29.魔王かく語りき
魔王。その名に聞き覚えはあった。ゲームにおける最終目標であり、聖女が討伐すべきもの。けれどゲームで見た魔王は黒い霧の化け物として表現されていて、こんな可憐な少年ではなかった。
白い翼のシルヴィオはあくまで無邪気に微笑んでおり、魔王というよりは天使、もしくは精霊の王といった風情だ。とても「人間の敵である魔物の長」には見えない。私には彼が討伐すべきものであるとは、どうしても思えなかった。
当のシルヴィオは私の心境もお構いなしに、相変わらずの愛らしい笑顔で話し続けた。
「じゃあ次は『黒』についても説明しようか。『黒』はね、この世界のあらゆるものが少しずつ生み出しているゆがみそのものなんだ。これを放っておくと、世界そのものがゆがんで壊れてしまう」
彼は白い手を差し伸べるようにして辺りを指し示す。
「ボクたち緑の子は、この『黒』を身の内に取り込む性質がある。けれど同時に、時間をかけて身の内の『黒』をゆっくりと浄化していくことができるんだ。けれど、あまりにも多くの『黒』を身の内にため込んでしまうと、ボクたちは『黒』そのものに変質し、正気をなくして誰彼構わず襲い掛かるようになってしまう。これがキミたちの恐れる魔物の正体さ。魔人は『黒』に耐性があるからめったなことでは魔物にならないけど、魔獣は『黒』への耐性が低いから魔物になりやすい。もっとも、キミたち人間は全部まとめて魔物扱いしているよだけど」
初めて聞く話に、私は驚くしかなかった。もちろんシルヴィオが嘘をついている可能性もあるけれど、私にはそうは思えなかった。
「ちなみに、魔物は斬ったり叩いたりすれば死ぬように見えるけどね、あれだと濃い『黒』がそのまま地上に残ってしまう。その場しのぎでしかないんだ」
彼は苦笑しながら、さらに説明を続けた。その目線が私をとらえる。
「ボクたちの力って、キミが使う白の浄化と少し似ていると思わない? ただ、白の浄化は大量の『黒』を速やかに浄化できるし、『黒』そのものになってしまった緑の子、つまり魔物を浄化することもできる。命が代償なだけはあるよね」
言われてみれば、魔族の力と私の力は似たところがあるかもしれない。それにしても、一気に情報を詰め込まれてちょっと混乱してきた。頭を整理したい。
「おっとごめんね、一気に話し過ぎてこんがらかっちゃった? あのね、いいことを教えてあげる。今の話、大司教猊下は全部ご存じだから戻ったら聞いてごらん」
予想外ではあったがいい情報をもらえた。戻ったらレディ・ベアトに会いに行こう。きっと真偽のほどを確かめることができるだろう。
そこまで話したあと、シルヴィオはうーんとのびをした。子猫のようなしぐさだが、シルヴィオだとまるで一枚の絵画のように美しく見える。どこか現実感に欠けてすらいる。
「それにしても、今代の聖女様であるキミが、良い魔物とは共生できるって考えでよかったよ。ボクたち善良な魔族まで浄化しようとされたらたまったものじゃないからね」
「あなたの話によれば、私が浄化できるのは『黒』に染まった魔物だけで、普通の魔族は浄化できないと思うのですが」
私がそう疑問をぶつけてみると、シルヴィオはすっと目を細めた。
「確かにキミの白の浄化は『黒』に染まった魔物を浄化するものだよ。けれど、例外もある」
びっくりするほど冷たい目で私を見ると、シルヴィオは薄く笑ってまた話し始めた。
「そうだね、キミに昔話をしてあげよう。おかしな考えに取りつかれた聖女と王様の話だよ」
むかしむかしあるところに、とっても真面目な聖女がいました。彼女は人々の平和のために、魔物を全て滅ぼしたいと思いました。だから彼女は魔物を生み出す緑の子を苦々しく思っていました。
そしてまたあるところに、とっても愚かな王様がいました。王様は緑の子が大嫌いだったので、彼らを滅ぼそうとしました。
王様は聖女の正義感につけこむことにしました。聖女の強い力をもってすれば、魔族を滅ぼすことができると考えたのです。
王様は聖女を呼びつけ、緑の子の長の居場所を教えると、彼らを止めてくれと頼みました。
聖女は緑の子の長のところに出向き、こう言いました。
「『黒』を集め魔物を生み出すのをやめてください」
長は答えました。
「私たちは命ある限り『黒』を集め続ける存在だ。止めようとして止められるものではない」
「ならば、あなたたちは将来魔物となり得るもの。人々の平和と安寧を脅かすものです」
そう断言した聖女は、自らの力をもって緑の子たちを浄化しようとしました。
本来ならば聖女の浄化は緑の子たちには効きません。緑の子は身の内に『黒』を蓄えてはいますが、『黒』そのものではないからです。
しかし、長はたいそう長き時を生きていたので、身の内に溜まった『黒』は膨大なものとなっていました。あと少しで魔物となってしまうほどに。
聖女はその膨大な『黒』を浄化しようとし、すべての命を使い切って息絶えました。
長もまた、身の内の『黒』と共に命のほとんどをはぎとられ、死にゆく寸前でした。長は他の緑の子たちに幼いわが子を預け、人の目につかない深い森の奥に逃げるよう言い残し、息をひきとりました。
緑の子が長の言いつけどおり森の奥に逃げ込んだ後、王様の率いる軍勢がやってきて、緑の子たちがかつて暮らしていた村を、森を焼き払いました。
こうして、魔族と人間は互いに関わらずに生きていくこととなったのです。
「どう? ひどい話でしょ」
確かにひどい話だ。緑の子は魔物になり得る存在だけど、だからといって先手を打って力づくで浄化するというのは道理が通らない。
「それでね、このお話に出てくる長というのはボクの母なんだよ。母は『黒』が溜まりすぎて魔物になる時が来てしまったら、その前に自ら命を絶つつもりでいた。聖女が無理やり浄化する必要なんてなかったのに」
……シルヴィオは今何て言った? さっきの話はおとぎ話だったのでは?
「これはたった十七年前のこと。愚かな聖女様はキミの先代の聖女だし、愚かな王は今も王国の玉座でふんぞり返っているよ。この事件の後、ボクたち魔族を『人型の魔物』ってことにして大量に討伐したのもあの王だ」
冷たく光っていたシルヴィオの目が、また元のようなきらめきをとりもどしてこちらを見ていた。
「こんなことがあったから、ボクたちは今代の聖女であるキミに興味を持っていたんだ。キミが先代の聖女と同じような考えなら、ボクたちに害をなす前に排除するべきだ、そう主張する者もいたよ。だからボクは、キミをここに招いて直接話をする機会をずっとうかがっていたんだ」
人型の魔物を滅ぼせとぎらぎらした目で私に命じた王。あの王はそこまで常軌を逸していたのだろうか。先代の聖女をけしかけて魔族に打撃を与えようとしたり、罪なき魔族を人型の魔物として討伐させたり?
そんな私の内心を読み取ったのか、シルヴィオが小首をかしげて言った。
「あ、もしかしてボクが魔族だから人間を悪く言ってるって思ってる? あの王がしたことの証拠もあるよ」
そう言ってシルヴィオが何もない空中から取り出して見せたのは、古びてぼろぼろになった紙切れだ。彼はそっとその紙を渡してくれた。
渡された紙を破らないように慎重に開くと、一面に何かが書かれていた。かすれていたが何とか読める。紙の片隅には日付が印刷されていた。十二年前の日付になっている。
「魔物討伐……偉大なる陛下の導きにより……邪悪なる魔物は滅び……陛下より直々にお褒めの言葉を賜り……」
この文面は、どうやら騎士による魔物討伐について書いているようだった。その文面は取り立てて目を引くものではなかったが、そこに添えられている挿絵は目を疑うようなものだった。
一枚目の挿絵で騎士が討伐している魔物たちは角や翼を生やした人間の姿をしていた。二枚目の挿絵では、その人型の魔物の死骸を踏みつけて騎士が剣を掲げ、最後の挿絵にはその騎士に褒美を与えている王の姿が描かれていた。
なんだこれは。なんなんだこれは。人型の異形であれば、これはおそらく魔物ではなく魔族だ。どうしてそれが、こんなことに。
「これは十二年前の王都の新聞だよ。あの頃はまだ人里近くに残ってる魔族もいたから、こんな風に人型の魔物として狩られることもよくあったみたい。ボクたちがこれを保存してるのは昔を忘れないため。人間にうかつに近づくなっていう戒めのためだよ」
そんな戒めが必要になるほど、魔族は人間に狩られていたのか。それもあの王のせいで。
「どう? 信じてくれる? ……もっとも、この証拠も魔法でねつ造したものだろうって言われたら返す言葉もないんだけど」
シルヴィオはそう言ってうなだれたが、私にはこの紙がねつ造したものとはどうしても思えなかった。彼が語る言葉は、見せてもらった証拠は、全て私の抱く王の人物像と合致するものだったから。
私はずっと、魔物は恐ろしいものだと思っていた。だから魔物を倒そうとして白の浄化を使い、また戦うすべを身に着けようとしてきた。魔物さえいなくなれば、平和に幸せに暮らせると信じていた。
けれどそれは不可能だった。魔物は世界が生みだすただの歪みで、自然災害のようなものでしかなかった。
一方で人間の悪意は、もっと愚かで、救いがなかった。
衝撃に呆然とする私を置き去りにして、シルヴィオは次々と言葉を紡いでいく。
「ボクたち魔族は、あの日の痛みを忘れていない。魔族の一部は今でも人間に復讐する機会をうかがっているんだ」
彼のその言葉は、私にとって驚きをもたらすものではなかった。むしろ、彼らがそう思うのは当然だろう、などと妙に冷めた頭で私は考えていた。
「魔族の中でもより人に近い姿をした者は王国のあちこちに潜み、情報を集めながら機をうかがっている。復讐を願う者たちは、ボクの手を離れて独自に軍を組織し始めているんだ。もう、いつ戦いになってもおかしくない」
シルヴィオはうつむき、悲しそうに目を伏せたまま話し続ける。
「ボクは彼らを止めたいとは思う。でも同時に、母の死の原因を作った王を許せない。そしてボクたち緑の子を全て滅ぼそうとする王国をそのままにしておけない。この思いがあるせいで、ボクは彼らを止めることができない」
ここで彼は顔を上げると、胸元で手を組み合わせて泣きそうな目で私を見た。救いを求めるような仕草だった。
「だから、今代の聖女であるキミにお願い。王を止めて。王国を変えて。そうしないと、彼らは王国に攻め入って王都を焼け野原にしてしまうから」
「どうして、私に」
やっとのことでそう答えた。どうしてそんな重大なことを私に頼むんだろう。私にそんな大きなものをどうにかする力はないのに。
「ボクにはもう他に打つ手がない。そしてキミはボクたちを迫害した王国のものではなく青の子だ。ボクたち緑の子にも理解を示してくれている」
シルヴィオはそのままひざまずいた。長い髪が草の上にふわりと広がる。
「それに、先代の聖女をそそのかした王国を今代の聖女が変えることができれば、戦を起こそうとしているかたくなな魔族たちの心も動かせるかもしれない」
そして彼は大きな目に涙をためて、私にすがりついてきた。
「お願い。ボクにはもうどうしようもないんだ」
私には承諾するしかなかった。どのみち放っておけば戦争になる。それだけは止めなくては。
「それじゃあ元の場所まで送るね。大丈夫、危険はもうないから。あと、ボクに会う必要があるときはこれを使って」
そういって渡されたのは、手のひらほどの楕円形の木の板だった。表面に何か描いてある。
「その板を手に持って、中心に魔力を注げばここに来られるから。あとそれ、絶対に魔術師には見せないでね。ボクたちの術式は魔術師のものとは大きく異なるから、見られたらたぶんボクたちのものだってばれちゃう」
そしてシルヴィオはかがみこんで手で地面に触れた。そこから湧き出た光の波が、私の足元まで押し寄せてくる。波はどんどん高さを増し、視界が光で満たされた。シルヴィオの声だけが聞こえてくる。
「気をつけてね。青の子よ、どうか世に安寧を」
その声を最後に、何も聞こえなくなった。




