27.転機
日が傾き始めたころ、警護の仕事に戻るというジークと別れ私は王城へと足を向けた。ジークが名残惜しそうにしていたのが可愛かった。成人男性に可愛いもへったくれもなさそうだが可愛いものは可愛い。
さてこの後の流れは、王がまたテラスに出て民衆へ祭りの終わりを告げて、それから魔法の花火が打ち上げられるというものだったはず。私はまたテラスにいなければならないが、その前にいったん着替えよう。一応聖女として同席するんだし、こんなお祭りに浮かれたような格好はふさわしくないような気もする。
そう思って客間に戻ると、机の上に何か置いてあった。小さな紙に何か走り書きがしてある。急いで書いたのか、筆跡が乱れ読みにくい。
『ナタリア様から伝言です。ここに戻られたらそのまま北の塔に来てほしい、とのことです』
署名はなかった。おそらく、ナタリアから伝言を受けた小姓あたりがメモを残していったのだろう。ナタリア、今度は何を仕掛けてくるの……?
たっぷり三日振り回された後にこれか、と心から行きたくない気分になったのは事実だが、そういう訳にもいかないだろう。うう、せめてロッドは持って行かせて、ずっと丸腰で禁断症状が出ているの。
私は天青の首飾りを服の下につけると、魔法銀のロッドを腰に提げ、走り書きを服の隠しにしまいこんでから大人しく北の塔に行くことにした。何が起こってもいいように心の準備をしておこう。具体的に何をどう準備すればいいのか分からないのが困りものだけど。
北の塔は王城のすぐ外に独立して建っている石造りの塔で、王城を見下ろす唯一の建物だった。この辺りは薄暗く湿っぽくてひんやりするせいかいつも人気がなく、ちょっと薄気味悪い。こんなところで何をするんだろう。ナタリアの考えることはよく分からないかも。
「ここで待っていればいいのかな? うーん、ちょっと寒いかも……着替えてくればよかったかな」
塔の入り口の扉の前にたたずみ独り言をつぶやいたとき、その場にあるはずのない音が聞こえてきた。狼のような獣の唸り声だ。どうしてこんなところに。この塔は王城と直接つながってはいないものの、王城を守る堅固な塀の内側にある。野生の動物がうっかり入り込むようなところではない。
ロッドを構え辺りを見渡すと、薄暗い物陰から大きな狼が三頭現れた。私を見すえながら喉の奥で唸っている。
「狼……違う、魔狼! 魔物がなぜ!」
その狼たちは角や翼を生やしている。王城に魔物が出るなんて、どういうことだ。
そのうちの一頭が飛び掛かってきた。とっさに横にはね飛んでかわしたが、恐ろしいほどの迫力だ。私に襲い掛かってきた魔狼は、私から距離をとると再び唸り始めた。
私は悲鳴をぐっと飲みこみ、腹に力を入れて震える膝を叱咤した。魔狼が一頭であればなんとかなったかもしれないが、さすがに私一人で三頭を倒すのは無理だ。そして、今悲鳴を上げたら間違いなくやられる。これは獣同士のにらみ合いだ、弱いところを見せたら負ける。目をそらさずに、少しずつ後ずさりするしかない。しばらく耐えているうちに巡回の近衛騎士が気付いてくれれば、あるいは。
焦るな。よく動きを見て。転ばないように少しずつ後ずされ。
自分で自分に言い聞かせながら、少しずつ下がっていく。全身に冷たい汗が流れる。足が塔の扉に触れた。そんな、もうこれ以上下がれない。
そう絶望しかけたその時、塔の扉が内側に動いた。これはチャンスかもしれない。
私は即座に作戦を立てた。まずこのまま扉を体で押し開けて塔の中に入り、扉を閉めて安全を確保する。そうしたら塔の上階に移動して、窓から助けを求める。よし、これでいこう。少なくとも塔の中に逃げ込むことができれば、誰かが探しに来てくれるまで耐えられるはずだ。
作戦が変わってもやることは変わらない。じりじり、じりじり。転ばないように気を付けながらお尻でそっと扉を押す。扉は重かったが、体重をかけると少しずつ開いていった。
よし、塔の中に入れた! 魔狼たちは先ほどと同じ場所で唸り続けている。落ち着いて、変に刺激しないように、そっと、扉を、よし閉めたぞ!!
震える手を叱咤し、扉に内側からかんぬきをかける。魔狼たちが視界から消えると、安心感からか腰が抜けそうになった。その場に崩れ落ち、扉に寄りかかって呼吸を整える。
「こ、怖かった……」
ちょっぴり涙ぐむ。頑張ったぞ私。えらいぞ私。
しばらくへたりこんだ後、重い腰を上げて立ち上がった。籠城戦はできれば避けたいし、腰を抜かしている間にずいぶんと時間を浪費してしまった。早く助けを呼ばないと。
あらためて塔の中を見てみる。壁は石でできており、私の目の高さくらいのところに明かり取りの細い切れ込みが複数入っている。広さはちょっとした会議室くらいで、奥に石の上り階段があった。
外の気配をうかがいながらゆっくりと階段に近づき、上る。上の階も同じような作りになっており、今度は入り口側に上り階段があった。そうやって四階あたりまで上ってきたころだろうか、私はあることに気づいた。
足跡がある。薄暗くてはっきりとは見えないが、埃がうず高く積もった床の上に一組だけ、登り階段へ向かう真新しい足跡があるのだ。一組だけということは、この足跡をつけた人物はこの上にいる可能性が高い。ここでふと、ナタリアに呼び出されていたことを思い出した。もしかしてこの足跡はナタリアのものだろうか? だったら早く追いつこう。下に魔狼がいるし、ナタリアに早く危険を教えてあげないと。
急いで階段を上る。今はどの辺りかな。たぶん十階くらいまでは来たと思う。さらに階段を上ると、突然視界が開けた。最上階だ。
最上階は私の胸くらいの高さの塀で囲まれており、見渡すと下に王城が見えた。西には傾きかけて赤みを帯び始めた夕日が輝いている。
そこには誰もいなかった。ナタリアも。
「ナタリア、いるの?」
そっと呼んでみても返事はない。どこかに隠れているのかと思ったが、この最上階に隠れられる場所はない。今まで見てきた感じでは、この塔には隠し通路を作る隙間もなさそうだった。
ここからどうしたものかと考えていると、最上階の片隅の床に光る筋がうっすら浮かんでいるのが見えた。その筋はきれいな円を描いている。かがみこんで床をじっくり観察すると、複雑な線がいくつも描きこまれているのが見て取れた。
それは今までに何回も見てきた魔法陣によく似ていた。しかも、光る円の外側にもう一つ、光っていない円が描かれている。一度だけこんな魔方陣を見た。転移の魔方陣だ。
あの時モニカは何て言ってただろうか? 確か、向こう側から起動されたものは内側の円が光る。こちらから起動すれば外側の円が光る。二重の円が光った状態で魔力を送り込むと転移できる、だったかな。目の前の魔法陣は内側の円が光っている。つまりこちらから起動すれば使えるはずだ。そして起動する方法にも心当たりがある。モニカにもらったロッドの替え石、「起動」だ。ちょっとやってみようかな。起動するだけならいいだろう。
この時の私は好奇心に負けて、魔狼のこともナタリアのことも完全に頭から抜け落ちていた。ロッドの石を替えると、「起動」の石をはめた側の端を魔法陣に当てる。
「『起動』って具体的にどうやるのかな? 魔力を発射するのならやったことがあるんだけど」
ロッドから魔力が魔法陣に伝わっていくのをイメージしたところ、魔法陣の外側の円が光った。
「わ、ほんとに起動できた。ということは後は魔力を注げば転移できるのかな?」
その時、信じられないことが起きた。遥か下の地上にいるはずの魔狼の一頭が、下の階に続く階段から頭をのぞかせていたのだ。扉のかんぬきは確かに閉めたのに、どうやって入り口を突破したの!?
考えている暇はなかった。さっき石を入れ替えたせいで、今ロッドにはまっているのは「衝撃」と「起動」の組み合わせ、これでは魔狼を相手にするには力不足だ。ここでにらみ合うか、どうにかして逃げるか。にらみ合うのは無理だ、私の精神力はそこまで持たない。ならば逃げるか、ここは飛び降りるには高すぎる。下り階段は大きな魔狼が塞いでいる。
八方塞がりのこの状況で、一つだけ逃げ道が残っている。けれどそれは一方通行だ。転移の魔法陣は一度使うと、再度両側から起動するまで使えない。
魔狼がにじり寄ってきた。もう迷っている暇はない。転移先がどこであろうと、ここで死ぬよりはましだ。
私は「起動」を使い、魔法陣に魔力をこめた。目の前が真っ白になっていく。
どうか、またここに戻ってこられますように。そう祈らずにはいられなかった。




