30.厄介で重大な課題
「ここは……」
シルヴィオに転移させられた先は、北の塔のすぐ前だった。彼が言っていた通り、もう魔狼はいない。空を見ると、太陽は半分ほど沈み東の空から夕闇がゆっくりと迫ってきていた。ずいぶん長くシルヴィオと話していた気がするのに、思ったより時間が経っていない。
ひとまず客間に戻ろうかと思っていたら、いきなり声をかけられた。
「よお」
それはヴィーカだった。ただの狩人でしかない彼が、どうやって王城に入ったのか。
「シルヴィオ様と話してみてどうだった?」
シルヴィオ「様」。ということは、彼は。
「あなたは魔族……緑の子なのですか、ヴィーカ?」
「正解。俺は魔族の特徴が見えにくいところに出たんでな、人間たちの中に混ざるにはちょうどいいんだ。だからシルヴィオ様の密偵をやってる。実のところ、あんたの正体も最初から知ってた。知らないふりしてあんたのことを探ってたんだ。今代の聖女の人となりは、俺たち魔族のこれからに影響しかねないからな」
そう言ってヴィーカは少し申し訳なさそうに笑った。夕暮れの薄暗い光がうっすらと浮かび上がらせる彼の顔を見て、私は唐突に思い出した。前に彼がした質問、良い魔物について彼が語った言葉、それらに聞き覚えがあった理由。
それはゲームにおいて彼が語った言葉だったのだ。彼は刺客として聖女の前に現れ、魔物について問いかけるのだ。おそらく、ゲーム中の彼は魔王の命でそうしたのだろう。聖女の考えを知り、魔族にとって敵になるか否か見極めるために。
ならば今の彼は私の敵ではない。今の私は魔王の協力者なのだから。
そんな私の考えを裏付けるように、彼は言葉を続けた。
「それで、こないだあんたに良い魔物について聞いただろ? あの答えをシルヴィオ様に話したらあんたにどうしても会いたいって言われたんで、この仕掛けを用意したってわけ」
確かに、シルヴィオは私を待っていたように見えた。しかしこの仕掛けって一体何のことだろう。
「ああ、これだけじゃ何のことか分からないか。仕掛けってのは、まずナタリアのふりをした伝言を残してここにおびき寄せて、それから魔獣に頼んで塔の中に誘導したんだ。屋上に前もって魔法陣を描いておいた上でな。見様見真似で魔術師の奴らの魔法陣を真似てみたんだが、結構なんとかなるもんだ」
あの魔方陣、正規のやつじゃなかったのか。転移に失敗したらどうするつもりだったんだ。
「まああんたが自分で魔法陣を起動しなかったら、俺が無理やり自前の魔法で転移させるつもりだったけどな」
「もしかしてヴィーカ、あなたはあの塔にいたのですか? あの足跡はあなたの?」
「おう、ばっちり塔にいたぜ。足跡残しておけばナタリアと間違えてくれるかなって思ったんだ」
はい、ばっちり引っ掛かりました。それにしてもあの塔、どこにも人の隠れている気配はなかったと思うのに、どこにいたのだろう。
「ちなみにあんたが最上階に来た時、俺もそこにいたんだよ。透明化の魔法使って隠れてた」
ということは、最上階で独り言いってたのとか魔狼におびえてたのとか全部見られていたということか。うわ、恥ずかしい。
「それよりさ、あんたの誤解を正しときたくてな」
ヴィーカがそう言うと、彼の後ろから大きな魔狼が三頭現れた。先ほどの魔狼だろう。
私が険しい顔でロッドを構えると、ヴィーカは苦笑しながら魔狼を撫でた。魔狼は喜んでいるのか、ヴィーカに鼻面を擦り付けている。
「警戒しなくて大丈夫だよ、こいつら俺になついてるから」
なついてるって言っても魔物……ああ、そうか。
「彼らは魔物ではなく、魔獣なのですね」
「そう。あんたさっきこいつらと向き合ったとき魔物呼ばわりしてたろ? それだけはどうしても訂正しておきたかったんだよ」
魔獣たちも小さく吠えて同意する。襲ってこないと分かれば割と可愛いかもしれない。
「青の子……教会の者は、『黒』に染まった魔物とそうでない魔獣の区別がつくはずなんだけどな」
魔物と魔獣が違うものだということすらついさっきまで知らなかったのに、区別がつくはずだと言われても困る。
「青の子たちには、魔物は黒く見えるらしいぞ。まがまがしい感じらしいな」
黒。そう言えば、大森林で遭遇した魔狼や王都郊外で狩りをした魔物は体の一部が禍々しい黒だったり、黒いもやをまとったりしていたような気がする。対して目の前の魔獣たちは全身青灰色で目だけが金色だ。なるほど、彼らは魔物ではないようだ。
私が狼たちを見つめていると、うちの一頭がそっと進み出て私の前でお座りの体勢になった。頭を下げて上目遣いにちらちらとこちらを見てくる。口を閉じたまま小さく鳴いた。
「お、そいつさっきのこと謝りたいってさ。俺に頼まれたからだけど、怖い思いさせてごめんなさい、だって」
大きな狼もこうなると犬にしか見えない。しかも律義に謝ってくれているというならなおさら。
私は狼の前で律義に一礼すると、通じているかは分からないが狼に話しかけてみた。
「謝ってくれてありがとう。私も、魔物でないものを必要以上に怖がらないよう心掛けます」
狼はまた小さく鳴くと、額を私にそっと押し当ててきた。撫でていいのかな、これ。
私がそっと額を撫でると、狼は気持ちよさそうに目を細めた。
「よし、これで和解成立だな。……それでさ、結局シルヴィオ様は何て言ってた?」
「……魔族を止めて、と言われました」
「……そっか」
私の答えを聞いたヴィーカが、頭をかいて黙った。驚いていないところをみると、この流れはある程度予測していたのだろうか。
「……あのさ、あんたもいきなり突拍子もないこと頼まれて気が動転してるとは思うけどさ。シルヴィオ様も、部外者のあんたに頼まないといけないほど追い詰められてるんだ。魔王配下の多くが勝手に王国攻めの準備を始めちまってて、シルヴィオ様の話を聞きゃしない」
そこでヴィーカが私をまっすぐに見つめた。澄んだすみれ色の瞳が頼りなく揺らいでいる。
「俺さ、あんたならきっとやり遂げてくれると思ってる。聖女様なのにおてんばで、明後日の方向に全力で吹っ飛んでいくような妙な行動力のあるあんたなら、この八方塞がりの状況をなんとかしてくれるんじゃないかって」
褒められているのかいないのか微妙なところだ。しかし期待されているのも分かる。彼らにとって私が最後の希望なのだろう。希望がこんなのでなんかごめん。
「っと、長話しちまったな。誰かに見つかる前に解散しようか」
そう言ってまずは魔獣たちを下がらせると、ヴィーカは改まった様子で言った。
「これからは俺もあんたの力になる。俺に用があるときは城下町の南区画にある『春の草原亭』って宿屋に伝言を残してくれればいい」
「分かったわ、ヴィーカ。私一人では無理だし、あなたの力も借りるわね」
「おう、任せとけ。あと口調、それくらい砕けてるほうが俺としてもやりやすい」
うっかり口調が崩れていたようだ。まあ本人がそれでいいっていうし、このまま行くことにしよう。
私はヴィーカと別れた後、来た道を全力で取って返し何とか祭りの最後の式典に間に合うことができた。
二日前と同じように王が民衆に言葉をかけて王城に戻っていく。その後ろ姿を見ていると、この王が全ての元凶だなんてまだ信じられなかった。
後ろで魔法の花火が打ち上げられる音がする。けれど今の私にはそれをゆっくり眺める気力もなく、急いで客間に戻った。今はとにかく一人で考えたい。
ベッドの上に身を投げ出して息を吐きだすと、とたんに疲労が襲ってきた。仕方がない、今日はめまぐるしい一日だったから。朝にジークと話していたのがずっと昔のことのようだ。
今、私の肩にはたくさんの人間の生命と未来がかかっている。冷静に考えればとても恐ろしいことのはずだが、私はむしろ落ち着いていた。恐ろしいというなら、大森林での戦いや今日狼たちと対峙した時の方がよっぽど恐ろしかった。
私は結局その程度の人間なのだろう。自分一人の身が可愛くて、そして手が届く範囲のものだけを守ろうとするちっぽけな人間。その外のことに現実味なんて感じることもない。
でも今はそれが吉と出ているのかもしれない。自分の責任を本当の意味で自覚してしまったら、きっと私は恐怖で動けなくなる。
だから、動けなくなる前に、走れるだけ走ってやる。
そのまま私は目を閉じて一人考え続けた。
しかし大変なことになってしまったなあ。最初は乙女ゲームの世界を満喫しようとしていただけなのに、気づけば国一つ分の未来を背負っているってどうなんだ。私は聖女様であって断じて勇者様ではない。
さて、そろそろ状況を整理しよう。このまま放っておくと魔族が攻めてきて王都が滅びる。それを止めるには? 対策その一、攻めてくる魔族を討つ。対策その二、魔族が攻めてくる前に止める。
対策その一はなしだ。私は魔族が倒すべき存在だとどうしても思えない。シルヴィオは少し変わったところがあるが悪い人ではないだろう。そしてヴィーカは友達だと思っている。だったら、他の魔族とも同じように仲良くなれるのではないか。そう思うと、魔族を討つという選択肢は最後の最後まで選びたくない。
となれば対策その二だ。シルヴィオの語る過去が真実であるのなら、単純に魔族を説得して止めるのは無理だ。まず人間側を変えなければ。つまり、シルヴィオの言っていた通り王国をどうにかして変えることが近道だろう。上手くいけば、魔族と人間とが戦争になるのを止められるだけではなく、人間と魔族とが共存できるようになるかもしれない。それはとても良い未来だと思えた。
王を説得するのは無理だろうな。そもそも王と会うことすら難しい。十七年経っても王は相変わらずの魔法嫌いで、人型の魔物を血眼になって探している。
王を暗殺したらどうだろう、と大変物騒な考えが頭をよぎった。ヴィーカに協力してもらえれば何とかなるかもしれないけれど、ばれたら人間と魔族との間がさらにこじれてしまいかねない。これは最後の手段としておこう。
とすると、力づくで王を引きずり下ろすというのがもっとも安全かつ無難な方法だろう。これが無難な方法というのもひどい話だ。問題はどうやるかだが、何も思いつかないので後でじっくり考えよう。
そう言えば、現王を無事引きずり下ろしたとして、そのあとに誰が王になるかというのも重要なことかもしれない。現王と似たような思想の持ち主が次の王になったら大変だ。
前に書物庫で見た王家の系図を必死で思い出す。現王には息子と娘がおり、娘は現在公爵夫人だったか。あとは現王の甥のレックス。それ以外に現王に近い者はいなかった。とすると調べなくてはいけないのは王太子たる現王の息子かな。人となりについてはアルフレッドに聞けば分かるだろう。
それと騎士団の動向も気をつけなければ。私が行動を起こせば、彼らはいつか王と私の板挟みになる。大半の騎士はどちらを選ぶか決めることができるが、その選択ができるということがかえって酷になるだろう。できる限り、そんな選択をさせずに済むように頑張らないと。
あ、そうだ。シルヴィオに説明された内容の真偽も確認しておかないと。レディ・ベアトに会うには……王都の教会を通して連絡すればいいか。いっそレディ・ベアトも巻き込めないかなあ。やることは多いのに人手も権力も足りないや。
まだまだ考えなければならないことはあるし、やらなければならないこともたくさんあるが、とりあえずできそうなことから一つずつこなしていこう。まずは明日、アルフレッドに会いに行く。全てはそれからだ。




