旅の宿
重い空気を引きずったまま、一行は宿へ向かった。
港町の通りには人の声や潮の香りが漂っていたが、誰も先ほどまでの話を忘れられずにいるようだった。
宿では男女で部屋を分けて取ることになった。
案内された部屋へ入ると、そこには畳が敷かれた和風の空間が広がっていた。
部屋の隅には床の間。
窓際には、畳が続く広縁。
謎のスペースは、完備されている。
異世界のはずなのに、どこか懐かしさを感じる。
この世界に来てから何度か見てきた、日本と似ているようで少し違う文化。
そんな不思議な空間で、しばし身体を休めることにした。
窓辺。
窓から差し込む昼下がりの日差しが、畳の上を柔らかく照らしていた。
港町では人々の声や、遠くから聞こえる波の音が響いている。
グラッドは窓辺に立ち、外の様子を眺めていた。
一方、部屋の中央。
ちゃぶ台の前に座ったルドベックは、湯呑みにも手を伸ばさず、ただぼんやりと一点を見つめている。
いつものように真っ直ぐで、何事にも迷いなく向き合う姿とは違っていた。
「…ルドベック? 大丈夫か?」
気になって声をかける。
「…ああ。問題ない」
少し遅れて、ルドベックが返事をした。
けれど、その声にはいつもの張りがなかった。
そんな様子を眺めていたグラッドが、小さくため息をつく。
「はぁ…仕方ないわね」
窓辺から離れ、こちらへ振り返る。
「温泉もあるみたいだし、行きましょうか」
「二人で行ってきてくれ。私はまだいい」
ルドベックは視線を上げることなく断った。
すると、グラッドは少し意地悪そうに笑う。
「不潔なままだと、スピレアに嫌われるわよ?」
「スピレア」
その名前を聞いた瞬間。
ルドベックの身体が、ほんのわずかに反応した。
しばらく沈黙が流れる。
「…はぁ」
諦めたように息を吐く。
「まぁ、いいさ。温泉に付き合ってやる」
そう言って、ルドベックはゆっくりと立ち上がった。
しかし、その瞳にはまだ迷いが残っていた。




