7話 想像以上の事態
「失礼するよ」と口にしながら女主人は個室の中に入ってきた。私が頼んだボロネーゼと彼が頼んだハヤシライスが、美味しそうに湯気を立ててこちらの目に訴えかけてくるところを見るに、彼のような常連がいることに関しても違和感無く納得がいった。
「注文はこれでいいかい?」
「私は大丈夫だ。君は?」
丁度私はメニュー表にあったデザートで気になっていたものがあったので、それを注文することにした。こういうお店の雰囲気に合ったものを注文するくらいいいだろう。
「……ティラミスのベリーアイス添えををください」
女主人は「分かった」と一言言ってから部屋を出ていった。
足音が遠ざかったのを見計らってから、彼は「話を続けようか」という言葉を始めに話を再開することになった。
「逆に君に聞きたいことがあるんだけど、いいかい?」
「……いいですよ?」
机に両肘を付き、手を組みながら私に質問を投げかけてきた彼の目線があまりにも真剣なものだったので、珍しいなと思いつつも私は彼の言葉を待った。
彼が少し深呼吸してから間を置くと、彼が問い掛けてきたのはいい意味で想像していなかったことだった。
「……人外が視えるようになったのはいつからなんだい?」
「え。アルベルトさんと初めて会ったあの日の次の日からです」
なんだそんなことか、といったトーンでサラッと言ってしまったことが失言だったのかと感じ始めた時には、アルベルトさんは机に置いていた腕を胴の前で組み直し、暫く天井を見つめていたかと思うと何か独り言をボヤいていた。その後、漸く考えがまとまったのか改めて私の方に向き直ってこう言葉を放った。
「話が変わった。僕と一緒に人外の世界に来てくれないか……いや、来てくれ」
まず放たれた一言について言いたかったのは、「その言い方だと拒否権ないのでは?」だった。
次いでに神様には「人生何があるか分かったもんじゃないけどこんな急なんですか?」も入れたかったが、それなりに彼が11年も付き合いのある大事な友達ということもあり、流石にその言葉も飲み込んだ。
彼からまず切り出されたたった一言から、もう事態が重大であることはよく分かった。それは分かっていたのだけど……
とまたもや急展開過ぎて頭が追い付かずに言葉が喉の奥につっかえていると、彼は「すまない」という言葉を前に置いてから言葉を紡いだ。
「こんな身勝手な行いをレディに強いてることは分かってるんだ。……でも事が事なんだよ。これに関しては僕が責任を取らなきゃいけない」
「要は……私に魅入ったヒュノン……?がアルベルトさんだってことですか?」
「そうなる」と彼に断言してもらえたこの事実にどこかホッとした自分がいた。
見知らぬ他者に魅入られてしまった……?とかその人を探すとかそういったややこしいことではなかったなら良かった、と心の中で安心していると彼は少しの間だけポカンとしたかと思えば僅かに口角を上げた。
「君って人は……ホッとしてる場合かい?」
心配されるとは思ってもみなかったので、「駄目ですかね?」と言うと、また更に「変わってるな」と返されて若干呆れの混じった笑いをされる始末であった。
……それにしたってそんな悠長なことを考えている場合じゃない。
私は快く了承できない。
引っ越しが嫌とかの問題の類ではなく、私の母のことがあって他の誰かに振り回されるという選択肢が選べるわけがなかったということだったのだ。
母が身体の衰弱が悪化してしまってから入院しているのだが、その治療費や入院費は言わずもがな私の稼ぎで払っている。カランコさんにも援助してもらっているものの、毎月ギリギリなのだ。
放置する訳にはいかない問題だった。
「あの……言ったことあったと思うんですけど、母のこともあるので引っ越しはちょっと……」
と、そこで言葉を切ってしまっていたら、まるで心を読み当てられたかのようにサラリと彼が口にしたのは予想だにしない言葉だった。
「ちなみに君の懸念点である君のお母さんのことについてだが、僕が入院費や治療費は肩代わりするよ」
「え!?私センシティブなお金の話今まで一切してませんよ……!?」
「こっち側の都合で振り回してしまうんだ。これはその分の対価に取るに足らないよ」
またこれも随分と凄いことをサラリと。
こんな大それたことを言っているであろうにも関わらず、目線や表情や声色などのあらゆる彼の態度を見ても冗談といった雰囲気がしない様子なのが、これもまあ一周回って怖い。
嘘をついているというのは、まず今までの関係性からないだろうと一応結論は付けていた。
まずまず髪の艶とか衣服の質の良さとか……
例の宝石の件もであるにしろ只者じゃないことは分かっていたものの、やはりこの人は末恐ろしいなと思っていると彼は言葉を続けた。
「いきなり連れ去るとかそういったことじゃないから、そこは安心してくれ。周りの人になにか話をつけてからの方が、収まりもいいだろうから」
その暇はくれるんだ……と思っていたのも束の間。
そうなると問題が出てくる。
言い訳だ。
分かりきったことだけど、真実を伝えてしまうのは得策じゃない。
変人と思われるのは母の名誉のためにも避けたいからである。
それに、話してしまったことでそれを嗅ぎつけられて他の人達が危害を加えられる、なんてことがあったらということもあるかもしれない。
「周りにどうやって説明すればいいんですか……」
「そこは君に任せるよ。僕は強く出れる立場じゃないからさ。料理も冷めちゃうから、食べながらでもじっくり考えてくれ」
という事だったので、それもそうだと共感しつつも料理を口の中に運んだ。
味のことを考えられないのは申し訳がなかったが、ここのお店の料理はとても優しい味だったことは確かだった。
それもこれも私が考え込んでいなければならない状況下にいたからなのだが、どうしようと私が言い訳を考えていた時に頭を過ぎらせたくない二文字が頭を過ぎった。
口に出すか悩んだものの、頭の中の自問自答でも一番収まりがいいのはこれかもしれないということに最終的になったので意を決してそのことを口にした。
「夫婦、とかですかね?」
彼はその二文字の言葉を聞いた直後に固まったかと思えば手に取っていたスプーンを置いて真剣な声色で問い掛けてきた。
「それがどういう意味か分かって言ってるのかい?」
「分かってます。さっきの言葉は一緒に住むとか、そういうことなんじゃないんですか?そうだと踏まえた上で、考えに考えてこれが最終的に一番収まりがいいと思ったんですよ」
「……君が嫌じゃないんだったらいいんだろうけどさ。その……」
と苦笑いにも近い笑みを浮かべながら何故か凄く弱気になっていたので、別案を勧めようとその言葉の2文字目まで呟いたところで、彼に「いや夫婦で行こう」と遮られた。
流石にその提案は受け付けられなかったらしい。
まぁ、私もそっちより夫婦の方がよっぽどマシである。
そこからは何とも捉え難い静かな食事の続きの時間だった。
私が先程料理の味を述べることができたのはこの瞬間から味を感じられる余裕を持つことができたからだったことが大きい。
私はこの時、てっきり個別で会計をするものと勝手ながら思っていたので少しお高めなものに手を出したことを後で後悔する羽目となる。
「なんて提案したかって……愛__」
そこから先は聞こえなかったということにしておこう。




