第39話:18:00 - 黄昏の算段と、死神の影
【2026年6月21日 18:05 - 東京都・新宿区 某交差点】
非常事態宣言下の配給制によって、かろうじて暴動の危機を免れた首都・東京に、再び「暗闇の恐怖」が忍び寄っていた。
初夏とはいえ、午後6時を過ぎると日は西へ傾き、街のシルエットが夕闇に溶け込んでいく。
通常であれば、街灯が灯り、ネオンサインが瞬き、帰宅を急ぐ人々の車のヘッドライトが交差点を埋め尽くす時間だ。しかし、高高度核爆発(HEMP)によってすべての電力を奪われた東京は、死んだように静まり返り、不気味な薄闇の底へと沈みつつあった。
「……また、真っ暗な夜が来るのか」
配給の列から戻ってきたサラリーマンが、灯りのない自宅マンションを見上げて絶望的なため息を漏らした。
昨夜の暗闇とは意味が違う。昨夜は「いつミサイルが降ってくるか分からない」という軍事的な恐怖だった。しかし今夜の暗闇は、「いつまでこの原始的な生活が続くのか」という、先の見えない生活上の恐怖である。
冷蔵庫の食材は腐り始め、水洗トイレは使えず、スマートフォンのバッテリーもとうの昔に切れている。乾電池式ラジオから流れてくるのは、新しく発足した『救国暫定委員会』による勇ましい新憲法の演説ばかりだ。
夕闇の交差点には、迷彩服を着た陸上自衛隊の隊員たちが、小銃を構えて等間隔で立っている。
彼らの存在は、昼間は「頼もしい秩序の番人」であったが、暗闇が近づくにつれて、市民の目には「国家権力による冷酷な監視者」のようにも映り始めていた。
「おい、自衛隊さんよぉ! いつになったら電気は点くんだよ!」
苛立った市民の一人が、暗がりから声を荒げた。
「戦争には勝ったんだろう!? なのにどうして、俺たちはこんな暗黒の生活を強いられてるんだ! 非常事態宣言だか新憲法だか知らないが、まずは普通の生活を返してくれよ!」
その不満の声は、暗闇の中でくすぶる市民たちの本音であった。
しかし、自衛官は微動だにせず、ただ冷たく一瞥するだけであった。彼らは知っている。首都圏の主要エリアに電力を送るための「アメリカ軍の非常用トランス」のバイパス工事は、すでに完了していることを。
彼らはただ、市ヶ谷の地下大本営にいる「冷徹な指揮官」からの、午後8時の『奇跡の演出』を待っているだけであった。
【2026年6月21日 18:30 - 中国・北京 中南海 国家安全部】
同じ頃、敗戦国である中国では、権力を掌握した新指導部による「真実の隠蔽」と「恐怖の独裁」が、より凄惨なレベルへと引き上げられていた。
北京の中心部、天安門広場に通じる長安街には、無数の武装警察の装甲車が並び、完全武装の兵士たちが市民に銃口を向けている。
国内のインターネットは完全に遮断され、テレビやラジオからは「我々はアメリカの帝国主義を打ち砕き、寛大な心で停戦に応じた」という嘘のプロパガンダが24時間流れ続けている。
しかし、真実を完全に隠し通すことは不可能であった。
東部沿岸部の都市(上海や福建省など)に住む市民たちは、自軍の防空システムが日米の攻撃によって火柱を上げたのを直接目にしている。そして、出征したはずの兵士たちが誰一人として帰ってこないという現実が、彼らの間に「我々は負けたのではないか?」という疑念を急速に広げていた。
「……上海の交通大学で、学生数百人が『停戦の真実』を求めてデモ行進を開始した模様です。彼らは手書きのビラを配り、市民に同調を呼びかけています」
国家安全部の長官が、冷や汗をかきながら新指導者(軍事委員会副主席)に報告した。
「馬鹿な連中だ。せっかく命を拾ったというのに、自ら死神の口の中へ飛び込んでいくとは」
副主席は、冷酷な笑みを浮かべた。
「ただちに戦車部隊を出動させろ。……デモ隊の先頭から容赦なく轢き潰せ。催涙弾など使うな、実弾を使え。この国で『真実』を求める行為は、国家反逆罪であるということを、その血と肉で人民に叩き込むのだ」
かつての天安門事件を彷彿とさせる、いや、それ以上の凄惨な「自国民への虐殺」が、閉ざされた暗黒の密室国家の中で、今まさに始まろうとしていた。
中国は、外部からの軍事的敗北という現実を直視できず、自らの権力を維持するためだけに、自国民の血を飽くまで啜り続ける「巨大な喰種」へと完全に成り果てていたのである。
【2026年6月21日 18:45 - 新宿区市ヶ谷・防衛省 地下中央指揮所】
「……中国の上海で、武装警察が学生デモに対して実弾発砲および戦車による弾圧を開始しました。多数の死傷者が出ている模様です」
市ヶ谷の地下指揮所で、情報官が重苦しい声で報告した。
「自国民を戦車で轢き潰すか。……地獄だな」
『国政参画党』の代表が、顔をしかめて呟いた。
「我々も強権(非常事態宣言)を発動してはいるが、さすがにそこまで非道な真似はできないぞ」
「だからこそ、我々は『光の演出』にこだわるのですよ」
『国民民主連盟』の冷静沈着な幹事長は、モニターに映る中国の惨状を一瞥しただけで、すぐに手元の時計へ視線を戻した。
「中国の独裁は『恐怖』による支配です。それは即効性がありますが、必ず反発を招き、自国を削り続けることになります。……我々が目指すのは『感謝と依存』による支配です。暗闇の絶望を与えた後に、圧倒的な光(恩恵)を与え、我々がいなければ生きていけないと思い込ませる。これこそが、最も美しく、最も強固な権力の基盤なのです」
幹事長は、統合幕僚長の方へ向き直った。
「統幕長。首都圏の主要エリアへの送電準備は、完全に整っていますね?」
「ええ。米軍のトランスを中核としたバイパス・システムは、すでにスタンバイ状態です。スイッチを入れれば、新宿、渋谷、霞が関などの都心部と、主要なインフラ施設(病院・浄水場)に一斉に電力が供給されます」
統幕長は、確信に満ちた声で答えた。
「よろしい。……現在時刻、午後6時50分。日は完全に沈み、東京は暗闇に包まれました」
幹事長は、自党のトップである『総理代理』に向かって、一枚の原稿を差し出した。
「さあ、総理代理。もう一度、ラジオのマイクの前に立っていただきます。午後8時の『奇跡の点灯』の直前に流す、国民に向けた我々『救国暫定委員会』からの最大のメッセージです。……この演説で、我々は日本の神になるのです」
総理代理は、幹事長の冷徹な瞳の奥に宿る「絶対的な権力への渇望」に震えながらも、その原稿を受け取った。
もはや、この男が引いたレールから降りることはできない。彼らは共犯者として、日本の新しい歴史を自分たちの都合の良いように書き換え、塗りつぶしていくのだ。
作中時間、19:00。
開戦から43時間が経過した。
「48時間」という極限のシミュレーションのタイムリミットまで、残すところあと5時間。
東アジアは、自国民の血を流す「暗黒の独裁国家(中国)」と、巧妙な心理操作で国民を支配する「光の帝国(日本)」という、全く異なる二つの統制国家へと分断され、新しい冷戦の幕開けを告げようとしていた。
※本作はIFシミュレーションであり、実在の団体・個人・国家に対しての誹謗中傷を目的としたものではありません。




