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34.二人の娘


 アルフレッドと遅くまで話し込んだ次の日の午後、私は指定された通りに城下町の聖堂に来ていた。ここでまたレディ・ベアトに会えるはずだ。

 聖堂に着くと高司祭が出迎えてくれ、奥に通された。礼拝室を抜けて司祭室に入り、そこの奥にある厳重に鍵をかけられた部屋に案内される。

「こちらにどうぞ、聖女様。用が終わられましたらそのまま出てきてください」

 客間にしては位置がちょっと微妙だなあと思いつつも素直に部屋に入る。その部屋は、予想とは全く異なる内装をしていた。その小さな部屋は、壁に丸い鏡のようなものがかけられ、その前に椅子が一つ置いてあるだけの殺風景な部屋だった。

 高司祭は部屋に入ってこなかったので、ここには私一人きりだ。何の説明もなかったがこれは座れということだろうと勝手に解釈して、椅子に腰かける。そのまましばらく待っていたら、鏡の表面がいきなり淡い青色に光った。そこにぼんやり人影のようなものが見える。

「こんにちはセレスティナ、急に呼び出すなんてどうしたのかしら?」

 懐かしいレディ・ベアトの声がした。見ると、鏡に映った人影が今ははっきりとレディ・ベアトの姿になっている。

「どうしたのぽかんとして。そんなに驚いたの?」

 鏡の中のレディ・ベアトは首をかしげている。これは、もしかして。

「おばさま、あの、これって魔法具ですか!?」

「ええそうよ」

「教会には魔法具はないはずでは!?」

 この世界で生まれ育った私ことセレスティナは、魔法具の使い方を知らなかった。それは教会が魔術師を遠ざけており、教会では魔法具を用いないからだと聞かされていた。だったらこれは何だ。

「表向きはね。高司祭以上はこれの存在を知っているわ。だってこれ便利でしょう? 今回だって、あなたが面会したいって言ってきたから、私が今いる街の聖堂を王都の聖堂とつないでもらったのよ。今の私はそこから二週間はかかる街にいるの」

 なんとも拍子抜けなことを言ってくれるレディ・ベアト。

「それに、私たちが警戒しているのは魔術師であって魔法そのものではないもの」

「言い訳のように聞こえるのは気のせいでしょうか」

「気のせいよ。さあセレスティナ、そろそろ今日の要件を教えてちょうだい?」

 さあ、今度はどう切り出そうか。

 シルヴィオの言葉を思い出す。彼は「大司教猊下は全てご存じだ」と言っていた。ならばそのまま聞いてみよう。はぐらかされたらその時はその時だ。

「おばさま、あなたは『緑の子』と『黒』についてご存知ですね」

 私がそう問いかけた瞬間、鏡の中の空気が一変した。ふわふわとした綿菓子のようだったレディ・ベアトが突然、厳格な大司教としての顔を見せたのだ。

「聖女セレスティナ、貴女はどこでその言葉を知ったのですか。その言葉を知るのは教会でも最高位に近い者だけの筈ですが」

 大司教猊下に嘘は許されない。私は言葉を選びつつ答えた。

「緑の子の長と名乗る者から聞きました。教えてください、緑の子が黒に染まり魔物と化すというのは真実なのでしょうか」

「……ええ、それは真実です」

「もう一つ教えてください、先代の聖女の最期についてです。緑の子の長は、先代の長が先代の聖女により無理やり浄化されたと言っています。一方で王国では、先代の聖女が魔物にだまし討ちにされたとしています。いずれが正しいのでしょうか」

 鏡の中の大司教は無表情で押し黙っていたが、やがて答え始めた。

「その答えを私は持っていません。私たち教会には、王国からの情報しかもたらされてはいないのです。ですが……」

 レディ・ベアトが口元をおさえた。やがて嗚咽が漏れ始める。

「私はあの子を幼い時から知っていたのよ……あの子もあなたのように、私からすれば娘のようなものだった……あんなことになるなんて……」

 震える声でレディ・ベアトは話し続ける。彼女が泣くところは初めて見た。

「あの子は正義感が強すぎる子だった……聖女としての使命に燃えていた……いつか暴走しないかと心配していたの……」

 私はどう声をかければいいのか分からず、ただ黙って聞いていた。

「私にも真実は分からない、けれどあの子なら、緑の子を無理やり浄化しようとするくらいのことはやりかねなかったわ。ああ、あの子に緑の子のことを教えなければよかった、あの子を王国に行かせなければよかった」

 ただ黙って涙を流し続けるレディ・ベアトと向かい合い、私もまた、黙ってうつむいていた。




 しばらくして、レディ・ベアトは手巾を取り出すと、そっと顔をぬぐい始めた。その表情は大分落ち着きを取り戻していた。

「ごめんなさいね、取り乱してしまって。先代の聖女のことは私にとっても悲しい記憶なの」

「いいえ、私こそぶしつけな質問をして済みませんでした」

 年齢からいってレディ・ベアトは先代の聖女と面識があるだろうとは思ったが、親子同然だったとは。

「ねえティナ、あなたがそんなことを知りたがった理由を教えてくれるかしら。あと、どうしてこんなに急いで私と話をしようと思ったのかも知りたいわ」

 私は迷った。その質問に答えようとすると、レディ・ベアトに洗いざらいぶちまけてしまうことになる。先代の聖女のことで心を痛めていた彼女に、さらに負担をかけてしまいはしないか。

「迷ってるの? きっとそれはとっても重たい話なのでしょうね。だったらなおのことさっさと白状してしまいなさい」

「ですが」

「ですがも何もないわよ、遠慮しないの。あなたも私からすれば娘も同然。つまりあなたにとって私は母親も同然。娘が困っているときに力にならなくて何が母親よ」

 そう言って柔らかく微笑むレディ・ベアト。その微笑みは、今の私にはとても心強く感じられた。

 私はシルヴィオに会ってから、ずっと一人でさ迷い歩いていた。彼と話したことで私の世界はとっても複雑になってしまったから。魔物を倒して生き延びて幸せに生きる、という単純な私の目標は、魔族と人間との共存という壮大であいまいなものになってしまったから。そしてこの新たな目標を達成する手段が、まだ私には分からない。それなのに、誰かに相談することも恐ろしい。話す相手を間違えれば、取り返しのつかないことになりそうだったから。

 だからレディ・ベアトの申し出は、涙が出るほど嬉しかった。




 結局私は、全てをレディ・ベアトに打ち明けた。シルヴィオのこと、そして魔族が侵攻しようとしていること。

 一通り聞き終わったレディ・ベアトは可愛らしく眉をひそめて言った。

「ティナ、十七年前に実際に何があったのかというのはこの場合さほど重要ではないわ。だってどうあっても、緑の子の先代の長が害されたという事実は覆らないから。そして緑の子たちからすると、王国と先代の聖女が先代の長の仇であるというのが唯一の真実。少なくとも、彼らがそう思っている以上それが彼らにとってはそれが真実なのよ。そして彼らは王国の人間だけではなく、教会の者も同様に憎んでいるのでしょうね」

 やっぱりそうか。シルヴィオは何も言わなかったが、私たち教会もその点については魔族の恨みを買っている可能性は高い。魔族の長を直接死に追いやったのは先代の聖女なのだから。

「そういう意味では、あなたにこの事態の解決を頼んだ緑の子の長は賢明ね。教会の者、それも聖女が人間と緑の子の仲立ちをできれば、あちこちの悪い因縁を一度に解消できるでしょうから」

 そう言うと、彼女はにっこりと笑って続けた。

「だからね、過去を問いただすのは後回しにして、まずは今を変えましょう。今を変えれば未来が変わるから。過去の発掘は、平和な時にゆっくりやるものよ」

「はい、私もそう思います。まず今変えられるものを変えていくべきだと。……ですが、今私が考えている方法が……その、どうしても荒療治になりそうで」

「具体的には?」

「現王に退位いただけないかと。あの王を引きずりおろして、まともな王を玉座につけます」

 とうとう言っちゃった。昨日さんざんアルフレッドにほのめかされてから改めて自分でも考えてみたけれど、結局この選択肢が最良だとしか思えない。あと、レディ・ベアトは教会の頂点だし、教会の外の権力とは原則的に関わらない人だから、こんなとんでもないことを言っても大丈夫だろうという打算もあった。やっぱり私甘えてるんだな、レディ・ベアトに。

 だが、レディ・ベアトの反応は私の予想を超えていた。彼女は軽く目を見開いて一瞬硬直した後、ぷっと噴き出してくすくす笑い出したのだ。

「いいわ、それ素敵ね。私もあの王は好かなかったのよ。色々と悪辣なことをしていたしね。教会が介入できないのが歯がゆかったわ」

 ひとしきりくすくす笑った後、レディ・ベアトは真顔に戻って言った。

「私は教会の頂点に立つ者として、王国の政治には不介入を貫かなければならない。だから直接あなたの手伝いはできないけれど、あなたが選んだ新王に対して親書を贈るくらいはできるわ」

 大司教から親書を贈る。それはつまり、新王が王国の正式な王であると教会が認めることになる。それだけでもありがたい。何せ状況によっては、王位譲渡の際に大混乱が起こる可能性だってあるから。いや、大混乱になる可能性の方が高いかもしれない。

 私は感謝の意をこめて頭を下げた。レディ・ベアトはまた笑っていた。それほど愉快だったのだろう。




「それにしてもティナ、あなたとんでもないことに巻き込まれたわねえ」

 重たい相談が終わって少し雑談をしていた時、レディ・ベアトがしみじみとつぶやいた。

「あなたにはあの子のようになって欲しくなかった。聖女の使命になど縛られて欲しくなかった。だから私は、あなたに何も教えずに育てたの。緑の子のことも、『黒』のことも、便利な魔法具のことも。あなたは聖女だし、他の高位の者と同じように様々なことを教えておくべきだという声もあったけど、私はそれを無視し続けた」

 シルヴィオが言っていた、君は何も知らないように育てられたのかな、と。彼の推測は合っていたのか。

「それなのにあなたは、私の手を飛び出してどんどん世界を広げていき、いつの間にか私よりもたくさんのことを知って、たくさんの人たちの未来を背負っている」

 レディ・ベアトは目尻を下げた。顔全体に皺を寄せて笑っている。

「子供はいつか親離れするって本当のことだったのねえ。私にそれを教えてくれてありがとう、ティナ」

「レディ、いえおばさま、……おかあさま」

 これまで彼女を母と呼んだことはなかったけど、今はこう呼ぶのが正しいような気がした。

「頑張りなさい、ティナ。私は見守ることしかできないけれど、応援しているわ。そして必ず生き延びなさい。あの子のようにはならないで」

 レディ・ベアトはくしゃくしゃの笑顔のままそう言った。そして私は、生きてほしいという願いをまた一つ背負った。



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