45.役者は揃った
その瞬間、回廊は静寂に包まれた。
剣が刺さった瞬間、私が感じたのは衝撃だけだった。今はわき腹にじわじわと熱が広がっていくのを感じる。大怪我の瞬間は痛みを感じないというのは本当だったようだ。今ならまだ動ける。ジークが自分のしたことを実感する前に、すべて終わらせなければ。
私は右手一本で握っていたロッドを操り、その端をすぐ近くにいるジークの目の前に突き出した。状況にまだついていけないのかぼんやりとしているジークの目が、のろのろとロッドの先を見る。
そこですかさずロッドの魔法を発動させる。それは『光』、普段は懐中電灯代わりにしか使えないものだが、至近距離で浴びせれば一時的に視界を奪うくらいは可能なはずだ。思っていた通り、驚いたジークが両腕で目をかばい後ずさりする。
その時、わき腹に刺さった剣からジークの手が離れた。私は急いで左手で袖ごしに剣をつかみ、右手のロッドを床について体を支えながら可能な限り大きな声で叫んだ。
「武器を奪いました。私の勝利です」
そこまで言うのが限界で、後はにわかに痛み出したわき腹をかばって立ち尽くすしかできなかった。
「ほんっとうにもうあなたときたら、無茶という領域を超えているわ。また寿命が縮んでしまったじゃない」
「君が一騎打ちを言い出した時はどうなることかと思ったよ」
「怖かったよ……お願いだからこんなのはもうなしにしてよね」
「動くな、まだ傷の治療中だ」
以上、レディ・ベアト、レックス、シルヴィオ、ディアーヌからのお叱りの言葉でした。
一騎打ちが終わった後、両軍は手分けして負傷者の治療に当たっていた。といっても、新王がいずれ一騎打ちを申し込むつもりだったことを知っていた新王軍が防御中心に戦っていたこともあって、みなかすり傷程度で済んでいた。一番重傷だったのが私。
私はディアーヌを初めとする治癒の魔法の使い手に囲まれ、剣を抜いた上で魔法をかけられ続けていた。正直、勝利宣言してからはとんでもない痛みのせいで記憶が半分ない。とっさのこととはいえ我ながら無茶な作戦だったとは思う。まあ正攻法では勝てる可能性がなかったので仕方ないけれど。
一応私もそれなりに考えてはいたのだ。まず、ここには魔法を得意とする魔族が多くいるから、即死しなければ何とかしてもらえるだろうと。そしてジークの剣は細身のレイピアのような剣だから、真正面から突きを受ければそこまで傷は大きくならないだろうと。その上で、重要な臓器が少ないはずの左わき腹に攻撃が来るように立ち回ったのだ。ナタリアあたりが聞いたら「そういう問題ではありません!」と叫びそうな作戦ではあったが。
私が傷を治療されている間に、フィニアンとヴィーカに伴われてジークが私の傍にやってきた。ディアーヌに膝枕されている私は身を起こそうとして、またディアーヌに怒られ、抑え込まれた。
そうして横たわったままでいると、ジークがそっと覗き込んできた。さっきの強烈な光の後遺症は残っていないようだ。良かった。
こっそり自分の腹部を見てみる。破れた服や血の跡も魔法できれいに修復されて、一見するとさっきの激戦の跡はどこにも残っていない。魔法ってすごいなあ。
ジークが壊れ物を扱うように私の手を取る。その目は悲しげではあったが、城門で別れた時に浮かべていた私を拒絶するような色は消えていた。
「なぜ、こんなことを」
「あなたに真に聖女になったと言われたことが気に食わなかったの」
私があっさりと答えると、周りの者はみな絶句していた。
「あなたったら、私が悪い方に変わってしまったと言わんばかりの口ぶりだったでしょう? だから、私は前の私のままだって教えてあげたかったの」
後ろの方から「まあこんな無茶するのこいつだけだよな」とヴィーカがあきれている声がするが無視だ。
「それに、本当は新王が騎士団長に一騎打ちを申し込む予定だったの。でもそれでは、あなたはまた何もできなかったって思うかなって」
ジークの目が軽く見開かれた。私の手を握る力が少し強くなる。
「あなたにこれ以上そんなことで悩んでほしくなかったの。だから、あなたを戦いの中心にすえて、その上で私が勝てば、この戦いで負けたことは仕方がなかったとあなたが思えるんじゃないかなって」
私が喋れば喋るほど、周囲のみんなの呆れ顔がひどくなっていく気がする。仕方ないでしょ、これが嘘偽りのない本音なんだから。
ディアーヌがため息をつくと私の額をぺしりとはたいた。
「聖女、治療は終わったぞ。お前の言い分は全く理解できない。人間は不可解だ」
言葉とはうらはらに、私を見下ろすディアーヌは少し楽し気に見えた。
起き上がろうとする私をジークが助け起こす。他のみんなは三々五々散っていった。玉座の間の攻略に向けて、新たに加わった騎士たちを含めた作戦を練り直しにいくのだ。私は一応負傷者であるので作戦会議からは外されている。さすがにもう私が出る幕はないだろうし、「むしろこれ以上前に出ないでちょうだい」とレディ・ベアトに釘をさされてしまったし。
ジークは私を支えながらゆっくり歩き、回廊の彫刻された段差に私を座らせた。傷は癒えたとはいえ少し疲労感が残っているので、座っている方が楽だ。
「セレスティナ様、先ほどは……あんなに恐ろしい思いをしたのは生まれて初めてです」
「ごめんなさい、でもああでもしないとあなたに勝てないと思ったから」
「勝敗か……そもそも、私があなたと敵対したのが間違っていたのか」
「あの時はお互いに最良と思う道を選んだだけでしょう、仕方なかったのよ」
「いえ、やはり私が」
「ああもうジーク、その件は片付いたんだからごちゃごちゃ言わないの!」
そう言ってジークの腕を引っ張ると、彼はされるがままに膝をついた。優しい青い目が間近に迫る。真っすぐにその目を見つめて言った。
「私は、こうやってまたあなたと普通に話せるのが嬉しいの。あなたは違うの?」
「違い、ません」
「だったら私たち仲直りね」
そう言って私はぎゅっとジークを抱きしめた。本当に色々あったけど、今はこうして再会を喜んでいたい。ジークはやっぱりされるがままになっていた。
新たに騎士団の残りの面々を加えた新王軍は、とうとう玉座の間の前に整列していた。
「みな、よくここまで私に付いてきてくれた。これが最後だが、決して油断するな」
レックスが再度号令をかける。この奥には現王と近衛騎士がいる。どのような展開になるか分からないが、おそらく現王は最後まで抵抗するだろう。たぶん、戦いになることは避けられない。みんなそれを実感しているのだろう、今まで以上の緊張感が新王軍に満ちていた。
戦闘の意思がないことを示すため全員剣を鞘に納め、騎士が二人がかりで玉座の扉を押し開ける。扉はきしみながらゆっくりと開いていった。
玉座の間の扉が大きく開かれたが、中には何の動きもない。人の気配はするのだが、誰一人として動かないのだ。レックスは騎士と魔族に守られながら、堂々とした足取りで玉座の間に入っていく。私たちも隊列を組みながら、彼の後に続いた。
玉座の間、玉座のある段のすぐ下に、近衛騎士がずらりと並んでいた。玉座には現王が座っている。前に見た時からそれほど経っていないのに、ずいぶんと衰えて縮んだように見える。
それにしても、この空気はなんだろう? 玉座の間に入ったとたん、言いようのない違和感が全身を包んだ。ひどく居心地が悪い。そっと辺りをうかがうと、魔族たちも同様の違和感を感じているようだった。
『何かおかしいよ、気を付けて』
シルヴィオの声が頭に響く。
私たちは警戒しながら玉座の間の中ほどまで進んだ。近衛騎士たちの間合いの外、それでいて現王と言葉を交わすには十分な近さ。
レックスが現王に呼び掛けた。
「現王ロビン=ロワ、その非道なる行いを正すため私はここへ来た。退位し、私に王位を譲るよう要請する」
「救世主と大司教が認めた新王、か。既に街の者どもはそなたを王と認めておるようだな。大臣たちも余のもとを逃げ出した。もはや余には近衛しか残っておらぬ」
現王の声はひどく弱々しく、内心の落胆を隠せない様子だった。
「レックスよ、そなたは余に復讐しに参ったのか? そなたの父を処断し、そなたを幽閉した余に」
「それは違う。私は人間と魔族とが共にある世を作るため、王位を望む。それ以外に何もない」
この会話は不自然だ。忌み嫌う魔族を連れた忌々しい甥に、現王がこんなに穏やかに話すものだろうか。私がそう思ったのと同時に、現王の様子が変わった。見開いた目は黒々と光り、衰えていた体が急に大きくなったように見えた。王の目は、あんな色をしていただろうか。
「魔族! お前が連れている汚らわしい連中のことだな! お前は人間の王国を魔物どもに売り渡そうとしている! お前にだけは玉座を渡すわけにはいかない!」
その時、違和感の正体がはっきりした。王の体から黒いもやのようなものが立ち上り、周囲の近衛騎士たちを包んでいく。これはまさか、「黒」?
魔族たちがざわめいた。大司教の方を見ると、彼女も青ざめている。レックスと騎士たちだけが何が起こっているのかわかっていない様子だ。
『全員、下がって!』
シルヴィオの叫び声が頭の中に響き渡ったのと同時に、黒いもやがこちらにも襲い掛かってきた。




