福利厚生
そのままさらに先へ進んでいくと、建物の密度が少しずつ低くなっていった。
代わりに現れたのは、広々とした歩行者用の空間だった。
中央には、細長い水路が伸びている。
その周囲にはベンチや植え込みが整然と配置され、水面には周囲の建物が映り込んでいた。
時折、小さな噴水が白い水柱を上げる。
空を見上げると、照明機のようなものを搭載したドローンがいくつも浮かんでいた。
どうやら、あれで地上の太陽光を再現しているらしい。
「…」
地上とは違う。
けれど、地上の街と同じように、人が快適に暮らせるよう工夫されている。
そんなことを考えながら歩いていると
ふと、遠くから音楽が聞こえてきた。
低く響く重たい音。
その上に、一定のリズムを刻む電子音が重なっている。
歩みを進めるにつれて、少しずつ音が大きくなっていく。
そして、その先に
半円形の巨大な屋根を持つ建造物が姿を現した。
「…でかい」
思わず呟く。
アインステラ最大のイベント会場。
その周囲には、すでに大勢の人々が集まり始めていた。
入口へ続く広場には長い列が伸びている。
その周囲には、飲み物や食べ物を販売する屋台。
さらには、出演者のグッズを並べた店まで軒を連ねていた。
「少し待ってなさい」
フランネルはそう言うと、列には並ばず、会場のスタッフらしき人物のもとへ歩いていった。
そして、何やら話し始める。
「…」
しばらく待っていると、フランネルがこちらへ戻ってきた。
その顔には、勝ち誇ったような笑みが浮かんでいる。
「やっぱり、入れるわよ。ついてきて」
そう言うと、長い列とは別の方向へ歩き始めた。
「あれ? こっちじゃないのか?」
戸惑いながら、列を指差す。
「フランちゃんたちの組織の福利厚生で、会場の特別招待があるのよ」
フランネルは当然のように答えた。
「それを使えば、一般の入口とは別の場所から入れるの」
「福利厚生?」
現代的な制度に、思わず聞き返す。
「そうよ。組織の人間なら利用できる、特別な部屋を確保しているの」
「それって、他の組織から不満は出ないのか?」
「その点は大丈夫よ」
フランネルは少し面倒くさそうに説明する。
「組織って言っても、治安維持から物流、研究開発まで、大半のことをやっているから。ここで暮らしている人なら、だいたい何らかの形で所属していることになるのよ」
「なるほど…」
それなら、特別待遇というほどでもないのかもしれない。
「だったら、どうしてそんな物が今、使えるんだ?」
「それは…」
フランネルの足が、わずかに止まる。
「総統が始めたことだから…皆、恐れ多くて使えないの…?」
歯切れの悪い言葉が、ぽつりぽつりと漏れる。
「えっ…?」
思わず聞き返す。
「そんなの、使って大丈夫なのか?」
福利厚生という言葉から想像していたものとは、どこか様子が違う。
「大丈夫よ。総統は今、アインステラにはいないはずだし…」
フランネルは少し考えるように答えた。
「それに、彼女は世間のイメージとは違って、本当はすごく優しくて面倒見がいいの。ただ…」
「ただ?」
「ちょっぴり不器用で、人との関わり方を知らないだけなの」
フランネルは、優しく微笑んだ。
「そうなのか?」
世間の総統のイメージとのあまりの違いに、思わず首を傾げる。
「そうよ」
フランネルは頷く。
「だから、遠慮なく使わせてもらうわよ」
そして、再び歩き出す。
「ついてらっしゃい」
フランネルは会場の裏口へ向かって歩いていく。
置いていかれないよう、その背中を追いかけた。




