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46.終幕


 私たちが黒いもやに包まれる寸前、青く光る壁が私たちと黒いもやの間に立ち塞がった。見ると、大司教が首から下げた聖印に片手で触れ、もう片方の手を前に突き出している。その手から青い光が湧き出し、壁を形作っているのだった。

「大司教、これは?」

 レックスが尋ねる。まだ状況がつかめていないようだったが、何か大変なことが起きていることは察しているらしい。

「あなたには見えないでしょうが、現王は世界の歪みである『黒』に取りつかれているようです。通常、人間が『黒』に取りつかれることは滅多にありませんし、あれほど多くの『黒』は私も聞いたことがありません。私は今『黒』がこちらに出てこないよう結界を張っています。危険ですので私より前に出ないように」

 大司教は青い壁を維持しながら答える。

「人間が『黒』を取り込むとはな。余程『黒』との相性が良かったとみえる。心が相当歪んでおらねばあそこまで溜まらぬ」

 ディアーヌが口元をゆがめて言った。その時シルヴィオが姿を現し、青ざめながら口を開く。

「違うよ……あの『黒』は、外側から来たものじゃない、あの王様の心の中から生まれたものだ。あの『黒』は王様と同じ意思を持ってる。ボクたちを取り込みたがってる。ボクたちを魔物にしようとしている」

「伯父上……そこまで魔族を忌み嫌っておられたのか」

 レックスが絶句した。青い壁越しでも「黒」にあてられたのかふらつくシルヴィオを、ヴィーカとフィニアンが支えている。ヴィーカがぼやいた。

「これじゃあ魔族はこの壁の向こうには行けないな。取り込まれて魔物になっちまう」

「だったら俺たち人間だけで行けばいいんじゃないか?」

 フィニアンの言う通りだと騎士たちが賛同したが、大司教がそれを止めた。

「いいえ、これだけ『黒』が濃いと人間であっても危険です。長くあの中にいれば正気を失いかねません。そもそも、現王をどうにかしないとこの『黒』は止みません。何か彼を止める方策はあるのですか」

 そこで全員が黙り込んだ。しかし、魔族たちが私の方をちらちらと見ている。そう、人間たちは知らないけれど、私の白の浄化は正確には魔物を浄化するものではなく「黒」を浄化するものだ。だったら。

「私が白の浄化を使えば」

「駄目!」

 私の提案は途中でシルヴィオにさえぎられた。

「あの王様は魔族ではなく人間だし、それにまだ『黒』に染まり切っていない、魔物にはなっていないんだ。そんな相手には白の浄化は効きづらい。全てを浄化し終える前に、キミの命が尽きてしまうよ!」

 ボクの母を浄化しようとした、先代の聖女のように。シルヴィオがそう言った気がした。大司教も悲しげな表情になる。

 らちが明かないと判断したのか、それとも私がまた突っ走る前にどうにかしようと考えたのか、ジークが前に進み出た。

「私が一人で行きます。近衛騎士たちを抜けて、現王を斬れば」

「君一人にそんな非道な行いをさせる訳にはいかない」

 今度はレックスに止められた。誰か一人に責任を押し付けて解決するつもりは彼にはないようだ。

「現王もろとも王城を封鎖すればいいだろう。距離を取れば『黒』の影響も弱まる。新王はどこか別の場所で政務を行えば良い。現王は魔物になってしまったとでも言えば民は納得するだろう」

 面倒になったらしいディアーヌがばっさりと切り捨てると、大司教がそっとたしなめた。

「その方法は合理的ではありますが、王が代わる時はそれでなくても世が乱れるもの。王の交代と共に王城まで替えてしまっては、間違いなく混乱を招いてしまいます」

 とは言っても現状で最も現実的なのはディアーヌの案かもしれないと、みんなの意見が一致し始めた。青い壁に守られた安全地帯で、人間と魔族がひそひそと話し合う。


 本当にそれでいいのだろうか。封鎖された王城の中で王が魔族への呪詛を吐き続け、取り残された近衛騎士たちは正気を失いさまよい続ける。そんなの地獄だ。王がどれだけ屑であったとしても、生きながらそんな地獄に落ちるのは間違っている。

 それに、私も先代の聖女のようになると決まった訳でもない。死にたくはないけれどこんな結末も納得がいかない。

 無意識に胸に手をあてると、天青の首飾りに指先が触れた。ほんのりと温かい。その温もりが、私の決断が間違っていないことを確信させた。

 胸の前で両手を組み、目を閉じて祈る。白いつむじ風がわき起こり、青い壁を越えて「黒」に触れる。「黒」が少しずつ透明になっていく。

 周囲でみんなが私に呼びかける声がする。私を止めようとしているのだろう。ごめんねみんな、もう一回だけわがままを言わせて。

 私が祈り続けると、白いつむじ風はどんどん大きく強くなっていき、ついに周りは真っ白になって何も見えなくなった。




 白の浄化の光に包まれて、私は一人痛みに耐えていた。浄化の代償である、生命力を奪われる痛み、かつて私に前世の記憶を呼び戻した痛み。今の痛みはあの時のものより遥かに激しいが、私はこれからもこの世界の聖女として生きるためにこの痛みに耐えきってみせる。たった一人でも。

 全身がきしむような痛みに思わず奥歯を噛みしめたその時、胸元で何かが弾ける感触と共に、目の前に青が現れた。両手で包み込めるほどの透き通った青い光。その光は微妙に色合いを変え、様々な青を私に見せていた。そっと指を差し出すと、それはふわふわと浮いて私の指に触れてくる。ほんのり温かい。まるで生きているようだ。

 この青色には見覚えがある。私は視線を自分の胸に落とした。そこには心なしか光を失ったように見える天青の首飾りがあった。この青い光は、きっとこの首飾りと関係あるものだろう。

 頭の中にレディ・ベアトの言葉がよみがえる。この首飾りは、分岐点で良い方向に進めるよう手助けしてくれるものであり、それ自身に命や意思があるとも言われているもの。その言い伝えはきっと全て真実だったのだろう。

 思い返してみると、隠し通路でこの首飾りが外れなければ私はレックスと出会うことがなかっただろう。私がヴィーカの質問に答えるとき、この首飾りは注意を促してくれた気がする。そして先ほども、白の浄化を使おうとした私の背中を押してくれたような気もする。

 白いつむじ風が巻き起こす轟音の中、私は痛みも忘れてそっと青い光に話しかけた。きっとこの青い光は、私の声を聞き取ってくれる。


 青いあなた、あなたはどうして今私の前に現れたの?


 答えはなかったが、青い光は私に急接近すると、私が避ける間もなく額に体当たりした。その瞬間、全身に涼やかな感触が走り抜け、私の体は青い光に包まれていた。

 私はまず自分が光っていることに驚き、そしてあることに気づいてさらに驚いた。

 痛みが、消えている。

 白いつむじ風はさっきまでと同じように私の生命力を吸い上げているはずなのに。少しして私は気づいた。私を包む青い光が細く糸のように伸びながら、白いつむじ風に巻き上げられている。

 もしかしてこの青い光は、私の代わりに生命の代償を支払おうとしているのではないか。その考えに行き着いた時、私は混乱した。感謝するべき? 引き留めるべき? そもそもあの青い光は何? しばらく悩んだ末、私は一つの言葉を紡ぎだした。


 ありがとう、青いあなた。


 やはり返事はなかったが、青い光が笑うように揺れた気がした。


 白いつむじ風は青に染まり、抜けるような空色が広がっていた。




 そして風が止んだとき、私は絶望した表情のみんなに囲まれていた。特に騎士たちは真っ青な顔をしていて、私が自分の足で立っているのを見るとひどく驚いていた。そういえば前回白の浄化を使ったときは、私は途中で気絶していたんだった。

 向こうに近衛騎士が倒れているのが見える。よく見ると、玉座に座った前王も気を失っているようだ。「黒」の気配はもうどこにもない。

 みんなに大丈夫かと聞かれたので、私はさっきあったことをすべて話し、どうやら大丈夫なようだと答えた。するとシルヴィオが「きっと精霊が助けてくれたんだよ」と言い出した。精霊とは、魔族たちの言い伝えにのみ出てくる存在であり、純粋な魔力の塊が意思を宿したもので、人間や魔族の手助けをしてくれるものなのだそうだ。それを聞いた大司教も「きっとそうなのでしょう」と同意していた。私もそう思う。精霊という呼び名は、あの青い光にはとてもよく似合っているから。




 こうして、新王軍は無事王城を制圧した。現王は玉座でこん睡状態に陥っており、王としての任を果たすことはできないとして円満に王位から退くことになった。本来であれば新たに王となるはずであった王太子は、アルフレッドの計略により新王軍が王都に入った時点で既に逃亡していたため、これまた王に相応しからずということになった。

 レックスが王家の歴史から消されていた点については、アルフレッドがさっさと新しい歴史書を編纂させ、そこで修正することになった。

 民衆は既にレックスを新しい王として認めている。救世主と大司教が認めた王であることに加え、聖女の協力を得て王城に巣くう魔物を倒したという少しばかり誇張された話も積極的に流布されているからだ。もっとも、レックスが魔族をも屈服させる偉大なる王であるという勘違いも少なからずあるようだが。

 そして我らが新王レックスは、正式に王となることが決定したのだった。



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