第75話 呪われた男
濡れた服や髪を両手で絞って、水を絞り出しながら、水浸しのリエラが微笑んで近づいてくる。
「いきなり水中を泳ぎ出すから、ビックリしましたよ。大丈夫ですよ。漏らした事は誰にも言いませんから」
馬鹿な⁉︎ 絶対にあり得ない⁉︎
泳ぎながらも、定期的に背後は確認していた。絶対に付けられていない自信がある。
だが、今はそれは些細な問題だ。
漏らしてないが漏らしたと認めれば、逃亡のチャンスを獲得できる。
「すみません。鞄に紙が無くて、もう水中を泳ぐしかないとパニックになってしまって……」
本当に鞄の中に紙が無いから嘘ではない。
「包帯を使えばよかったでしょ」とは言わないだろう。
「あぁー、それは確かに困りますよね」
「はい、すみませんでした。それでどうやって追いかけて来たんですか?」
この感じは絶対に信じてないが、こっちも疑われているのに気づいてないフリを続ける。
今はとにかく逃亡が失敗した理由が知りたい。
水中を泳ぐ速さがリエラの方が上でも、俺が水中にいるとは普通は気づかない。
「それは私がモンスター、じゃなくて、人間を探知できるからよ! ポールの見ていて、いきなり凄い速さで動き出したから、思わず追いかけたの。ただそれだけよ」
「なるほど、そうだったんですね」
何だよ、それ? 普通は思わず追いかけても追いつけない。
それにしても、厄介なアビリティだ。人間を探知できるアビリティがあるなんて知らなかった。
そんなのが本当にあるなら、逃げようとした瞬間に気づかれるし、どこに隠れても見つかる。
「じゃあ、二十階で隠れんぼしませんか? リエラが鬼で、俺が隠れるので見つけてください。見つけたら賞金も出しますよ」
だが、俺はピンチをチャンスに変える男だ。
もしも人間探知がハッタリなら勝負には乗らない。
そして、勝負に乗った時は本当にあるという事だ。
「……何言ってるんですか。仲間が死んだのに隠れんぼなんて、巫山戯てるんですか!」
「ぐふっ‼︎」
ドガッ! いきなり怒ったと思ったら、顔面をパーじゃなくて、グーで殴られた。
確かに本当に仲間が死んだばかりの男なら、隠れんぼなんてしない。
悲しみと絶望の顔をしている。完璧に疑われているから演技力に手を抜いてしまった。
「もっと自分を大切にしましょう! 本当は漏らしたんじゃなくて、死のうとしたんでしょう! 傷だらけの身体を痛めつけても、死んだ仲間は誰も喜びませんよ!」
「す、すみません、仲間を失ったショックで気が動転してしまって……」
「二度とこんな事しないでください! 今度は手足をへし折りますよ!」
「はい、もうしません。すみませんでした……」
ちょっと何言っているのか分からないけど、俺が自殺しようとした事になっている。
もしかすると俺がもう逃げられないと悟って、「捕まるぐらいなら死んでやる!」みたいな自暴自棄の状態だと思っているんじゃないだろうか。
「ここからはポールさんが前を歩いてください。階段までの最短ルートを外れたら、手の指からへし折ります」
「くっ……」
駄目だ。死ぬつもりはないが、死ぬのも逃げるのも許すつもりがない。
下手に抵抗しても返り討ち遭うだけ。おそらく逃げるチャンスは残り一回しかない。
だけど、ここから先にあるのはピラミッド、砂漠、森林地帯しかない。
どれも広い空間で人間探知が出来るなら、逃げるのも隠れるもの難しい。
だとしたら、やる事は一つしかない。
「すみません、神鉄ありませんか?」
「いや、無いな。十階なら武器の強化用に持っているヤツがいるかもしれないな」
「そうですか……」
水上遺跡とピラミッドを繋ぐ階段に座っている冒険者に、手当たり次第に聞きまくる。
今の状態でもCランク下位冒険者は倒せている。
神鉄を手に入れて進化すれば、Cランク上位に匹敵する力が手に入るはずだ。
「何をしているんですか? 神鉄なら町で買えますよ」
後ろを歩くリエラが警告するような目つきで言ってきた。
当然、俺が不審な行動を繰り返しているからだ。
だが、指をへし折らせるつもりはない。万が一にも折られる場合は右手を差し出す。
「死んだ仲間のモーリスの遺言なんですよ。『俺が死んだら、ダンジョンで買った神鉄で作った武器を墓に入れてくれ』と言ってたんです。身体は持って帰れないけど、これだけは持って帰りたくて……」
「そうだったんですか……どうぞ続けてください」
「すみません。ありがとうございます」
そんな都合の良い遺言は存在しないが、他の冒険者がいる前で駄目だとは言えない。
リエラは右目を指で拭って、感動したような仕草を見せて許可してくれた。
♢
地下十五階……
ヤバイ、ヤバイ、ヤバイと森林地帯を一歩進むたびに思ってしまう。
ここから先の階段は、俺には絶対に通れないのに、逃げる事は許されない。
二十階の前後の階段には、換金専門の冒険者が多数いたのに、一人も神鉄を持っていなかった。
ついでにジェイゾンビは治療されて、一人だけ上手く助かりやがった。
俺がこんな苦境に立たされているのに、寝たきりのアイツが助かるなんて不公平だ。
「きっと仮面男の所為ですよ。取られるから持たないようにしているんでしょ」
「あっはは、そうかもしれないですね……」
やっぱり俺の所為だったか。
太陽石を奪った後に、命水晶と竜水銀を要求したから、警戒されてしまっている。
これだと十階に行けたとしても、神鉄を持っている冒険者はいないと思う。
「見つからない時は仕方ありません。町で買った物で許してもらいましょう」
「あっはは、そうですね……」
階段がある小さな岩山までは残り少しだ。包帯越しの作り笑いもひきつっている。
今すぐに全力で階段を通れない理由を考えないといけない。
リエラが四十階まで行けるなら、少なくとも実力はBランク下位の冒険者だ。
だったら、戦って勝つのも無理だ。ならば、仕方ない。
望み通りに階段を通ってやる。通せるものなら通してみればいい。
ガン——
「痛ぁー、何だ、これ?」
岩山に開いた階段口を通ろうとすると、予想通りに神の結界に頭がぶつかった。
痛くはないが、痛がっていると後ろのリエラが聞いてきた。
「どうしたんですか?」
「いえ、階段の前に壁があるんですよ」
「何を言ってるんですか? さっさと上ってください」
「いや、本当に壁があるんですよ。嘘だと思うなら通ってくださいよ」
「まったく……」
俺が嘘を吐いていると思っているようだが、残念ながら嘘ではない。
呆れた表情で、リエラは階段口に向かっていく。
予想通りに普通に階段の中に入ると、反転して、すぐに階段から出てきた。
「通れないように見えましたか?」
「おかしなぁー? 痛っ! ほら、やっぱり透明な壁があるじゃないですか!」
首を傾げて、再び階段口を通ろうとする。
やっぱり見えない壁にガンとぶつかってしまった。
嘘じゃないとリエラにさっきより強めに言った。
「はぁ……パントマイムなら、悪戯好きの女の子の前でやってください。ほら、行きますよ」
「ちょっ! 本当ですよ!」
強引にリエラは俺の右手を掴むと、階段に向かって引っ張っていく。
だが、無理だ。Bランク冒険者だとしても神の前ではただの人間だ。
やれるものなら、やってみろ。己の無力さを知るだけだ。
ガン、ガン、ガン——
「なっ! この、抵抗しないで上りますよ!」
「うぐっ、ぐっ、だから、無理だって……」
岩の右腕が少し通り抜けた。
でも、見れば分かるように、肘から先が結界に激突している。
そんなに無理矢理に引っ張ったら、腕が取れてしまう。
いや、むしろ。このまま腕を取った方が良い。
仲間を見捨てて逃げ出した男として、神に呪われた事にしよう。
名案を思いついたので、早速右腕とのしばしの別れを実行した。
スポッ——
「ぎゃああああ‼︎ 腕が引き千切れたぁー‼︎ 痛い痛い痛あーい‼︎」
右腕が抜けると同時に、茶色い柔らかい地面に倒れた。右腕を押さえて転がり回る。
見ている人が引くぐらいの大袈裟なリアクションの方が効果的だ。
リエラは赤い手袋が付いた、取れた岩の右腕をジッと見ている。
「ぐぐぐっ! きっと死んだ仲間が許してくれてないんだ。やはり神鉄を手に入れないと駄目なのか‼︎」
右腕を苦しそうに押さえて、無理矢理にそういう設定にした。
本当にそうならば、神鉄が入っている宝箱がある、10~14階には行かせてくれる。
だが、それさえも許してくれない程の、強い恨みがある事にすれば問題ない。
「大丈夫ですよ。私が思いきり身体を投げつけるから通れますよ。さあ、行きますよ」
「えっ? いや、ちょっ⁉︎ 本当に無理だから‼︎」
でも、リエラの行動は俺の予想を超えていた。
取れた右腕を階段に置くと、抵抗する俺を無視して、身体を掴んで、頭から階段口に投げつけた。
「ぐがぁ‼︎」
バキィと何かが折れる音がした。
結界に激突した顔が、結界の壁を上から下に滑り落ちていく。
「あれ? 力が足りなかったか」
「うぐっ、もうやめて……」
明らかに足りないのは力じゃなくて、頭だ。
もう一度、俺を掴んで結界に投げる前に、神鉄を町で買ってきて欲しいとお願いした。




