第47話 届かなくても、立ち続ける
それから、さらに二日が経過した頃。
焚き火が、ぱちぱちと小さな音を立てている。
乾いた薪が爆ぜるたび、火の粉がふわりと夜に舞い上がった。
仲間たちはすでに眠りにつき
規則正しい寝息が、遠くでかすかに聞こえる。
その中で――
ケイトだけが、起きていた。
膝を抱えるように座り、ぼんやりと炎を見つめている。
「……まだ、全然だな」
ぽつりと、独り言が零れた。
自分でも気づかないほど、小さな声だった。
昼間の感覚を思い出す。
踏み込み、距離、剣の軌道――
(“届く場所”は、分かってきた)
だが₋――
ほんのわずか”ズレる”。
その“わずか”が致命的に遠い。
「そんなことはありませんわ」
ふわり、と。
静かな夜に、柔らかな声が落ちてきた。
ケイトは肩を揺らし、振り向く。
そこにいたのは――アスティ。
宙に浮かびながら、淡い光をまとっている。
その小さな身体が、焚き火の光と重なって、幻想的に揺れていた。
「アスティ……起きてたのか」
「ええ」
アスティは軽く頷くと
そのまま、ゆっくりとケイトの前に降りる。
「本日の動き、見ておりました」
腕を組む。
少しだけ、誇らしげな表情。
「三日分の成長を、一日でなさっていますわよ?」
「……でも」
ケイトは視線を火に戻す。
「リヒト先生には、全然届かない」
即座に返ってきた。
「当たり前ですわ」
迷いのない声だった。
「相手は勇者様ですもの」
ほんの少しだけ、口調が柔らぐ。
「むしろ、よく食らいついていますわ」
ケイトをまっすぐ見つめる。
沈黙が落ち、焚火が、静かに揺れる。
「……なあ」
ケイトがぽつりと口を開く。
「“届く場所に立つ”ってさ」
少し考えるように間を置いて、
「分かってきた気がするんだ。」
アスティが興味深そうに目を細める。
「でも――」
ケイトは拳を握る。
「まだズレるんだ。」
短い言葉だった。
だが、その中には焦りと苛立ちが混ざっている。
アスティは、その表情を静かに見つめた。
そして――
ふっと、小さく微笑む。
「それでよろしいのですわ」
「……え?」
予想外の言葉に、ケイトが顔を上げる。
「最初から完璧な者などおりません」
くるりと宙で一回転する。
まるで風に乗るように、軽やかに。
「ズレて、修正して、またズレる」
指を一本立てる。
「その繰り返しこそが――」
声が少しだけ柔らかくなる。
「“積み重ね”ですもの」
焚き火の光が、二人の間で揺れる。
ケイトは、ゆっくりと息を吐いた。
肩の力が、わずか抜ける。
「……そっか。ありがとうな。」
その一言だけ。
だが、さっきまでより少しだけ軽い声だった。
夜は、静かに更けていく。
――静まり返った深夜の訓練場で
――カンッ。
乾いた音だけが、はっきりと響く。
ケイトは、一人で立っていた。
月明かりに照らされながら、剣を構えている。
額には汗が滲み、呼吸はやや荒い。
だが、その目は冴えていた。
「……もう一回」
小さく呟く。
誰に聞かせるでもない。
自分に言い聞かせるように――
そして、踏み込む。
何度も、何度も――
同じ動作を繰り返す。
「……違う」
今度は足の角度を変え、かかとの位置を微調整する。
呼吸を整え一度、目を閉じる。
(焦るな)
先生の声が蘇る。
(“当てる”んじゃない。“届く場所に立つ”んだ)
ゆっくりと目を開き、相手を想定する。
距離を測り、空間を、感じる。
(ここじゃない、もう少し――)
半歩、踏み出す。
――カンッ。
小さく、しかし確かな手応え。
空気を切る音が、これまでよりも鋭い。
ケイトの目がわずかに見開かれる。
「……これだ」
一度、息を吐く肩の力が抜き、すぐにまた構える。
誰も見ていない場所で、ただ一人。剣を振り続ける。
一歩、また一歩と、その動きは――
昼よりも、ほんのわずかに、正確だった。
そんなケイトを遠くの木陰で、
アスティが、静かにそれを見ていた。
気配を消し、ただ見守る。
(……やはり、この方は)
わずかに、懐かしむような色が宿る。
(努力で、届こうとする方)
かつて見た誰かと重なるように。
(だからこそ……)
その先の言葉は、胸の中に留める。
今はただ、静かに見守り続ける。
夜は、まだ終わらない。
その一歩一歩が――
確実に、前へと進んでいた。




