28.白き翼の救世主
視界を覆いつくす光が消えると、辺りの風景は一変していた。目の前は一面の木肌で、どこにも継ぎ目は見当たらない。振り返ると、外に通じるのであろう穴がぽっかりと空いていた。どうやらここは大きな木のうろのようだ。木肌がやけに滑らかであることからすると、この木のうろは人工的に掘られたものかもしれない。
耳を澄ませてみても魔物の気配はしない。とりあえず転移先はそこまで危険ではなさそうだ。さて次は、近くに人がいるのかどうかが問題だ。どうにかして王都に戻る方法を探さなければ。そういえばさっきの足跡の謎も解けていない。ああ、考えることが多すぎる。
覚悟を決めてそっと穴の外をのぞいてみた。そこは広大な明るい森で、辺りには巨木がたくさん生えていた。そのうちの一本、特に大きな樹の前にこちらに背を向けて立っている人がいた。遠いし逆光でよく見えないが、あれは人だろう。魔物には見えない。
一応用心してロッドを握りしめると、そろそろと木のうろから出た。おあつらえ向きにうろのすぐ外に木で階段が組まれている。やはりこの辺りには人の手が入っているようだ。地面は草が生い茂っているが、私のくるぶし丈くらいの高さしかないので歩くのに支障はない。
立っている人影に近づくにつれ、少しずつその姿が分かるようになってきた。その人は男性とも女性ともつかない背の丈で、後ろから見ても華奢な印象を受ける。その淡いプラチナブロンドの髪は腰近くまで流れ、細かく波打ってきらきらと輝いている。まるで光の海のようだ。それに、その人は変わった形の白いマントを羽織っているようだった。白い服のすそが草の上に柔らかく広がっていて、その姿はこんな森の奥には似つかわしくないように思えた。背中しか見えていないのに、なぜか私はその人がとても美しいと確信していた。
私は足音を消していない、というか消せない。だからその人は私に気付いているはずだ。それなのにその人は微動だにせず立っている。こんな森には不釣り合いなその姿のこともあるし、もしかしてこれは人形だったりするのだろうか。
しかし私の心配は杞憂だったようで、手を伸ばせば届くか届かないかの距離まで私が近づくと、その人はいきなり振り向いた。長い髪が白金の波のように広がって流れる。
「ようこそ、ボクの森へ」
振り返った顔は、やはり人形のように美しかった。
彼の姿を正面から見た私はひどく驚いた。その人は美しいのだろうと予測していたが、その美しさはそれを遥かに超えていたのだった。中性的よりもやや少女に近い飛び抜けた美貌と小鳥が歌うような声、透き通るような白い肌。一方でその骨格は間違いなく少年のそれである。つまり、どこからどう見ても美少女にしか見えないが、彼は間違いなく少年だった。
彼は明るいエメラルド色の瞳を喜びにきらめかせ、頬をほんのり桜色に染めながら進み出た。白い布を体に巻き付けたような衣装が、さらさらと衣擦れの音を立てる。
「はじめまして、ボクはシルヴィオ。あの魔方陣を通ってきたということは、キミが聖女だよね?」
私は呆然としながら答えた。絶体絶命で逃げてきた先に美少女のような美少年がいるなんて、誰が想像できるというのだ。
「はい、私はセレスティナと申します。魔物に追われてこちらへ来てしまいました」
「魔物、ね」
彼は一瞬意味ありげな表情をしたような気がしたが、しかしすぐに花が開くような笑みをまた浮かべた。
「それよりボクは聖女と話してみたかったんだ。来てくれてありがとう」
そう言うと、彼の後ろから一陣の風が舞い上がった。彼のマントがひるがえって――違う、マントじゃない。
私がマントだと思っていたのは白い翼、シルヴィオと名乗った少年の背中から生えた一対の白い翼だったのだ。
「救世主、さま……」
教会に伝わるお話を思い出した。前にラファエルにも話したあのお話。荒廃した世界に舞い降りて救いをもたらした白い翼の救世主。彼の美貌とその翼は、まるでその救世主そのものだ。そんなはずはない、どう考えてもおとぎ話でしかないのに。
「違うよ。ボクはこの通り白い翼を持っているけれど、世界を救うなんてできない。そもそもボクはキミとそんなに年は変わらないよ。お話の救世主様とは全然年齢が合わないでしょ」
私がつぶやいた言葉をとらえシルヴィオはすぐさま否定する。救世主のお話を知っているということは、彼は教会の関係者なのだろうか。
「ねえ、それよりキミの話が聞きたいな。聖女は白の浄化が使えるんだよね? キミはどう思うの?」
「どう、とは」
「キミは魔物を浄化できるんでしょう? 凄いことができるんだって得意になったりしない? 他の人を守れるんだって誇りに思ったりしない?」
「得意に、など……天がたまたま私に与えてくださった力ですから。ただ力の由来はともあれ、みなを守れるのは嬉しいです」
シルヴィオが歯に衣着せずに聞いてくる。その顔は美しく微笑んだままだが、その緑の瞳を見ていると頭がくらくらしてくる。悪意は感じないのだが、彼から言いようのない圧力を感じる。この神々しさのせいだろうか。
「ふうん、そうなんだ。あとね、キミは魔物が嫌い?」
「怖いとは思いますが、嫌いかどうかは分かりません」
「魔物が怖いんだね。良い魔物もいるって知っても、まだ魔物が怖い?」
似たような質問をどこかでされたことがある。そう、あれはヴィーカと王都で再会した時のことだ。どうして彼らは揃って良い魔物について話すのだろう。さっきから戸惑うようなことばかりだ。
「その良い魔物というのが、人に危害を加えない善良なものを意味するのなら……彼らを怖がるのはおかしいと思います。そういった魔物であれば、共に生きていくこともできるかもしれませんし」
ヴィーカに答えた時と同じように考えながら答えると、シルヴィオの緑の瞳がさらにきらめく。
「でもキミは王国に味方しているんでしょう? 王様は魔物を全て倒してしまいたいみたいだよ。王様がキミにそう命令したら、キミはどうするの?」
前に会った時、王は魔物を滅ぼすことに異様に執着しているように見えた。彼なら魔物を全て消すために白の浄化を使えという命令をする可能性はあるだろう。けれど現状ではそれは不可能だ。私の残りの命を全て費やしても、魔物の全てを浄化するには足りない。しかしラファエルの研究が完成すれば、そんなとんでもないことも可能になるかもしれない。
けれどあの、人を蔑んだ眼をした王。あの王の命令にそのまま従えば、何かがよくない方向に向かってしまうのではないか。理由は分からなかったが、そんな気がした。
「私は王国に生きる者たちを守りたいとは思っています。けれど私は、現王の配下ではありません。命令に必ずしも従う必要はありません。そして私は……そのような命令には従いたくないと思ってしまいます。良い魔物がいるとするなら、なおさら」
「あはっ、よかった」
嬉しそうに笑うシルヴィオ。何が気に入ったんだろうか。
「ボクとしても、聖女がそう考えてくれてるっていうのは嬉しいよ」
全く話についていけないという思いが顔に出ていたのか、彼は私の顔を見ていたずらっぽく笑った。
「ふふ、キミは何の話なのかさっぱり分からないって顔してるね。やっぱりボクが何なのかキミは知らないんだね」
肯定の意をこめて首を縦に振ると、彼は苦笑して言った。
「キミたちの王様は、ボクたちのことを人型の魔物って呼ぶけどね。それは間違いなんだ。ボクたちは緑の子にして黒をはらむもの。これが正解なんだけど、この言い方でキミに通じるかな?」
あいにくと通じない。教会の者は青の子と呼ばれることがあるけれど、それと関係あるのだろうか。
「キミは青の子と呼ばれる者の一人でしょう? 同じようにボクは緑の子なんだよ」
「ということは、私が教会に属しているように、あなたも何らかの組織に属しているということですか?」
「組織というか……種族かな。もしかしてキミは、『黒』が具体的に何を指すかも知らなかったりするのかな?」
もう一度うなずく。私が知っている聖句で『黒』について述べられているのは一つだけ、「聖女の祈りは黒を浄化し、全てのものに安寧をもたらす」というものだ。けれど私が今まで退けてきたのは全て「魔物」であって「黒」ではない。
「驚いた、今代の聖女は何も知らされていないんだね。……それとも、もしかするとキミは何も知らないように育てられたのかな」
独り言のようにつぶやくと、シルヴィオは改めて私に向き直った。
「それじゃあ順に説明してあげるよ。遥かな昔にひときわ強い魔力を持ち、その姿を変えた人や獣がいたんだ。これがボクたち緑の子のご先祖様。そして緑の子はボクのように翼が生えていたり、角が生えていたりするし、魔法が得意な者も多い。キミたちからするとボクたちは異形なのだろうけど、ボクたち緑の子は穏やかで争いを好まないものが多いんだよ」
彼は話しながら背中の翼をふわりと広げて見せる。その姿は、確かに異形であるのにとても穏やかで清らかに見えた。
「そしてボクたち緑の子は自分たちを魔族と呼んでいるんだ。先祖が人であったものは魔人と、獣であったものは魔獣と呼ぶこともある」
ここでシルヴィオはひときわ可憐に微笑むと、陶器のように滑らかな素足で柔らかな草を踏みつけながら一歩進みだし、高らかに言い放った。
「ボクは緑の子である魔族を統べるもの。そう、人間たちはボクを魔王と呼んでいるよ」




