」
思わず本音が漏れる。
「ふふっ。でしょ?」
スピレアは自分が褒められたかのように、得意げに胸を張った。
「じゃあ、次に行こう!」
まだせんべいを食べ終えていないというのに、スピレアは次の屋台へ向かって歩き出す。
「ちょ、ちょっと待って」
慌てて残りをかじりながら、その背中を追いかけた。
次にやって来たのは、七輪がずらりと並ぶ屋台だった。
炭火の上では大きな貝が香ばしい音を立て、湯気とともに磯の香りが辺りへ広がっている。
「おじさん! これと、これを一つずつお願いします!」
スピレアは、サザエのような巻き貝と、色鮮やかな貝を指差して注文した。
「あいよ! 少々お待ち!」
店主が手際よく貝を七輪へ並べる。
パチパチと炭が弾け、食欲をそそる香りが鼻をくすぐった。
「ねぇ、次は何食べようか?」
焼き上がりを待つ間も落ち着かないのか、スピレアは屋台をきょろきょろ見回しながら、目を輝かせて尋ねてくる。
「そうだな…」
俺も辺りを見回す。
すると、人混みの向こうで、誰かがイカの串焼きらしきものを頬張っているのが目に入った。
「あの串焼きなんてどうだ?」
その方向を指差す。
「わかった! じゃあ、買ってくるね! ここで待ってて!」
「あっ! ちょっと!」
制止する間もなく、スピレアは人混みの中へ小走りで駆け出していった。
結局、その後も屋台を巡っては食べ、巡っては食べを繰り返し、気づけば昼になってしまった。




