名前
「…えっあ、ちょ、ちょっと待って!!」
唐突に別れを告げられ動揺する。
木の格子にしがみつき彼女を呼び止めようと叫んだが時すでに遅し。
遠ざかる足音は、速度を落とすこともなくそのまま消失した。
失敗した失敗した失敗した失敗した失敗した。
俺は、失敗した。
彼女が牢屋を離れてまた一人になってしまった。
助け出すのは厳しくとも話し相手くらいにはなってくれたかもしれない。
そんな存在を自らの非礼で失ってしまった。
そう、後悔の念に押しつぶされそうになりながら深い溜め息をついた。
やることがないのでベッドへ戻った。
いや、違う。
正確には
ベッドと呼ぶには程遠い。
少し湿った地面に、シーツ代わりの薄汚れた布切れを一枚敷いただけの場所へ戻り、横になった。、
そして、天井をぼーっと眺める。
「ここは、本当にどこなんだ?少なくとも現実っぽい。この見た目に対して日本語で話しかけるのも変だし、やっぱり日本?と言うか、あのイノシシは何?」
一人になったので再度やってきた静寂。
それをかき消すように頭の中に浮かぶ言葉をとりあえず紡ぎつつ思考をまとめる。
今わかっていることは、
・最悪なことに夢であると思っていた世界は現実であること
・日本語が公用語として用いられている地域であること
・滅茶苦茶凶暴な謎の生物がいること
以上である。
「それに俺は誰なんだ?名前は…」
自分が知っている世界とあまりにも違いすぎる。
自分が間違っており、自分が自分で無くなるような感覚がした。
すぐさま、その感覚をかき消そうと自分の名前を呼んでみようとする。
黒木だったか、佐藤だったか、佐渡だったか。
色々な名字が浮かぶがどれもピンと来ない。
その時、不思議な声がする。
「アスター」
脳に直接届く、苦しそうな悲しそうなどこかこちらへ期待しているようなそんな不思議な声はそう言った。
「アスターか。…ぷっ。そんなわけ無いじゃん。まあ、いいさ。とりあえずは、そう名乗っておこう。アスタにでも戻れるさ。現実に。」
唐突に響く不思議な声が告げるその名前。
どこかしっくりくるような気もするが、日本の名前としては違和感しかない。
神妙な面持ちで一度名を呼ぶ。
漢字が一つも入っていないどころか苗字すらないその名前。
日本人である自分にとっては違和感しかなく可笑しさで笑いがこぼれる。
少し笑ったので緊張が解れたのと考えるのが疲れたのでとりあえずはそう名乗ることにした。
気が緩んだのか疲れをどっと感じ、くだらないダジャレをつぶやくとそのまま眠りに落ちた。




